浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

今日の講演

2013-06-22 22:14:29 | 日記
 今日静岡で「地域史研究からみた植民地責任」というテーマで話した。

 日本は、あるいは日本人は、戦争中は「一億玉砕」(当時は、朝鮮人や「台湾人」をいれないと一億人にはならない)、「一億火の玉」、「一視同仁」などといって、朝鮮半島に住む「大日本帝国臣民」である朝鮮人を戦争に駆り立てた。ところが、戦争が終わると、朝鮮人や「台湾人」のことをさっと忘れ去った。日本民族は、忘れ方がひどい。

 補償はしない、「在日」を差別はする、今では新大久保などで、ここに記すことはできないような罵詈雑言をコリアンに浴びせかけている。

 そういう日本人の意識に、社会意識としての「帝国意識」がある、ということを話した。もちろん「帝国意識」といっても、日本の場合は、「アジア蔑視」と「西洋崇拝」あるいは「対米隷従」とセットになった「帝国意識」である。だからボクはこれを「日本的帝国意識」と呼ぶ。

 そうした意識と闘わなければならないと話したつもりである。

 最初に総会が行われていたが、何とも元気のない会合であった。その後に行われたボクの講演で、どうにか元気になって帰って行かれたようだ。ボクは他人にエネルギーを与えられるようなのだ。どんな状態でも、元気であるということを、他人に見られるように生きている結果だろうか。

 しかし時に、ボクも誰かからエネルギーをいただきたいと思うことがある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

都合と自己責任

2013-06-22 22:04:12 | 日記
 みずからの言動には、当然責任が伴います。実を言うと、ボクはシンボウジロウというタレントはあまりしらない。昨日のニュースで、遭難しかかったヨットから救助されたことは知っているが。

 そのシンボウという人、聞くところによると「自己責任論」をテレビで叫んでいたそうな。

 シンボウという人を、このブログは厳しく批判する。


http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-4475.html

 まあ、今まで他人に対していろいろ厳しく言う奴ほど、自分のことは責めない。自分自身のことを振り返ることができ、みずからを客観的にみることができる人、あるいは創造力の豊かな人は、他人のことをぐちぐち言わない。

 テレビにしても、政界にしても、前者の人が多すぎる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする