世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
崇教真光
年も年だし いちいち面倒な説明は省いて 書き記しても好いだろう。
近所の蕎麦屋さんの主人から真光教の機関紙を借りて読んだ。教えの趣旨は天理教同様 共通するところがあったが、社会との具体的な関係
例えば選挙 安全保障 教育ではどう考えているのか、 今度 聞いてみよう。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
いい加減にしてほしいのだが
文科省は5 6 年生の理 算 英 を教科担任制にすると言う。
文科省の狙いは見当付くが 従来小学校は学級担任制 中学以上は教科担任制だった。
小中高生の不登校を含む実態や 国際的な社会人としての資質を考えると
求められるものとは逆行しているのではないか。
科学技術や国際人としての即戦力を養成する目的かもしれないが、逆の結果を生むだろうと思われる。
現場経験の少ない専門家の偏狭で近視眼的な政策がもたらしてきた失敗をまたも教育で積み上げようとしている。全体的な見識を欠いている。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
大事な話題
コロナの正体が解らないとは言え、世界はこのパンデミックで混乱し、収拾できないでいる。
これが現代社会の自然現象に対する問題解決と適応する能力の現状である。
自然との正しい新しい関係を見出す他ない。
そんな議論があまり聞かれない。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
映して見る
人が自然に逆らって活動しているのだから 行き詰まるのは仕方ない
自分のやってることを思い起こせば良いだが 自分の顔は見られない
何かに映して見るといい
コロナでも 台風でも 経済でも 子どもの顔でも何でもいい
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
平和の会話
戦中戦後を子供時代に過ごしてきた自分は 平和への思いは強い。
だから昔の話をするのではなく 今の時代の話をしたい。
平和を願うから 現状や今後が気に掛かる。
世代や立場の違いはあれど 如何なる人も平和を望んでいるだろうから 会話は成り立つはず。 平和の会話がし難い現状を憂う。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
後から気付く 狂った世相
新型コロナウイルスによる世界同時蔓延が 人に何をもたらすかを 人間は解っていないようだ。
感染により健康を損ね命を落としたり経済活動を困難にし、個人や社会の存在そのものを危める。
このことを理解できず対応出来なければ より大きな危険を呼び寄せることになる と考えている。
公的機関やマスコミはその情報を伝えず 対策を講じない。
これらは世界規模で展開しているが 特にこの日本の現状は 大人たちから聞いた戦前の世相と重なる。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
流布する自己中な認識と情報
政府やマスコミの近視眼的な経済認識と同様、世界的な経済関係や政治的な国際関係も不確かなものが目に付く。
国内外の経済や社会は 主観によって変化せず、事物の関係で変化する。
政府もマスコミも事物の関係を基準にしない現状認識の仕方では これまでと同様 今後も報道と実態に大きな相違が生ずるだろう。
と言うことは 日本経済のV字型回復やアメリカを中心にした中国包囲網のストリーは 思惑に反して進行するだろうと推測される。
政府やマスコミは専門家を多用し、専門家が科学的見地を備えているかのような印象を与えているが、大局的な科学的見地を損ないやすい立場でもある。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
経済の悪化は一目瞭然
マスコミの経済の現状に対する認識が近視眼的で実態から大きくかけ離れてい居るとおもっていたら、そのマスコミが政府の認識の甘さを批判する社説が登場した。
認識の相対的な違いだろう。 確かに、これまでの経済政策は 的外れの連続だった。ヒットした政策は見当たらないどころか確実に悪化している。借金残高を見れば一目瞭然。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
近視眼的ななマスコミの経済認識
GDP戦後最悪 年27.8パーセント減 コロナ禍 消費直撃
景気低迷長期化の恐れ 本日の 東京新聞夕刊 1面トップの見出し
他の新聞やテレビ局も同様な認識だと思われるが
他の新聞やテレビ局も同様な認識だと思われるが
(個人的には)この経済認識は 現状から程遠い近視眼的な不明さを感じた。
これでは経済の危機感が伝わらず予測しているとは考えられない。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
意識し難い体制や柵組
経済の効率化は仕事の分業化・細分化・専門化を促した。
細分化された作業は全体像の認識を困難にする。
この表れが 現代社会の行き詰まりではないだろうか。
次々起きる危機的状況の解決に 原因や背景を遡らず、単なる事後処理に終始する傾向は 体制的な仕組みから生まれたもので 本来に戻すのは
簡単でないかもしれない。
アウシュビッツの蛮行を 作業した当事者は認識していなかった事を査証する資料が今になって掘り起こされ 検証されていると言う。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ | 次ページ » |