喫茶去

徒然に、日々の生活を書き留めたいと思います。喫茶去、まあ、お茶でも飲んで、のんびりしていって。

ライオンキング

2021-02-28 | 映画・コンサート・ミュージカル・演劇等

友達に誘われて、

昨日、ライオンキング観てきた。

衣装、歌唱力、演技力…………etc、すごい‼️

名古屋弁もビックリするぐらい上手🙆

感動で、娘誘って、また行くことに。(((^_^;)

 

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近江最古の大社

2021-02-28 | 滋賀県の寺・神社・仏像

白鳳3年(675年)、天武天皇の勅旨で
「比良明神」の号をいただき、

白髭神社は別名を「比良明神」とも言う。

祭神は天孫降臨の道先案内人の猿田彦命。
人の世の総ての導き・道開きの神として信仰されているそう。









神社の前に国道161号線が走っていて、交通量が多く
なかなか渡れないでいるカップル。



多くの歌人や俳人が訪れ、歌を残している。
境内には歌碑や句碑がたくさんあった。

その中で、
「しらひげの 神のみまえに わくいづみ 
これをむすべば ひとの清まる」の歌碑は、
上の句を旦那さんの与謝野鉄幹、
下の句を奥さんの晶子が詠んだ合作なのだそう。


ところで、鉄幹のことを調べていたら、
生まれは京都で、明治22年に得度して、
山口県都濃郡徳山町、現在の周南市の

兄の寺に赴き、その経営になる徳山女学校の教員になり、
ここに在住のとき、鉄幹の号を初めて使ったのだそう。
徳山女学校では国語の教師を4年間勤めるが、
女子生徒との間に問題を起こし退職。
このとき女の子が生まれたが生後間もなく死亡。
次いで別の女子生徒と同棲して一子を儲けたそう。
明治25年、徳山女学校を辞して京都へ帰って、
その後、晶子と不倫の末結ばれて、
6男6女の子どもに恵まれたよう。
鉄幹、恋多き男性だったんだなぁ。

今は周南市だけど、その前は徳山市。
私の故郷の隣の市。
近くに、その昔、鉄幹が住んでいたとは、初めて知って、




 

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