浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

おや?

2013-06-18 13:02:45 | 日記
 『図説藤枝市史』が送られてきた。知り合いが多く参加しているので、その関係で送られてきた。

 ぱらぱらと読んでみたのだが、一部に、町田の住人が激怒するような記述を発見した。

 「ええじゃないかと藤枝の人々」という項目である。その最初の書き出しを引用しよう。

 幕末の日本列島を民衆の熱気が包みました。ええじゃないかの乱舞です。大井神社(藤枝市本町)の神職の日記によると、藤枝宿では慶応3年(1867)9月10日から御札降りが始まり、11月初旬まで約2か月の間、宿場内の各所で御札降りに端を発した祭りが連日行われました。記録が残っているものだけで、藤枝地域では87件、1日2件以上の降札がありました。伊勢神宮(三重県)の御札をはじめ、遠くは金比羅社(香川県)から、近くでは大井神社や満願寺(藤枝市郡)の御札まで降りましたが、秋葉神社(浜松市天竜区)の御札がたくさん降ったのが特徴です。

 まず「日本列島を」という書き出しがよいかどうか。これではええじゃないかが「日本列島」全体を覆ったかのように受け取れるのではないか。。『広辞苑』では、「北海道・本州・四国・九州および付属島嶼から成る列島」とある。実際は東海、近畿、四国などの地方に起きているもので、北海道では起きてはいない。誤解を招きやすい書き方である。

 また幕末期には、「秋葉神社」はない。「秋葉三尺坊大権現」はあったが。

 せっかく、別項「秋葉山と火坊」があって、そこでは「秋葉権現のお札」と書かれているのに。なおこの項でも、文末に「秋葉寺と権現社も神仏分離政策により秋葉神社に変わっていきました」とある。秋葉寺や権現社が「秋葉神社」に「変わった」わけではない。秋葉神社は、神仏分離政策の展開のなかで、創建されたのである。

 これについては、町田の住人が鉄槌を下すだろうから、この後は町田の住人にお任せしたい。
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福島・東電原発事故は終わっていない!!

2013-06-18 11:47:11 | 日記
 報道されないことは、知りえない。しかし報道されるべきであることは、何としても手に入れなくてはならない。

 権力を持っているものは、都合の悪い情報は流さないし、時には嘘の情報を流すこともある。マスメディアも、基本的にはそれに協力している。

 だがボクたちは、知るべきことを広めていかなければならない。ボクは、下記の文を読むことを薦める。

 http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-3056.html

 http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-3058.html

 http://www.youtube.com/watch?v=ZfwJb5fYzEY&feature=youtu.be&t=1h13m14s


たいへんな事態が続いている。
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