浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

なるほどね

2013-06-23 20:31:37 | 日記
 東京都議選、自公が躍進という速報が流されてきた。東京都民は自民党がお好きであることは、今まで東京都知事に石原慎太郎を据えていたことからわかっている。

 何も考えない人々が多いということでもある。マスメディアは、『読売』、『産経』、『朝日』など、基本的に自民党の「味方」だから。もちろんテレビメディアもだ。そうした機関の情報にのせられ、その企図通りに動くのだ。そして若者は、2チャンネル。

 自民党の政策は新自由主義。富裕者や大企業をより豊かにし、庶民の生活をないがしろにしていくというもの。庶民も、それがよいようだ。

 人々の行動。こういう政策が続くとこういう困難が生まれる、とボクらは予測して警告する。だが人々は、そんなことには関心を示さずに生きていく、そしてその困難にぶちあたると必死にその困難を乗り越えようと努力する、これは当然のことであるが、その困難がなぜ生じてきたのかには思いをはせない、そしてその困難がなくなると、それを忘れてしまう。

 今までも、これからも、庶民はそうして生きていく。現在のマスメディアは、そうした庶民の生き方に親和的である。



 
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自己責任論者・辛坊氏に関するブログ

2013-06-23 18:51:40 | 日記
 紹介だけします。興味があったら読んでください。

http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1468.html

 
 政府は、何があっても、国民を救出する義務があります。あの時の「自己責任論」はふつではなかった。高遠さん等に対するバッシングが、辛坊氏にも行われるのだろうか。行われなかったら、「差別」だし、行われたらそれも問題だ。
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6/23は「慰霊の日」

2013-06-23 18:32:15 | 日記
 今日は、沖縄戦終結の日とされている。沖縄では戦争に関する行事が行われているはずだ。ボクらも、沖縄の歴史や、沖縄戦の諸相、戦後沖縄がおかれた状況、そして今の沖縄を想起しなければならないだろう。

 某社の新人記者によって「極左」といわれた『中日新聞』の今日の「社説」を貼り付けておこう。ボクは、こういう社説を掲げる新聞社が、「極左」といわれるなら、「極左」って正しい!と思ってしまう。

 事実を、豊かな感情で包むという文章も、あってよい。

 
「島守」と慕われた知事   2013年6月23日

 きょうは沖縄県の慰霊の日です。激烈な地上戦で強いられた県民の犠牲を思うとき、「島守(しまもり)」と今も慕われる一人の知事を思い出さずにはいられません。

 島田叡(あきら)さん。太平洋戦争末期、国内で唯一、住民を巻き込んだ大規模地上戦となった沖縄戦で散った、沖縄県最後の官選知事です。

 神戸市出身で東京帝国大学から内務省に入省した島田さんは主に警察畑を歩みます。愛知県警察部長(現在の県警本部長に相当)、大阪府内政部長を経て、沖縄県知事就任の打診を受けます。当時の知事は住民による選挙ではなく任命制でした。

◆死を覚悟した赴任

 一九四五年一月のことです。すでに敗色は濃く、県庁のある那覇市も前年十月の大空襲で、市街地の大半が焼失していました。

 本土への進攻の途上、いずれ米軍が上陸し、地上戦の舞台となることが予想される、緊迫した戦況下での打診です。死をも覚悟しなければなりません。

 いくら戦時中とはいえ断ることもできたでしょう。しかし、大学野球のスター選手でスポーツマンだった島田さんには、逃げるに等しい選択肢はありませんでした。

 島田さんは赴任を即決し、その月の終わりには単身、沖縄県入りして、執務を開始します。

 戦時の知事として最も力を注いだのは県民の犠牲を最小限に食い止めることでした。米軍の激しい攻撃にさらされながらも、県民の疎開と食糧の確保に尽力します。

 その仕事ぶりと人がらで、沖縄の人たちの信頼を得るまでに時間はかからなかったようです。

 四月に入ると米軍は沖縄本島への上陸を始め、日本の沖縄守備軍との間で激しい地上戦が展開されました。しかし、物量に勝る米軍です。守備軍は徐々に追い詰められ、南部へ撤退します。

◆「特別ノ御高配ヲ」

 島田さんも少数の県職員らとともに地下壕(ごう)を転々としながら南部に移動しますが、もはや県政の執行は困難です。六月九日、県組織の解散を命じました。命を無駄に投げ出さないように、と訓示して。

 沖縄戦では、海軍陸戦部隊を率いる大田実少将による海軍次官あて「沖縄県民斯(カ)ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」の打電が知られています。

 これは、本来報告すべき県組織がすでに通信手段を失っていたため、代わりに打電したものでした。大田少将と島田さんとは「肝胆相照らす仲」だったといいます。沖縄県民に対して後世特別の配慮を、というのは島田さんの願いでもあったのでしょう。

 そして六月二十三日。本島南部の摩文仁(現糸満市)に追い詰められた守備軍司令官の牛島満中将が自決し、日本軍の組織的戦闘は終わります。島田さんもこの時期に摩文仁で最期を迎えたとみられますが、遺骨は見つかっていません。四十三歳という若さでした。

 沖縄は、焦土と化した日本の中でも、原爆投下の広島、長崎とともに、特に大きな犠牲を強いられました。約六十万県民の四分の一が亡くなったといわれています。

 日本の独立回復後も沖縄は七二年まで米軍統治下です。「銃剣とブルドーザー」で土地が強制収用され、基地が造られていきます。

 本土復帰から四十年余りがたつ今も在日米軍基地の74%が沖縄に残り、県民は騒音や事故、米兵による事件など重い基地負担に苦しんでいます。基本的人権の尊重をうたう日本国憲法よりも米兵らの法的特権を認めた日米地位協定が優先され、県民の人権が軽んじられるのが現状です。

 こうした状況の抜本的改善なくして、沖縄に本当の意味での「戦後」「復帰」は来ないのです。

 きょう、摩文仁の平和祈念公園で沖縄全戦没者追悼式が開かれ、安倍晋三首相が出席します。今年は外相、防衛相も初の参列です。

 沖縄に寄り添う姿勢を示し、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への「県内移設」に県民の理解を得たいのでしょう。でも、県内で基地をたらい回ししても、基地負担は減りません。

◆犠牲を強いる構図

 米軍基地の重い負担を沖縄に押し付け、平和という果実を本土が享受する構図は、本土防衛の時間稼ぎのために沖縄を「捨て石」にした先の大戦と同じです。

 摩文仁には戦後、島田さんや県職員を慰霊する「島守の塔」が建立されました。島田さんは沖縄のために尽力した「島守」と、今も県民に慕われています。 

 その島田さんが、沖縄の現状を見たら、何と思うでしょう。

 すべての国民が、沖縄の痛みを自分のこととしてとらえ、その改善に少しでも前進しなければなりません。それが、死を覚悟して沖縄に赴任した島田さんの思いに応えることになると思うのです。






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体制的であることが「正しい」?

2013-06-23 08:57:36 | 日記
 ジャーナリストは、現状に対する批判意識を持たなければならない。しかし昨今の新聞記者らには、ジャーナリストとしてのそうした気概はないようだ。もちろん、『東京新聞』の「特報欄」担当者のように、鋭く現実に斬り込む記事は時には見える。そうした新聞記者等には頑張っていただきたい。

 だが新聞は総体として、支配層の翼賛機関に堕している。そして新聞経営者たちもそうした機関と化している状態を積極的に是認している。

 最近、新聞を読まない人が増えている、という。ボクは新聞は必要だと思ってはいる。というのも、確かにインターネットや雑誌などでも情報は手に入るが、その場合の情報は自らが欲したから手に入るのであって、自らが気がついていない情報には接することができない。しかし新聞は、様々なことが掲載されているから、自らが気がつかなかった情報、あるいは異なった視点からの情報を手に入れることができる。

 だが、しかし新聞に掲載されている情報が「官許」のものがほとんどであったなら、新聞は国家の情報操作の手段ということになる。現在の新聞、あるいはとくにNHKのニュースなどは、まさにそうした性格をもつ。だから、積極的に新聞を読めとはいえないこともある。

 そして記者たちも、そうした機関と化している新聞に疑いを持たない。

 若者たちと話していて、インターネットから情報を得ているな、と思うことが多くなってきた。2チャンネルで流されている何の根拠もない、学問的裏付けに欠ける情報で満足しているようだ。まあ、学校で行われている情報教育というもののなかに、インターネットで情報を得るというものがあるという。子どもたちはそうした訓練を受ける。インターネットの情報には、歪曲されたもの、真実ではないもの、あきらかに虚偽のもの、あるいは十分に学問的検討が加えられていないものなど、いい加減なものが多い。ボクは、基本的にはインターネットの情報で論を組み立てることはしない。やはり文献や資料を用いる。そうしないと、その論は「砂上の楼閣」になりかねないからだ。

 インターネットからの情報に依存している者に批判的な精神は育たない、と思う。それらの情報は、第三者の審級をまったく受けていない。情報を発したい者は、ストレートに、いかにひどい表現であっても、それをある意味「公共的」なインターネット空間に載せることができる。そしてその情報を信ずる者が現れる。

 残念ながら、日本の教育は暗記中心であって、教科書に書かれてることは「正しい」ものとして取り扱われる。そうした教育を受けてきた日本人は、「疑う」という点において訓練されていない。あるいは、自らが様々な資料や文献を批判的に検討する中で一定の見解をつくりあげるという訓練も、大学以外では受けることはない。

 そういう訓練を受けていないと、批判的な精神は育たないだろう。

 批判的な精神を持つ若者はいなくなっている。由々しき問題だ。

 信じられないけれども、『東京新聞』を“極左”だと断じる新人記者もいるという。体制的であることが「正しい」と思い込んでいる人々が、今、記事を書いている。

 このリンクを読んで欲しい。


http://jcj-daily.seesaa.net/article/367164604.html
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