「東大教授が教える独学勉強法」の購入はコチラ
「東大教授が教える独学勉強法」という本は、小学4年から中学1年の間に親の勤務の都合でシンガポールに住んで自分で判断し自分で勉強するクセがつき、高校に行っているはずの年齢の時はブラジルで参考書や教科書を大量に買い込んで行って自分で勉強し、その後に日本に帰国して大学入学資格検定(大検)試験を受けたあと、シンガポールで慶応議塾大学経済学部の通信教育課程を受け、日本とアメリカの会計士資格の勉強を独学でした著者の経験等から、勉強はどうやってするものなのかを楽しく丁寧に解説したものです。
特に以下については感銘を受けましたね。
・自分の頭で考え、自分自身で判断する力をつけるための手段の一つが独学
・決断を迫られたときや苦しい状況の時には歴史の勉強は大切
・自分の理解のパターンに合った本を探すことがポイント
・独学を続けるためにはテーマや目標をあまり無理して明確にする必要はない
・自分の理解のパターンや無理のないペースを探すために時間をかけていろいろと思考錯誤する期間が必要
・大事なのは自分のやりたいことや目標を探しながらぶらぶらと歩き回ること
・初心者の人が読む本は、ネットで検索ではなく人に聞くのが一番
・本は2回読むことが必要で、1回目はそのまま吸収し、2回目は少し疑問を持ちながら読むことで理解を深める
・本を1回読んだ後は、すぐに2回目を読むのではなく、その前に違うものを読むとより効果的
・入門書や概説書は初めての分野を読むことになるので、目次を見て、必要そうなところだけをとりあえず見てみるでよい。
・マーカーを引くのは2回目か3回目に読むときで良い
・本を読むときには著者立場と読者の立場と行ったり来たりして自問自答しながら読んでいくこと
・ノートにメモする時間と労力があればもう一度本を読み返すこと
・下手に要点をまとめたりようやくをするのはわかった気になるだけでマイナス
・専門書を分かる所だけでも良いので自由に読むこと
・反例を挙げたり、自分自身の理論を組み立てて読むのが理想的
・似たものを「関連づけて」本質を捉えること
・違う分野の勉強もしてそれぞれ補い合うこと
・新しい知識はほかの事例に応用できるか考えること
・基本が大切で、基本から少し変化させることが大切
・学びの成果として自分の言葉でやさしい文章にすることが大切
・論文は独創性(オリジナリティ)が大切
「東大教授が教える独学勉強法」という本は、独学や読書法について分かりやすく説明があり、学びや人生向上のためにもとてもオススメです!
以下はこの本のポイント等です。
・これからは自分の頭で考え、自分自身で判断する力をつけるための勉強が求められる時代になるのです。そして、そのための有効な手段の一つが「独学」だと私は思っています。
・決断を迫られたときや、苦しい状況になったときに、過去の人たちがどのような対処をしたのか、あるいはどのように歴史が動いていったのかを、時間をかけて学ぶことで、自分のこれから生きていく生活に、何かメッセージやヒントが得られれば、それが歴史を学ぶ意義ではないでしょうか。最近、ライフネット生命の出口治明会長が、「仕事に効く教養としての「世界史」」という本を出されて話題になっていますが、あの本も同様のコンセプトで書かれている歴史の本だと思います。単純に事実を知っておしまいというのでは、あまり学ぶ意欲が続かないかもしれませんが、広い意味で、大きな意味で、自分の人生に役に立つ、人生が豊かになっていくのにプラスになるという学び方が良い学びだと思います。
・「能力のある人は、どの本を読んでもわかる。能力のない人はどんな本を読んでもだめだ」-誰もがそう思いがちですが、それは間違いです。ぜひ自分の理解のパターンに合った本に出会うために、自分なりに探してみる試行錯誤をしてほしいと思います。
・独学を続けるには、少しいい加減なくらいの気持ちのほうがうまくいきます。テーマや目標もあまり無理して明確にする必要はありません。すでに「これをやりたい」ということが決まっている資格の勉強なら別ですが、そうでなければ、無理して決めてしまうとかえって自分の可能性を縛ってしまうことになります。
・実際にはじめてみれば、だんだんと思いもかけなかったいろいろな道が見えてくることでしょう。それに応じて臨機応変に道を選びながら勉強するというのでかまわないのです。いや、むしろそうでないとうまくいかないと思います。そう考えると、完璧主義でないほうがむしろ独学には向いていることがおわかりでしょう。完璧主義だと初志貫徹しようとして壁に当たるか、やむなく方針をころころ変えて自責の念にかられるかのどちらかにならざるをえないからです。ですから、どうぞ気楽な気持ちで独学に取り組んでいただければと思うのです。
・まずは、自分の理解のパターンや無理のないペースを探すために、時間をかけていろいろと試行錯誤する期間が必要です。資格試験の勉強のように、やるべきことが決まっている場合というよりは、もう少しやりたいことが漠然としている場合について考えてみましょう。この場合、勉強のテーマをあまり決めてしまわずに、いろいろな本を読んでみることが大切です。そうすると、それまで思いもしなかった分野に興味を持つこともあります。また、評価の高い本や参考書が自分にはまったくわからない場合でも、たまたま手に取ったそれほど知られていない参考書を読むとスッと頭に入ってくるという場合もありえます。ですから、いきなり本格的に勉強に取り組むのではなく、少し時間をかけていろんな試行錯誤をする準備期間を持つことが大切なのです。もちろん、そのためには本を読まなくてはなりませんが、この段階では、最初から最後まで読み通すことが目的ではありません。この段階の読書は、どんなことに自分は興味を持てるのか、どんな学びのスタイルが自分に向いているのかを探るための手段と割り切って考えたほうがよいでしょう。ですから、最初の10ページでやめてしまう本があってもかまいません。
・人によって、この勉強がしたいというものが1週間で見つかる人もいれば、半年ぐらいかかる人もいるかもしれません。それでかまわないのです。大事なのは自分のやりたいことや目標を探しながら、ぶらぶらと歩き回ることです。たとえ、自分は教養として学ぶんだからという人でも、やはり何かの目標を探してみることは必要だと思います。勉強をする際に、目標を探しながら進んでいるのと、あてもなく進んでいくのでは、大きな違いが出るからです。絶えず考えながら歩き回っていれば、必ず求めるものに行きあたります。あてもなくぶらぶらするのとは違うのです。本格的な勉強の前には、試行錯誤の期間を必ず設けたほうがいいと私は思っています。
・初心者の人が読む本としては、きちんと学問を修めている人が書いた本がいいことは言うまでもありません。ただ、一般の人は、誰がきちんとしているのかわからない場合がほとんどでしょう。たくさんの本を書いている人がいいというわけでもないので、その点が悩ましいところです。ネットで検索すればいいかというと、それもまた疑問です。評価の星の数が多ければ良い本だとは残念ながら限られないからです。そういうときは、やはり人に聞くのが一番です。私は、自分が関連していない分野については、なにを読めばいいか迷ったら、自分が信頼できる人に紹介してもらうことにしています。
・本は少なくとも2回読む必要があります。1回目は、書かれているものをそのまま吸収するという意味で内容を理解する。そして2回目は、少し疑問を持ちながらもう一度読むことで理解を深めていくわけです。
・1回読んだあとすぐに2回目を読むのではなく、その前に別のテキストを読んでみる。それからもう一度最初の本に戻るとより効果的な場合が多かったと思います。
・大事なことは、いきなり読もうとするのではなく、とりあえず自分が目指している何か、自分が得たいものやわかりたいことなどをぼんやりとでもいいから持っておくことです。それを少しでも解明したいという目的意識を持って読んでいくと、頭に入りやすいことが多いと思います。
・入門書だからといって、隅から隅まで理解しようと思わないことです。初めての分野では、概説書であっても難しい専門用語が書かれていますから、それをいちいち緻密に調べながら読もうとしたら、間違いなく途中でくじけてしまいます。いわば、入門書や概説書というのは、その分野全体を大づかみにして、どこを深く掘っていきたいかと考えるためのガイドと位置づけたらいいのだと思います。最初は目次を見て、自分に必要そうなところだけを、とりあえず見てみるというのでもいいと思います。必ずしも頭から読む必要もありません。
・1回目は書かれている内容をすべて受け入れるつもりで、ともかく読み進める。その目的は、筆者の考え方なりメッセージなりを理解することです。そこがある程度わかってくるまでは、少し腰を据えて我慢して読むことが必要です。ただし、枝葉の部分や難解な部分には、あまりこだわることなく読み進めることです。最後まで読み進めてみると、途中でわからなかったことも、読み返してみて理解できることもあります。考え方やメッセージがある程度理解できたら、2回目は勘所みたいなものをつかんでいくのです。そのときは、批判的な目を持って疑問を持ちながら読んでいきます。2回目は、興味ある部分を重点的に読んでいくのがいいでしょう。そのうえで、わからないことは、時間をかけて何度も読み直していけばいいのです。
・線を引くならば、2回目か3回目に読むときに引くのがよいでしょう。何回読んでも同じ部分でひっかったり、興味を引かれたりする部分に引けばいいのです。でも、2回、3回読むことで実はポイントが見えてきたら、マーカーを引くこと自体、本当は必要ないのです。もう、ポイントは理解できているのですから。
・疑問を持ちながら本を批判的に読めるようになってきたら、今度は自分の疑問に対する答えを考えていくトレーニングです。その効果的な方法は、本を読むときに、著者の立場と読者の立場と、行ったり来たりして自問自答しながら読んでいくというものです。例えば、まずは読者の立場で、「こういうときはどうなんでしょうか?」と問いかけを発する。そうしたら、次に著者の立場になって考えて、「それはこういう理由なので、そのときも同じことが成り立つ」と答える。さらに、もう1回読者の立場から、「じゃあ、次にこういう場合はどうなのか?」というように、自分の中で問いと答えを繰り返していくのです。自分が出してきた異なる具体例に対して、著者の立場で答えることができてはじめて、「自分なりに考える」と言えるのだと思います。そして、そのプロセスを通じてこそ、書かれたことが自分の身につき血となり肉となるのです。
・私自身ノートにまとめたり、メモをつくるということは、ほとんどしていません。ノートに書く時間と労力があれば、もう一度本を読み返して、自分の頭に入れることが大切だと思うのです。もし、書かないと大事なポイントが頭に入らないのなら、そもそもそれは自分にとって必要ではないことだと思うのです。
・もちろん私も、これまでにまったくメモをとらなかったわけではありません。私は、数字を暗記するようなことが苦手なので、本当に覚えておかなくてはいけないデータはノートにメモをしていました。ただ、それも最近は必要ないと思うようになりました。なぜなら、ネットの検索技術が急速な進歩を遂げたので、いつでもどこでも簡単に必要な数字が引き出せるようになったからです。
・自分が深く考えていくために勉強するというときには、下手に要点をまとめたり要約をするのはマイナスになると思うのです。なぜなら、そうすることで、本当は理解できていないのに、わかった気になってしまうおそれがあるためです。表面をうまくまとめるという作業に意識が奪われてしまい、内容を深く追わないクセがついてしまうのです。
・学者を目指さない人であっても、入門書や概説書を読んで終わりにするのではなく、さらに専門書へと向かっていってほしいと思います。入門書では、その分野のおおまかな考え方や学問の勘所をつかむことはできますが、残念ながら学問のおもしろさは少ししかわかりません。こんな言い方をしたら怒られるかもしれませんが、その分野を専門にしている人から見ると、入門書というのは、出がらしのお茶のようなもので中身が薄いのです。書く立場からしても、特殊な入門書であれば別ですが、一般的なシンプルな入門書にはあまりメッセージを込めることができないからです。だから正直言ってあまりおもしろくありません。その点、専門書になると、著者は自分が言いたいことやオリジナルの発想をダイレクトに書くことができます。一般的には専門書というと堅苦しくて、難解で無味乾燥なイメージを持っている人が多いようですが、そんなことはけっしてありません。むしろ逆です。ですから、読む側としても、そこに込められた思想や考え方を読み解く楽しみがあるのです。
・専門書は、端から端まで精読する必要はまったくありません。関心が持てて食いついけるところを読めばいいのです。入門書は、まずその分野を大づかみに全体像を理解する必要がありますから一応全体を見渡す必要がありますが、専門書はそんなことを気にすることもありません。そもそも特定のことしか書いていないので、その中の半分だけ読もうが3分の1だけ読もうが、まったく問題ありません。
・どんな専門書でも、それぞれ「世の中はこうなるべきだ」「こんな政策をとるべきだ」といったように、独自の主張が展開されています。それに対して、私はいつも「あなたの言っていることには矛盾があるんじゃないか?」「そんな考え方はどんな場合でも通用するわけではないだろう」とけんかをしながら読んでいます。「けんか」という言い方が適切ではないならば、「反論しながら読む」と言い換えればいいかもしれません単に著者のことを批判するのではなく、反例を挙げたり、自分自身の理論を組み立てながら読むのが理想的です。
・反論しながら読むという力は、学者に限らず、これからの時代には欠かせない能力だと思います。自分の頭で考える能力を身につけるというのは、偉い先生が言ったことを鵜呑みにするのではなくて、自分なりに組み立てて、偉い先生とは違う理屈を語れるかどうかだと思うのです。それを意識しているかどうかで、本の読み方はまったく違ってくるでしょう。
・「普遍化」するためには、「これと似たような話はないか」「別の状況でも同じようなことがあてはまらないか」と考えることです。これが普遍化の一つのやり方です。この能力は、学問をするうえでも、実生活でも非常に役に立ちます。ものごとを深く理解する助けにもなりますし、運がよければ新しいビジネスにつながる可能性もあります。また、この能力を養うには、違う学問分野の勉強をしておくことも有効です。現実問題としては、経済学者であっても、経済や金融の理論を知っているだけでは通用しない時代になってきています。一つの専門分野にとどまらず途上国援助や子育てについて議論できるような能力も必要になっています。このような複数の分野を理解することの重要性は、学者に限らず、あらゆる学問や勉強に通じることだと思います。そして、「これとこれは本質が同じだな」「この二つには共通点があるので結びつけて考えることができるな」というように、絶えず関連づけを探し出してくるクセをつけることが大事です。そうやって探すことが、その学問の本質をあぶり出す良い訓練になるでしょう。なぜなら、本質がわかっていないと、表面的に違うもの二つを結びつけることはできないからです。
・一つに集中して勉強していると行き詰まってしまうことがあるのですが、もう一つのことを勉強することで、いろいろと違う発想が広がっていくのです。西洋史とクラシック音楽の例でいえば、それぞれの分野で学んだことが補い合って、時代背景が立体的に見えてくるかもしれません。またクラシック音楽に表現された宗教観を知ることで、西洋史の出来事をより深く理解することにもつながります。より普遍的な構造を見つけやすくなると思うのです。
・「普遍化」と同じように、勉強を深めるために大事な視点に「応用する」というものがあります。学問というのは過去にわかったことを学んで終わりではなく、今、目の前の現実の世界で問題や課題に直面したときに活用できて、はじめて意味を持ちます。そして、学問を現実問題に役立てる際、学問と現実を関連づける能力-「応用する力」が必要になります。いわば、「応用する」ということと、「自分なりの答えを出す」ということは同義と言えます。
・大切なのは、常に何か新しい情報なり知識に触れたら、その話がどこまでほかの事例に応用できるかというところまで考えることです。
・大事なのは、どこまでが一般的に通用する話であり、どこまでがその国の特殊要因だったのかを考えることです。それによって、その国にしか通用しない話なのか、アフリカ全土に通用するのか、それともアジアを含めて世界的にある程度通用するのかということが見えてくるのです。
・応用力をつけるには二つの要素が必要だと私は思います。一つは、まず基本をしっかりと押さえること。基本があっての応用ですから、基本をないがしろにしてはいけません。歌舞伎でも落語でも、若手の演者がまずやることは、ただ真似ることです。自分でバリエーションをつけたりしたら、師匠からこっぴどく怒られるでしょうが、それは基本をまず身につけるべきだという考えがあるからです。また基本が身についていないのに、いくら応用問題を解こうとしても、本質を理解できていないから、ちょっとでも難しい応用問題になると手も足も出なくなってしまいます。もう一つの要素は、基本を身につけたうえで応用に取り組む際に、基本から少し変化させるということです。応用問題の難しさというのは、基本問題のときとは状況が変わっていることにあります。それは当然のことで、状況が変わっていなければ応用にならないからです。ここで難しいのは、状況がどの程度変わっているときに、対応をどの程度変えるかという点です。「このくらいの変化ならば、基本とほぼ同じでやれるかな」「ここまで変化していたら、こちらもこの程度変えなくてはいけないな」という一種の「思考実験」が求められることです。これを私は、「揺らす」と表現しています。頭にいったん入れたことを「揺らす」のです。実は、「別の角度から見たり、状況を変えたりして」考えることこそが、応用問題を解くことでもあるのでs。
・せっかく何かを勉強しているなら、最終ステップとして、学びの成果を文章にして、第三者に伝えるという作業をぜひやってほしいと思います。文章という形にすることは本人にとっても大きな意味があるからです。人に伝えようとしてみることで、自分がいかに理解できていないかがわかり、結果的に自分の理解度も深まります。実際、私自身もこの本を書くことで、独学の意味や仕方等について、ずいぶん頭の整理ができていなかったことに気がつき、そして、改めて勉強をすることの意義や重要性を確認することができました。書くこと、とくに人に伝えようとして書くことは、とても大切なことなのです。
・文章を書くときのポイントは何よりも「自分の言葉で書く」ということです。難しいことではありますが、これは自分の理解を深めるうえで、とても良い練習になります。自分の言葉にするということは、受け入れた情報や知識を鵜呑みにしてそのまま出すのではなく、いったん自分の血や肉にしてからアウトプットする作業だからです。
・文章を書くときのもう一つのポイントは、できるだけ「やさしく書く」ということです。それは、けっして幼稚な言葉遣いという意味ではありません。わかりやすい文章を書こうという意味です。たとえば中学生やお母さん方にも理解できるように書いて、というアドバイスです。人に理解してもらおうと思ったら、できるだけやさしく書くことが大切です。そして、大事な点は、他人と対してだけでなく、自分が本当に理解するうえでも、やさしく書くことが大切だということです。やさしく書くというのは、本質的なことを理解していないとなかなか難しい。どれだけ自分の言葉でやさしく書けるか、それが学問を消化して自分のものとしているかの証明と言ってもよいでしょう。ですから、やさしく書けるかどうかで、理解度を自分自身で確かめることができます。やさしい言葉で説明しにくいところがあれば、そこは自分の理解度が足りない部分だとわかります。だからこそ、やさしく書いてみることが、自分にとっても必要なのです。
・研究者というのは、基本的には良い論文を書くことが仕事です。では、良い論文とはどんな論文でしょうか?人によってあるいは分野によって多少意見が異なると思いますが、一般的に論文の評価は、どれだけ独創性があるか、オリジナリティがあるかで決まります。今までの人たちが言ってきたことと違うことがどれだけ言えるか、新しいことがどれだけ言えるかで、良い論文かどうかが決まります。
良かった本まとめ(2015年下半期)
<今日の独り言>
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「東大教授が教える独学勉強法」という本は、小学4年から中学1年の間に親の勤務の都合でシンガポールに住んで自分で判断し自分で勉強するクセがつき、高校に行っているはずの年齢の時はブラジルで参考書や教科書を大量に買い込んで行って自分で勉強し、その後に日本に帰国して大学入学資格検定(大検)試験を受けたあと、シンガポールで慶応議塾大学経済学部の通信教育課程を受け、日本とアメリカの会計士資格の勉強を独学でした著者の経験等から、勉強はどうやってするものなのかを楽しく丁寧に解説したものです。
特に以下については感銘を受けましたね。
・自分の頭で考え、自分自身で判断する力をつけるための手段の一つが独学
・決断を迫られたときや苦しい状況の時には歴史の勉強は大切
・自分の理解のパターンに合った本を探すことがポイント
・独学を続けるためにはテーマや目標をあまり無理して明確にする必要はない
・自分の理解のパターンや無理のないペースを探すために時間をかけていろいろと思考錯誤する期間が必要
・大事なのは自分のやりたいことや目標を探しながらぶらぶらと歩き回ること
・初心者の人が読む本は、ネットで検索ではなく人に聞くのが一番
・本は2回読むことが必要で、1回目はそのまま吸収し、2回目は少し疑問を持ちながら読むことで理解を深める
・本を1回読んだ後は、すぐに2回目を読むのではなく、その前に違うものを読むとより効果的
・入門書や概説書は初めての分野を読むことになるので、目次を見て、必要そうなところだけをとりあえず見てみるでよい。
・マーカーを引くのは2回目か3回目に読むときで良い
・本を読むときには著者立場と読者の立場と行ったり来たりして自問自答しながら読んでいくこと
・ノートにメモする時間と労力があればもう一度本を読み返すこと
・下手に要点をまとめたりようやくをするのはわかった気になるだけでマイナス
・専門書を分かる所だけでも良いので自由に読むこと
・反例を挙げたり、自分自身の理論を組み立てて読むのが理想的
・似たものを「関連づけて」本質を捉えること
・違う分野の勉強もしてそれぞれ補い合うこと
・新しい知識はほかの事例に応用できるか考えること
・基本が大切で、基本から少し変化させることが大切
・学びの成果として自分の言葉でやさしい文章にすることが大切
・論文は独創性(オリジナリティ)が大切
「東大教授が教える独学勉強法」という本は、独学や読書法について分かりやすく説明があり、学びや人生向上のためにもとてもオススメです!
以下はこの本のポイント等です。
・これからは自分の頭で考え、自分自身で判断する力をつけるための勉強が求められる時代になるのです。そして、そのための有効な手段の一つが「独学」だと私は思っています。
・決断を迫られたときや、苦しい状況になったときに、過去の人たちがどのような対処をしたのか、あるいはどのように歴史が動いていったのかを、時間をかけて学ぶことで、自分のこれから生きていく生活に、何かメッセージやヒントが得られれば、それが歴史を学ぶ意義ではないでしょうか。最近、ライフネット生命の出口治明会長が、「仕事に効く教養としての「世界史」」という本を出されて話題になっていますが、あの本も同様のコンセプトで書かれている歴史の本だと思います。単純に事実を知っておしまいというのでは、あまり学ぶ意欲が続かないかもしれませんが、広い意味で、大きな意味で、自分の人生に役に立つ、人生が豊かになっていくのにプラスになるという学び方が良い学びだと思います。
・「能力のある人は、どの本を読んでもわかる。能力のない人はどんな本を読んでもだめだ」-誰もがそう思いがちですが、それは間違いです。ぜひ自分の理解のパターンに合った本に出会うために、自分なりに探してみる試行錯誤をしてほしいと思います。
・独学を続けるには、少しいい加減なくらいの気持ちのほうがうまくいきます。テーマや目標もあまり無理して明確にする必要はありません。すでに「これをやりたい」ということが決まっている資格の勉強なら別ですが、そうでなければ、無理して決めてしまうとかえって自分の可能性を縛ってしまうことになります。
・実際にはじめてみれば、だんだんと思いもかけなかったいろいろな道が見えてくることでしょう。それに応じて臨機応変に道を選びながら勉強するというのでかまわないのです。いや、むしろそうでないとうまくいかないと思います。そう考えると、完璧主義でないほうがむしろ独学には向いていることがおわかりでしょう。完璧主義だと初志貫徹しようとして壁に当たるか、やむなく方針をころころ変えて自責の念にかられるかのどちらかにならざるをえないからです。ですから、どうぞ気楽な気持ちで独学に取り組んでいただければと思うのです。
・まずは、自分の理解のパターンや無理のないペースを探すために、時間をかけていろいろと試行錯誤する期間が必要です。資格試験の勉強のように、やるべきことが決まっている場合というよりは、もう少しやりたいことが漠然としている場合について考えてみましょう。この場合、勉強のテーマをあまり決めてしまわずに、いろいろな本を読んでみることが大切です。そうすると、それまで思いもしなかった分野に興味を持つこともあります。また、評価の高い本や参考書が自分にはまったくわからない場合でも、たまたま手に取ったそれほど知られていない参考書を読むとスッと頭に入ってくるという場合もありえます。ですから、いきなり本格的に勉強に取り組むのではなく、少し時間をかけていろんな試行錯誤をする準備期間を持つことが大切なのです。もちろん、そのためには本を読まなくてはなりませんが、この段階では、最初から最後まで読み通すことが目的ではありません。この段階の読書は、どんなことに自分は興味を持てるのか、どんな学びのスタイルが自分に向いているのかを探るための手段と割り切って考えたほうがよいでしょう。ですから、最初の10ページでやめてしまう本があってもかまいません。
・人によって、この勉強がしたいというものが1週間で見つかる人もいれば、半年ぐらいかかる人もいるかもしれません。それでかまわないのです。大事なのは自分のやりたいことや目標を探しながら、ぶらぶらと歩き回ることです。たとえ、自分は教養として学ぶんだからという人でも、やはり何かの目標を探してみることは必要だと思います。勉強をする際に、目標を探しながら進んでいるのと、あてもなく進んでいくのでは、大きな違いが出るからです。絶えず考えながら歩き回っていれば、必ず求めるものに行きあたります。あてもなくぶらぶらするのとは違うのです。本格的な勉強の前には、試行錯誤の期間を必ず設けたほうがいいと私は思っています。
・初心者の人が読む本としては、きちんと学問を修めている人が書いた本がいいことは言うまでもありません。ただ、一般の人は、誰がきちんとしているのかわからない場合がほとんどでしょう。たくさんの本を書いている人がいいというわけでもないので、その点が悩ましいところです。ネットで検索すればいいかというと、それもまた疑問です。評価の星の数が多ければ良い本だとは残念ながら限られないからです。そういうときは、やはり人に聞くのが一番です。私は、自分が関連していない分野については、なにを読めばいいか迷ったら、自分が信頼できる人に紹介してもらうことにしています。
・本は少なくとも2回読む必要があります。1回目は、書かれているものをそのまま吸収するという意味で内容を理解する。そして2回目は、少し疑問を持ちながらもう一度読むことで理解を深めていくわけです。
・1回読んだあとすぐに2回目を読むのではなく、その前に別のテキストを読んでみる。それからもう一度最初の本に戻るとより効果的な場合が多かったと思います。
・大事なことは、いきなり読もうとするのではなく、とりあえず自分が目指している何か、自分が得たいものやわかりたいことなどをぼんやりとでもいいから持っておくことです。それを少しでも解明したいという目的意識を持って読んでいくと、頭に入りやすいことが多いと思います。
・入門書だからといって、隅から隅まで理解しようと思わないことです。初めての分野では、概説書であっても難しい専門用語が書かれていますから、それをいちいち緻密に調べながら読もうとしたら、間違いなく途中でくじけてしまいます。いわば、入門書や概説書というのは、その分野全体を大づかみにして、どこを深く掘っていきたいかと考えるためのガイドと位置づけたらいいのだと思います。最初は目次を見て、自分に必要そうなところだけを、とりあえず見てみるというのでもいいと思います。必ずしも頭から読む必要もありません。
・1回目は書かれている内容をすべて受け入れるつもりで、ともかく読み進める。その目的は、筆者の考え方なりメッセージなりを理解することです。そこがある程度わかってくるまでは、少し腰を据えて我慢して読むことが必要です。ただし、枝葉の部分や難解な部分には、あまりこだわることなく読み進めることです。最後まで読み進めてみると、途中でわからなかったことも、読み返してみて理解できることもあります。考え方やメッセージがある程度理解できたら、2回目は勘所みたいなものをつかんでいくのです。そのときは、批判的な目を持って疑問を持ちながら読んでいきます。2回目は、興味ある部分を重点的に読んでいくのがいいでしょう。そのうえで、わからないことは、時間をかけて何度も読み直していけばいいのです。
・線を引くならば、2回目か3回目に読むときに引くのがよいでしょう。何回読んでも同じ部分でひっかったり、興味を引かれたりする部分に引けばいいのです。でも、2回、3回読むことで実はポイントが見えてきたら、マーカーを引くこと自体、本当は必要ないのです。もう、ポイントは理解できているのですから。
・疑問を持ちながら本を批判的に読めるようになってきたら、今度は自分の疑問に対する答えを考えていくトレーニングです。その効果的な方法は、本を読むときに、著者の立場と読者の立場と、行ったり来たりして自問自答しながら読んでいくというものです。例えば、まずは読者の立場で、「こういうときはどうなんでしょうか?」と問いかけを発する。そうしたら、次に著者の立場になって考えて、「それはこういう理由なので、そのときも同じことが成り立つ」と答える。さらに、もう1回読者の立場から、「じゃあ、次にこういう場合はどうなのか?」というように、自分の中で問いと答えを繰り返していくのです。自分が出してきた異なる具体例に対して、著者の立場で答えることができてはじめて、「自分なりに考える」と言えるのだと思います。そして、そのプロセスを通じてこそ、書かれたことが自分の身につき血となり肉となるのです。
・私自身ノートにまとめたり、メモをつくるということは、ほとんどしていません。ノートに書く時間と労力があれば、もう一度本を読み返して、自分の頭に入れることが大切だと思うのです。もし、書かないと大事なポイントが頭に入らないのなら、そもそもそれは自分にとって必要ではないことだと思うのです。
・もちろん私も、これまでにまったくメモをとらなかったわけではありません。私は、数字を暗記するようなことが苦手なので、本当に覚えておかなくてはいけないデータはノートにメモをしていました。ただ、それも最近は必要ないと思うようになりました。なぜなら、ネットの検索技術が急速な進歩を遂げたので、いつでもどこでも簡単に必要な数字が引き出せるようになったからです。
・自分が深く考えていくために勉強するというときには、下手に要点をまとめたり要約をするのはマイナスになると思うのです。なぜなら、そうすることで、本当は理解できていないのに、わかった気になってしまうおそれがあるためです。表面をうまくまとめるという作業に意識が奪われてしまい、内容を深く追わないクセがついてしまうのです。
・学者を目指さない人であっても、入門書や概説書を読んで終わりにするのではなく、さらに専門書へと向かっていってほしいと思います。入門書では、その分野のおおまかな考え方や学問の勘所をつかむことはできますが、残念ながら学問のおもしろさは少ししかわかりません。こんな言い方をしたら怒られるかもしれませんが、その分野を専門にしている人から見ると、入門書というのは、出がらしのお茶のようなもので中身が薄いのです。書く立場からしても、特殊な入門書であれば別ですが、一般的なシンプルな入門書にはあまりメッセージを込めることができないからです。だから正直言ってあまりおもしろくありません。その点、専門書になると、著者は自分が言いたいことやオリジナルの発想をダイレクトに書くことができます。一般的には専門書というと堅苦しくて、難解で無味乾燥なイメージを持っている人が多いようですが、そんなことはけっしてありません。むしろ逆です。ですから、読む側としても、そこに込められた思想や考え方を読み解く楽しみがあるのです。
・専門書は、端から端まで精読する必要はまったくありません。関心が持てて食いついけるところを読めばいいのです。入門書は、まずその分野を大づかみに全体像を理解する必要がありますから一応全体を見渡す必要がありますが、専門書はそんなことを気にすることもありません。そもそも特定のことしか書いていないので、その中の半分だけ読もうが3分の1だけ読もうが、まったく問題ありません。
・どんな専門書でも、それぞれ「世の中はこうなるべきだ」「こんな政策をとるべきだ」といったように、独自の主張が展開されています。それに対して、私はいつも「あなたの言っていることには矛盾があるんじゃないか?」「そんな考え方はどんな場合でも通用するわけではないだろう」とけんかをしながら読んでいます。「けんか」という言い方が適切ではないならば、「反論しながら読む」と言い換えればいいかもしれません単に著者のことを批判するのではなく、反例を挙げたり、自分自身の理論を組み立てながら読むのが理想的です。
・反論しながら読むという力は、学者に限らず、これからの時代には欠かせない能力だと思います。自分の頭で考える能力を身につけるというのは、偉い先生が言ったことを鵜呑みにするのではなくて、自分なりに組み立てて、偉い先生とは違う理屈を語れるかどうかだと思うのです。それを意識しているかどうかで、本の読み方はまったく違ってくるでしょう。
・「普遍化」するためには、「これと似たような話はないか」「別の状況でも同じようなことがあてはまらないか」と考えることです。これが普遍化の一つのやり方です。この能力は、学問をするうえでも、実生活でも非常に役に立ちます。ものごとを深く理解する助けにもなりますし、運がよければ新しいビジネスにつながる可能性もあります。また、この能力を養うには、違う学問分野の勉強をしておくことも有効です。現実問題としては、経済学者であっても、経済や金融の理論を知っているだけでは通用しない時代になってきています。一つの専門分野にとどまらず途上国援助や子育てについて議論できるような能力も必要になっています。このような複数の分野を理解することの重要性は、学者に限らず、あらゆる学問や勉強に通じることだと思います。そして、「これとこれは本質が同じだな」「この二つには共通点があるので結びつけて考えることができるな」というように、絶えず関連づけを探し出してくるクセをつけることが大事です。そうやって探すことが、その学問の本質をあぶり出す良い訓練になるでしょう。なぜなら、本質がわかっていないと、表面的に違うもの二つを結びつけることはできないからです。
・一つに集中して勉強していると行き詰まってしまうことがあるのですが、もう一つのことを勉強することで、いろいろと違う発想が広がっていくのです。西洋史とクラシック音楽の例でいえば、それぞれの分野で学んだことが補い合って、時代背景が立体的に見えてくるかもしれません。またクラシック音楽に表現された宗教観を知ることで、西洋史の出来事をより深く理解することにもつながります。より普遍的な構造を見つけやすくなると思うのです。
・「普遍化」と同じように、勉強を深めるために大事な視点に「応用する」というものがあります。学問というのは過去にわかったことを学んで終わりではなく、今、目の前の現実の世界で問題や課題に直面したときに活用できて、はじめて意味を持ちます。そして、学問を現実問題に役立てる際、学問と現実を関連づける能力-「応用する力」が必要になります。いわば、「応用する」ということと、「自分なりの答えを出す」ということは同義と言えます。
・大切なのは、常に何か新しい情報なり知識に触れたら、その話がどこまでほかの事例に応用できるかというところまで考えることです。
・大事なのは、どこまでが一般的に通用する話であり、どこまでがその国の特殊要因だったのかを考えることです。それによって、その国にしか通用しない話なのか、アフリカ全土に通用するのか、それともアジアを含めて世界的にある程度通用するのかということが見えてくるのです。
・応用力をつけるには二つの要素が必要だと私は思います。一つは、まず基本をしっかりと押さえること。基本があっての応用ですから、基本をないがしろにしてはいけません。歌舞伎でも落語でも、若手の演者がまずやることは、ただ真似ることです。自分でバリエーションをつけたりしたら、師匠からこっぴどく怒られるでしょうが、それは基本をまず身につけるべきだという考えがあるからです。また基本が身についていないのに、いくら応用問題を解こうとしても、本質を理解できていないから、ちょっとでも難しい応用問題になると手も足も出なくなってしまいます。もう一つの要素は、基本を身につけたうえで応用に取り組む際に、基本から少し変化させるということです。応用問題の難しさというのは、基本問題のときとは状況が変わっていることにあります。それは当然のことで、状況が変わっていなければ応用にならないからです。ここで難しいのは、状況がどの程度変わっているときに、対応をどの程度変えるかという点です。「このくらいの変化ならば、基本とほぼ同じでやれるかな」「ここまで変化していたら、こちらもこの程度変えなくてはいけないな」という一種の「思考実験」が求められることです。これを私は、「揺らす」と表現しています。頭にいったん入れたことを「揺らす」のです。実は、「別の角度から見たり、状況を変えたりして」考えることこそが、応用問題を解くことでもあるのでs。
・せっかく何かを勉強しているなら、最終ステップとして、学びの成果を文章にして、第三者に伝えるという作業をぜひやってほしいと思います。文章という形にすることは本人にとっても大きな意味があるからです。人に伝えようとしてみることで、自分がいかに理解できていないかがわかり、結果的に自分の理解度も深まります。実際、私自身もこの本を書くことで、独学の意味や仕方等について、ずいぶん頭の整理ができていなかったことに気がつき、そして、改めて勉強をすることの意義や重要性を確認することができました。書くこと、とくに人に伝えようとして書くことは、とても大切なことなのです。
・文章を書くときのポイントは何よりも「自分の言葉で書く」ということです。難しいことではありますが、これは自分の理解を深めるうえで、とても良い練習になります。自分の言葉にするということは、受け入れた情報や知識を鵜呑みにしてそのまま出すのではなく、いったん自分の血や肉にしてからアウトプットする作業だからです。
・文章を書くときのもう一つのポイントは、できるだけ「やさしく書く」ということです。それは、けっして幼稚な言葉遣いという意味ではありません。わかりやすい文章を書こうという意味です。たとえば中学生やお母さん方にも理解できるように書いて、というアドバイスです。人に理解してもらおうと思ったら、できるだけやさしく書くことが大切です。そして、大事な点は、他人と対してだけでなく、自分が本当に理解するうえでも、やさしく書くことが大切だということです。やさしく書くというのは、本質的なことを理解していないとなかなか難しい。どれだけ自分の言葉でやさしく書けるか、それが学問を消化して自分のものとしているかの証明と言ってもよいでしょう。ですから、やさしく書けるかどうかで、理解度を自分自身で確かめることができます。やさしい言葉で説明しにくいところがあれば、そこは自分の理解度が足りない部分だとわかります。だからこそ、やさしく書いてみることが、自分にとっても必要なのです。
・研究者というのは、基本的には良い論文を書くことが仕事です。では、良い論文とはどんな論文でしょうか?人によってあるいは分野によって多少意見が異なると思いますが、一般的に論文の評価は、どれだけ独創性があるか、オリジナリティがあるかで決まります。今までの人たちが言ってきたことと違うことがどれだけ言えるか、新しいことがどれだけ言えるかで、良い論文かどうかが決まります。
良かった本まとめ(2015年下半期)
<今日の独り言>
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