昨日、今日は御殿場市にある駿河療養所、そして神山復生病院を訪問し、静岡県出身のものもとハンセン病患者の方々から話しを聞いてきた。
聞き取りは、もうすでに何回かしているが、駿河療養所でのそれはそれぞれ二回目となる方々だ。初対面の前回と比べ、いろいろ詳しい話しを聞くことができた。
いつ頃発症されたか、故郷はどこか、今でも家族との交流はあるかなど、かなりぶしつけな質問をなげかけた。それに対して濃淡はあるが、かなり重い話しを聞かせてくれた方がいた。発症以来、故郷には一度だけ帰ったことがある、家族に迷惑がかかるから・・・とかのお答えに、ハンセン病という病のもつ非情さを教えられた。病気そのものが非情である上に、さらに国家が患者たちを強制隔離するなど、「療養所」であるにもかかわらず「療養」とは名ばかりの処遇についても考えさせられた。
しかし、もと患者さんたちは、過去のことばかりにこだわるのではなく、過去と比べれば現在の環境はよくなっているので、未来志向で考えていきたいと語っていた。
もと患者さんたちの善意の言葉と、国側の国立の療養所に対する冷たい方策。
現在の社会の在り方と通底するこの問題について、もっと積極的に取り組まなければならないと思った。
聞き取りは、もうすでに何回かしているが、駿河療養所でのそれはそれぞれ二回目となる方々だ。初対面の前回と比べ、いろいろ詳しい話しを聞くことができた。
いつ頃発症されたか、故郷はどこか、今でも家族との交流はあるかなど、かなりぶしつけな質問をなげかけた。それに対して濃淡はあるが、かなり重い話しを聞かせてくれた方がいた。発症以来、故郷には一度だけ帰ったことがある、家族に迷惑がかかるから・・・とかのお答えに、ハンセン病という病のもつ非情さを教えられた。病気そのものが非情である上に、さらに国家が患者たちを強制隔離するなど、「療養所」であるにもかかわらず「療養」とは名ばかりの処遇についても考えさせられた。
しかし、もと患者さんたちは、過去のことばかりにこだわるのではなく、過去と比べれば現在の環境はよくなっているので、未来志向で考えていきたいと語っていた。
もと患者さんたちの善意の言葉と、国側の国立の療養所に対する冷たい方策。
現在の社会の在り方と通底するこの問題について、もっと積極的に取り組まなければならないと思った。