今日で最後だな。
この本が、面白い。
謎多き光秀、益々、謎。(◎_◎;)
忍者だったり、本能寺の変後も生きていたり・・・・
生存説では
この有名な明智光秀の肖像画、
日本で唯一だそうだけど、所蔵しているのが
大阪岸和田市にある臨済宗の本徳寺。
肖像画には「輝雲道琇禅定門肖像賛」と書いてあり、
寺にある位牌には「鳳岳院殿輝雲道琇大禅定門」と。
この戒名の「輝」「琇」の字のなかに
「光秀」という名前が隠されているという。
位牌の裏には「慶長四年 月 日」とあるだけで、
月日の記入はないのだそう。
慶長四年は1599年、本能寺の変は1582年。
最近も、本能寺の変のエピソードが記された古文書に
光秀本人は本能寺には行かなかったなどと
書かれていたことがわかったというニュースが。
私が中学?高校?の頃は
鎌倉幕府の成立は1192年(いいくに)と教わったけど、
今は1189年(いいはこ)らしい。
また、光秀、生き延びて、
家康に仕えた僧の天海説もあり、
子どものころ、歌って遊んだ「かごめかごめ」の歌の中に、
「後ろの正面誰」という歌詞があるけど、
正体は光秀で、光秀の出身地の岐阜県可児市から
日光東照宮(創建に天海が深く関わった)の方向を向くと、
後ろの正面は本徳寺のある大阪岸和田市になるそうで、
これが光秀が天海説の証拠だと。
歴史は定説がくつがえったり、
いろいろな人がいろいろな説を、
童謡に暗号が隠されていたり、
地域で伝わっている俗謡など、
歴史は実に面白い。
今夜の「麒麟がくる」、待ち遠しい!