浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

メディア批判

2013-06-27 20:49:36 | 日記
 ボクは、メディアの不甲斐なさをしばしば指摘しているが、一向に軌道修正されない。マスメディアは「権力の翼賛機関」としての位置に満足しているのだろう。

 メディア批判は、『世界』連載の神保太郎氏の「メディア批評」がよいが、マガジン9の柴田鉄治氏の「メディア時評」もよい。

 ここにそのアドレスを貼り付けておく。

http://www.magazine9.jp/shibata/130626/

 マスメディアは、「報道しない」、「報道はしても批判しない」というかたちで、権力を支えている。「批判精神」がなければジャーナリズムとはいえず、単なる政府の広報機関でしかないのである。
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自民党憲法草案(その10)

2013-06-27 11:02:12 | 日記
 この自民党憲法草案に、「新しい人権」を新たに書き加えたと、自らを礼賛している。

 『Q&A』は、こう書いている。

日本国憲法改正草案では、「新しい人権」(国家の保障責務の形で規定されているものを含む。)については、次のようなものを規定しています。
(1)個人情報の不当取得の禁止等(19 条の2)
いわゆるプライバシー権の保障に資するため、個人情報の不当取得等を禁止しました。
(2)国政上の行為に関する国による国民への説明の責務(21 条の2)
国の情報を、適切に、分かりやすく国民に説明しなければならないという責務を国に負わせ、国民の「知る権利」の保障に資することとしました。
(3)環境保全の責務(25 条の2)
国は、国民と協力して、環境の保全に努めなければならないこととしました。
(4)犯罪被害者等への配慮(25 条の4)
国は、犯罪被害者及びその家族の人権及び処遇に配慮しなければならないこととしました。

なお、(2)から(4)までは、国を主語とした人権規定としています。これらの人権は、まだ個人の法律上の権利として主張するには熟していないことから、まず国の側の責務として規定することとしました。


 19条の2は、重大な問題を有するのであとから論じるつもりであるが、それ以外の事項については、国の「責務」、あるいは「配慮」としてあり、「義務」とされているわけではない。逆に、なぜ国民の権利にしないのか、きちんとやるつもりがないからだろうと思う。たとえば、こうすればいいのだ(でも、別に現行の人権規定から、すでに環境権などは権利として確立されているから、あえてこうした条文をつくる意味はないのではないか)。

 国民は、健康的な、より良い環境を享受できる権利を有する。

 国民は、国政上の行為につき、説明を求める権利をもつ。
     

 さて次は第24条である。自民党憲法草案を掲げる。

第二十四条 家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。
2 婚姻は、両性の合意に基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
家族、扶養、後見、婚姻及び離婚、財産権、相続並びに親族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

現行憲法は以下の通り。

第二十四条  婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
 2  配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。


 なぜか、自民党憲法草案では、現行憲法の「婚姻は、両性の合意のみに基いて」から、「のみ」をカットしている。婚姻の成立をそれ以外の要因を含めようというのであろうか。

 草案の第3項、現行憲法の第2項の異同については、その趣旨がわからないので指摘だけにとどめる。

 問題は、憲法草案に家族の規定が盛り込まれていることだ。おそらくこれは、家族の扶養義務を強化しようとしているのだろう。

 憲法を、国家が国民に守らせたい規則を記した、いわば「御触書」にしたいという意向が、ここでも確認できる。
 
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自民党憲法草案(その9)

2013-06-27 10:42:31 | 日記
 次は「表現の自由」についてである。

 まず現行憲法の条文を掲げる。

 第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
     2  検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。


 さて次は自民党憲法草案の方である。

第二十一条  集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
     2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない
     3 検閲は、してはならない。通信の秘密は、侵してはならない。


 問題は、第2項である。『Q&A』にはこう説明されている。

  公益及び公の秩序を害することを目的とした活動等の規制(21 条2 項)

   オウム真理教に対して破壊活動防止法が適用できなかったことの反省などを踏まえ、公益や公の秩序を害する活動に対しては、表現の自由や結社の自由を認めないこととしました。内心の自由はどこまでも自由ですが、それを社会的に表現する段階になれば、一定の制限を受けるのは当然です。


 「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」というとき、「公益及び公の秩序を害する」を、誰がどういう根拠に基づいて判断するのか、ということがきわめて問題である。こういう抽象的な文言は、警察など公安関係の視点から解釈されることは予想されることであり、そうなるときわめて恣意的なものになっていくだろう。この条文が、体制に批判的な活動や結社を認めないという根拠となることは、ほぼ間違いない。

 自民党関係者は、政府などへの批判などもってのほかであり、公的な機関が言うことを国民は黙って聞いているべきだと考えているからだ。
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自民党憲法草案(その8)

2013-06-27 09:58:11 | 日記
 人権の続きである。

 現行の第18条は以下の通りである。

何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。

 内容的には、これで十分なのに、自民党憲法草案ではこう変えたいというのだ。

第十八条 何人も、その意に反すると否とにかかわらず社会的又は経済的関係において身体を拘束されない。
     
   2 何人も、犯罪による処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。


 2については、現行憲法と同じだから、問題はない。第一項は、問題である。

 まず第1に「その意に反すると否とにかかわらず」という語句の意味が定かでないこと、現行では「いかなる」ということで包括的に「奴隷的拘束」を禁止しているのだが、自民党憲法草案では「社会的又は政治的関係において」という条件付きとなっている。政治的、軍事的関係においては、「身体を拘束」される可能性があるということだ。つまり徴兵制への道をつくろうとしているとしか思えない。

 次は第20条。これが自民党憲法草案の条文である。

第二十条 信教の自由は、保障する。国は、いかなる宗教団体に対しても、特権を与えてはならない。

   2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

   3 国及び地方自治体その他の公共団体は、特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない。ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない


 現行憲法と比較してみよう。

第二十条  信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない
    2  何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
    3  国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。


 まず第1項の比較。現憲法にある「宗教団体」は「政治上の権力を行使してはならない」が消えている。これは公明党・創価学会への配慮か。自民党憲法草案は、少なくとも宗教団体が「政治上の権力を行使する」ことを否定していないということでもある。

 第2項は同じ。第3項が問題である。自民党憲法草案には但し書きがあって、おそらく戦前の国家神道を戦後の今日においても合憲化したいのだろう。この後で検討するつもりであるが、自民党は「自衛隊」ではなく「国防軍」を設置し、「集団的自衛権」のもとに世界各地での軍事行動を展開させようとしている。となると、戦死者がでる可能性があり、そうなると戦前と同様に「靖国神社」へ祀るということになろう。彼らは「靖国神社」への合祀・参拝などを「社会的儀礼又は習俗的行為」として認知させたいのである。

 「戦前」への逆行が、ここにある。
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自民党憲法草案(その7)

2013-06-27 09:29:08 | 日記
 人権に関することを続ける。

第14条は、言うまでもなく「法の下の平等」の規定である。第一項については「障害の有無」ということを挿入したほかは変わりはない。第2項は、現行は「華族その他の貴族の制度は、これを認めない。」であるが、これを草案では「華族その他の貴族の制度は、認めない。」とした。「これを・・」とあるところは修正している。なぜ修正したのか。「翻訳調」であるからということらしい。しかし、自民党関係者が復帰したがっている大日本帝国憲法にも、「第4条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」と、「之ヲ」を使用している。彼らは大日本帝国憲法を参照しなかったのだろうか。

 さて問題は第3項である。現行はこうなっている。

 3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

 自民党憲法草案はこうだ。

 3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

 下線部の「特権」についての言及がない。おそらくこれは、戦前の軍隊に存在した金鵄勲章(「武功抜群」の者に与えられた)の復活を企んでいるのではないだろうか。この勲章には年金という「特権」がついていた。自民党は、「特権」つきの勲章制度の「復活」を狙っているのだ。

 そして第15条。自民党諸兄は、拝外主義的なイデオロギーの所有者である。というのも、草案には「公務員の選定を選挙により行う場合は、日本国籍を有する成年者による普通選挙の方法による。」としてあるからだ。近年、地方政治に関しては、外国人にも投票権を与えるという国が増えている。最高裁の判決でも、外国人の地方参政権は「政策」の問題であるとされているにもかかわらず、このような規定を設けるのは、とにかく外国人の参政権は、いかなるレベルでも認めないということなのだろう。

 現行の日本国憲法では、こうなっている。外国人参政権を否定しているわけではない。

公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。

 ボクたちは、この草案を検討することによって、自民党とはいかなる政党なのであるかを知ることができるようだ。

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日本的帝国意識の実状

2013-06-27 06:52:31 | 日記
 尖閣や竹島問題に関してナショナリスティックな対応をする人が多いが、日本の国家主権は、アメリカにより侵されているというのが実態である。

 これは『琉球新報』の記事である。まず読んで欲しい。

民間人同乗も「公務中」 防衛省、米軍人追突で2013年6月26日

 【東京】東京都足立区で5月、米軍の公用トラックが自営業の男性(32)=埼玉県在住=の車に追突し重傷を負わせた事故について、トラックの助手席に民間女性が同乗していたにもかかわらず、防衛省が米軍公用車が事故を起こしたことを理由に日米地位協定上、日本の第1次裁判権が及ばない「公務中の事故」として損害賠償の手続きをしていることが25日、分かった。一方、警視庁は本紙の取材に対し「米軍から『公務外』と報告があった」と述べ、自動車運転過失傷害容疑で米兵を送検する方針を説明。交通事故自体の処理と、損害賠償の手続きで日本側の関係当局が「公務」を使い分ける異例の事態となっている。
 防衛省地方協力局補償課は本紙の取材に対し「本来なら公務外の事故だが、米軍によれば部隊車両の管理に瑕疵(かし)があったので、損害賠償については『公務中の事故』と同等の処理をすることになる」と説明した。
 25日に都内で会見した男性は、賠償金が支払われず、経営する生花販売会社が倒産の危機に面しているとして、同日、防衛省に対して米軍と協議の上で1カ月以内に賠償金を支払うよう求めたことを明らかにした。
 一方、男性によると、事故当時に車に積んでいた販売用の花(仕入れ値約300万円)が損害を受けたが、事故後に賠償について相談した北関東防衛局の担当者は「損害を最小限にして営業を続けてください」と指南したという。男性は「以前のように満足に仕事もできない状態だ」と述べ、同局の対応を疑問視した。
 賠償金の支払いをめぐって25日に面談に応じた防衛省の担当者は「支払いには3カ月から1年ほどかかる」と述べ、早期賠償に否定的な見解を示した。


 警視庁が「公務外」と認定したなら、米軍兵士が損害賠償の責に任じなければならないはずだが、なぜか防衛省は米軍兵士にかわって、税金から賠償金を支出するつもりのようだ。
 
 そして被害者が事故によって塗炭の苦しみを得ているのに、賠償金の支払いは遅いというのである。これでは何の罪もない人を路頭に迷わせることを、米軍と防衛省が一緒になっておこなっているということではないか。

 こういう事実に対して、本来怒りは向けられなければならない。

 しかし日本人は、相手が韓国や中国だと怒りをぶつけるが、米国など西欧だったらあまり問題にしない。この対米隷従、アジア蔑視が日本国民の社会意識として強固に存在している。こうした「日本的帝国意識」を払拭していかなければならない。
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