世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
どうしたんだろう?
国連でグレタさんとトランプさんは 言葉を交わすことは無かったが 顔は合わせたようだ。
裸の王様と町の子ども 両首脳の対面は 子どもの眼差しにトランプさんがスゴスゴト逃げ去った感じだが、
「セクシー」発言は グレタさんの言葉の意味も解せない無い恥の上塗り。「恥の文化」ぐらい身に付けて外に出て欲しい。
もう大丈夫だ!
子供たちの 400万デモ
もういつ死んでも良いような気持になった。
世界の殆どの大人たちは このことを知っただろうから これからの大人の行動は子供への裏切りのかかった
リトマス試験紙のような意味を持つ。自分に恥ずかしくないように終わりにしたいと思う。
30年ぐらい前 カナダのセバン鈴木さん(当時12歳)が 同じように国連で演説し世界に波紋を広げた。
歴史の大きな節目で 役割を果たすのは 政治家でも偉人でも学者でもなく 普通の子供だった。
ある意味で「裸の王様」を救ってあげたのも子供だった。
いっぱい刷り込まれているとは思うが 元を正せば今だって自分の中に子供は生きているだろうから 自分に言い聞かせて 大事に付き合おう。
国家は判断を間違えることは無いのか。
国家の代表者が誰だか分からないが 日本も世界も国家の過ちを国家を代表して謝っているのを見たことが無い。
国家は判断を誤り無く完全な形で今日に至っているのだろうか。
温暖化や自然破壊 原発事故 少子高齢化 借金の山など 国家の施策によって権力を行使して招いたものは数限りないが、国家には間違いを認める人がいなくて良いのだろうか。責任者はいないのだろうか。
これが民主主義の成せる仕組みなら 民主主義は合理的な理念とは言えず 人類は新たに合理的な理念と仕組みを生み出ことが必要になる。
計りが違う
自然が無限の癒しや知の対象になるから重要なのではなく 人は自然無しには存在しえないから重要なのだ。
この2つの違いは
前者は人を中心に 後者は自然と人を合わせた宇宙を中心に重要さを計っている。どちらが普遍性を持つかは明らかだろう。
一般的に前者を計りにしていないだろうか。世界は 前者を計りに温暖化からの出口を見出すのは難しい と思う。
予測される報道を越えて
グレタさんが出席しトランプさんが出席しない国連で始まる気候変動サミットが始まる。
この世界的なイベントを日本のマスコミは積極的には報道しないだろう と考えている。
これまでも普通であるかのように政府に忖度して報道してきた。
国際的に見て 気候変動の対策が遅れている日本の現状を晒さないだろうと予測しながら報道を追って見たい。
一般的に市民は報道によって社会の現状を知るのだが、日本の場合は忖度された情報を鵜呑みにする傾向すらある。
そんな情報空間にあっては 逆に市民が先回りして マスコミの報道を予測したら良い。市民は生活をベースにした特別な感覚を持っている。
株式市場では その常識無しにはやれない。
ヘンに目立つ
世界経済が縮小している現在 これまで世界を背負ってきたと自負してきたアメリカや日本の負担が特に際立ているのではないだろうか。苦し紛れか外見を気にしてか ヘンに目立っている。こんな時こそ バタバタせずに落ち着いて 次の一手を思案したら!
新しい政治の土俵
今日は 大相撲秋場所の千秋楽だった。それになぞらえて言うと 世界の若者の400万デモは
政治の土俵を世界に 課題の中心を地球温暖化対策に設定した感がある。
勿論 現実はそんなに容易く事は運ばないだろうが 世界の枠組みを解り易く示した意味は大きく 今後の展開が楽しみであり力を貰う。
大人は学べるか?
世界に広がった子供たち400万のデモは 権威や権力 知識や経験より大切なものがあることを教えてくれる。
各界各分野の指導者は当然だが
私たち大人の一人一人の良心と学ぶ力が同時に問われてる。
特大の一歩
世界の子供たち300万の温暖化対策へのデモ
「自然と人」の基本的な関係を問い直した 有史来の発想の転換と行動ではなかったろうか。
大いに元気をもらい、今後の発展を楽しみをにしている。
世界の進路を地球化へと変える 特大の一歩だった。
嫌なニュースの多いこの世界に こんな予期せぬ素晴らしいニュースがあったんだ。
天晴!子供たち
」「私たちが世界の進路を変えよう」と世界の400万人の中高生中が中心になってデモをした。
天晴れ! 良い夢見て ゆっくり眠ろう 9月21日
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