cafe燈さん前に、
銅山の守護神、大山津見命(大山祇命)が祀ってあった山神社が。
今はご神体は同じ村内の高草八幡神社に移され
そちらで合祀されている。
1873年(明治6年)から三菱の創始者の
岩崎弥太郎が吹屋銅山の経営に着手し、
玉垣などを寄進しているのだそう。
その関係からか、玉垣や鳥居(見えないが扁額の上)に三菱のマークが。
他にもあったみたいで気づかなかった。
本山 山神社*高梁吹屋
町並みの屋根は
ベンガラ色の石州瓦で、美しい。
cafe燈さん前に、
銅山の守護神、大山津見命(大山祇命)が祀ってあった山神社が。
今はご神体は同じ村内の高草八幡神社に移され
そちらで合祀されている。
1873年(明治6年)から三菱の創始者の
岩崎弥太郎が吹屋銅山の経営に着手し、
玉垣などを寄進しているのだそう。
その関係からか、玉垣や鳥居(見えないが扁額の上)に三菱のマークが。
他にもあったみたいで気づかなかった。
本山 山神社*高梁吹屋
町並みの屋根は
ベンガラ色の石州瓦で、美しい。
宿で朝食を摂り、町を散策していたら、
町並みの外れに、cafe燈が。
「高梁紅茶」のメニューが目に入って、
お店に入ったら、まだ、開店前だった。
「お食事ですか」と聞かれ、
「高梁紅茶が飲みたくて」と言ったら、
飲み物ぐらいだったらと、出していただけた。
開店の準備で忙しくされていたのに、
ありがとうございました。
旅行をすると、その土地のお茶、
特に和紅茶やその土地ならではの
変わったお茶に目がいって、味わて見たくなる。
お茶って、生活に密着していて、
育つ北限はあるにしても、
日本のいたるところでお茶の木は育てられ、
土地土地のお茶があるのだと、
つくづく思った。
吹屋を知るきっかけは多治見るこみち・その1。
すごく興味が湧いて、
青春18きっぷを使って、
即、吹屋行きを決行した。(*´ω`*)
立つ日の朝、バスを待つ間に。
まだ静まり返っている。
ベンガラ屋
このお店で、帽子を持ってこなかった夫が
珍しく自分の小遣いで
ベンガラ染めの防止を買ってた。
私は、
ベンガラの染料を買った。
ベンガラは赤だけと思ったら、
黒と黄があるのに驚いた。
郷土館の2階から
診療所があるというので入ってみた。
ベンガラ屋さんで
広兼邸までは食事するところがないから、
ここで食べて行った方がいいと教えていただき、
お昼を摂った松栄館(昔旅館だったらしい)の店内。
小腹が空いたときにと、ここで買った山菜おにぎりが、
民家の軒先で売ってた1パック100円のプチトマトと共に
翌日の朝食になり助かった。
杉の木の茂る細い山道を真っ暗な中、
ネットに出てくるような町並みがあるのかしら、
いや、銅山やベンガラで栄えた町だから
豪商が贅を尽くした町があってもおかしくない。
と、頭の中で不安を払拭しながら。( ^-^; )
翌日明るくなって、
タイムスリップしたような別世界に来たような、
標高550mの山間とは思えないような町並みに感動。
1972年(昭和47年)に閉山し、
銅山とベンガラ製造で栄えた吹屋の町並みに、
残った住民たちが歴史的・文化的価値があることに気づき、
町並みの保存活動が積極的に行われ、
1977年(昭和52年)に
国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。
町の人たちはとてもフレンドリーで、
この町をとても愛していることが伝わってきた。
備中高梁駅からバスに乗った時は
まだ明るかった。
そのうち日も沈んで、暗い細い山道を、
乗客は私たち2人と
高校生らしき男女2人、年配の女性の5人だけ。
途中泊まる宿の道案内が出ていて、
運転手さんにここで降りたほうが良いのかたずねると、
終点でよいとのこと。
その会話を聞いていたのか、
男の子が下車する時、わざわざ、
宿までの行き方わかりますかと声をかけてくれ、
行き方を教えてくれた。
こんな山の中(標高約550メートル)に、
ネットで見たあんな町並みがあるのかしら、
暗闇の中で、宿の行き方わかるかなと、
そんな不安な気配を感じてくれたのか・・・・
なんて優しい男の子なんだ。
どうもありがとう。
バスを降りると、
宿の人が車で迎えに来てくれていた。
みんな優しいなぁ。
宿の、ラ・フォーレ吹屋。
1873年(明治6年)に開校し、
2012年(平成24年)に廃校になった、
宿の前にある旧吹屋小学校、
現役時は日本最古の小学校校舎だったそう。
その校舎を真似て、
ラ・フォーレ吹屋は建てられたのだそう。
宿の中庭
宿に飾ってあったリース
手作り満載の、素朴な宿だ。
「紅」つながりで、吹屋ふるさと村をもっとアピールしようと
「紅辛(べんがら)唐辛子プロジェクト」を立ち上げ、
町並みのあちこちに、プランターで唐辛子が育てられていた。
入った建物ごとに、色々な唐辛子のリースが飾ってあった。
吹屋は唐辛子の赤(紅)が本当に似合うな。
追記
「吹屋」の名前の由来は
金属精錬をする事を吹くと呼び、
『吹く職人』(=鋳物師)が集まっている集落
ということから、「吹屋」となったのだそう。
昭和52年(1977年)に
国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。