町田の住人の風邪はなかなか治らない。その原因は、誰かが呪詛しているからだという。そんなことはないと思うが、暖かくなれば治っていくだろう。
さて今日は久しぶりに畑に立った。最近は梅雨らしく雨がよく降るので、雑草の生長が著しく、部分的には野菜が雑草に隠れてしまっていた。
そのため、今日は2時間ほど除草作業を行った。2時間ほどやれば、畑仲間からとったなと思われるくらいになる。枝豆のところなどを集中的に除草した。
除草しながら、呪詛ということを考えた。
『浅羽町史』編纂の過程で、大正時代の青年団の機関誌が発見された。浅羽町というのは、まったく当時は純農村であった。したがって青年たちはほとんどが農業従事者であった。他方、大正期は都市文化が成立し、農村から都市への人口流入があった時期だ。カルピスが売り出され、映画館ができたりした。サラリーマンが出てくるのもこの頃だ。都会で中流家庭の生活が始まった。
青年団の機関誌には、都会へのあこがれが強く書かれていた。毎日毎日戸外で農作業に従事する。暑い日も、寒い日も、みずからの肉体を駆使する。土にまみれ、日に焼け、汗を流す。一方で雑誌などに書かれる都会での生活。恐ろしいくらいのギャップがあっただろう。
青年たちは、都会へのあこがれを記す。といっても、ストレートに書くのではない。基本的な書き方はこうだ。都会を肯定的に紹介しながら、しかしボクたちには農村でしなければならない仕事がある、というトーンである。都会生活を体験したい、しかしそれは無理だ、だからガマンするしかない、そのガマンするということを、自らに納得させるように書くのだ。
今日ボクは、太陽の下、除草しながら、当時の青年たちの気持ちを想像した。
というのも、先日用事があって東京に行った。有楽町周辺ではきれいに着飾った人々が生活の豊かさを表現しながら歩き回って居た。若い人たちは、東京に向かう。昔も今も、大都会、とくに東京は魅力的である。何でもある。カネがあれば何でも買えるし、おいしいものも食べることができる。
今も、昔と変わらずに、野菜や米を育てている人々は、みずからの肉体を駆使して、暑さや寒さのなか、じりじりと太陽に灼かれながら農作業を行っている。
ボクは、先日の東京で過ごした時間を思い出したのだ。畑にでている自分と、繁華街を歩んでいる自分とのギャップを思い切り感じてしまったのである。
今では、生きる場を、一応自ら選択することができる。都会生活か、それとも地方か。しかし、大正期の農村青年たちは、選択の余地はなかったはずだ。都会の情報を得ながら、ひょっとしたら、都会への呪詛、というものを感じたのではないだろうか。ボクはもう一度、青年たちが書き残した文を読み直そうと思った。ボクの読み方は浅かったのではないか。
今、日々畑仕事をしていると、今まで見えなかったものが見えたり、考えていなかったことを考えるようになった。
呪詛というものが、日本社会の奥底に、ボクたちには見えないままに漂流しているのではないか。
さて今日は久しぶりに畑に立った。最近は梅雨らしく雨がよく降るので、雑草の生長が著しく、部分的には野菜が雑草に隠れてしまっていた。
そのため、今日は2時間ほど除草作業を行った。2時間ほどやれば、畑仲間からとったなと思われるくらいになる。枝豆のところなどを集中的に除草した。
除草しながら、呪詛ということを考えた。
『浅羽町史』編纂の過程で、大正時代の青年団の機関誌が発見された。浅羽町というのは、まったく当時は純農村であった。したがって青年たちはほとんどが農業従事者であった。他方、大正期は都市文化が成立し、農村から都市への人口流入があった時期だ。カルピスが売り出され、映画館ができたりした。サラリーマンが出てくるのもこの頃だ。都会で中流家庭の生活が始まった。
青年団の機関誌には、都会へのあこがれが強く書かれていた。毎日毎日戸外で農作業に従事する。暑い日も、寒い日も、みずからの肉体を駆使する。土にまみれ、日に焼け、汗を流す。一方で雑誌などに書かれる都会での生活。恐ろしいくらいのギャップがあっただろう。
青年たちは、都会へのあこがれを記す。といっても、ストレートに書くのではない。基本的な書き方はこうだ。都会を肯定的に紹介しながら、しかしボクたちには農村でしなければならない仕事がある、というトーンである。都会生活を体験したい、しかしそれは無理だ、だからガマンするしかない、そのガマンするということを、自らに納得させるように書くのだ。
今日ボクは、太陽の下、除草しながら、当時の青年たちの気持ちを想像した。
というのも、先日用事があって東京に行った。有楽町周辺ではきれいに着飾った人々が生活の豊かさを表現しながら歩き回って居た。若い人たちは、東京に向かう。昔も今も、大都会、とくに東京は魅力的である。何でもある。カネがあれば何でも買えるし、おいしいものも食べることができる。
今も、昔と変わらずに、野菜や米を育てている人々は、みずからの肉体を駆使して、暑さや寒さのなか、じりじりと太陽に灼かれながら農作業を行っている。
ボクは、先日の東京で過ごした時間を思い出したのだ。畑にでている自分と、繁華街を歩んでいる自分とのギャップを思い切り感じてしまったのである。
今では、生きる場を、一応自ら選択することができる。都会生活か、それとも地方か。しかし、大正期の農村青年たちは、選択の余地はなかったはずだ。都会の情報を得ながら、ひょっとしたら、都会への呪詛、というものを感じたのではないだろうか。ボクはもう一度、青年たちが書き残した文を読み直そうと思った。ボクの読み方は浅かったのではないか。
今、日々畑仕事をしていると、今まで見えなかったものが見えたり、考えていなかったことを考えるようになった。
呪詛というものが、日本社会の奥底に、ボクたちには見えないままに漂流しているのではないか。