浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

呪詛

2013-06-24 20:54:52 | 日記
 町田の住人の風邪はなかなか治らない。その原因は、誰かが呪詛しているからだという。そんなことはないと思うが、暖かくなれば治っていくだろう。

 さて今日は久しぶりに畑に立った。最近は梅雨らしく雨がよく降るので、雑草の生長が著しく、部分的には野菜が雑草に隠れてしまっていた。

 そのため、今日は2時間ほど除草作業を行った。2時間ほどやれば、畑仲間からとったなと思われるくらいになる。枝豆のところなどを集中的に除草した。

 除草しながら、呪詛ということを考えた。

 『浅羽町史』編纂の過程で、大正時代の青年団の機関誌が発見された。浅羽町というのは、まったく当時は純農村であった。したがって青年たちはほとんどが農業従事者であった。他方、大正期は都市文化が成立し、農村から都市への人口流入があった時期だ。カルピスが売り出され、映画館ができたりした。サラリーマンが出てくるのもこの頃だ。都会で中流家庭の生活が始まった。

 青年団の機関誌には、都会へのあこがれが強く書かれていた。毎日毎日戸外で農作業に従事する。暑い日も、寒い日も、みずからの肉体を駆使する。土にまみれ、日に焼け、汗を流す。一方で雑誌などに書かれる都会での生活。恐ろしいくらいのギャップがあっただろう。

 青年たちは、都会へのあこがれを記す。といっても、ストレートに書くのではない。基本的な書き方はこうだ。都会を肯定的に紹介しながら、しかしボクたちには農村でしなければならない仕事がある、というトーンである。都会生活を体験したい、しかしそれは無理だ、だからガマンするしかない、そのガマンするということを、自らに納得させるように書くのだ。

 今日ボクは、太陽の下、除草しながら、当時の青年たちの気持ちを想像した。

 というのも、先日用事があって東京に行った。有楽町周辺ではきれいに着飾った人々が生活の豊かさを表現しながら歩き回って居た。若い人たちは、東京に向かう。昔も今も、大都会、とくに東京は魅力的である。何でもある。カネがあれば何でも買えるし、おいしいものも食べることができる。

 今も、昔と変わらずに、野菜や米を育てている人々は、みずからの肉体を駆使して、暑さや寒さのなか、じりじりと太陽に灼かれながら農作業を行っている。

 ボクは、先日の東京で過ごした時間を思い出したのだ。畑にでている自分と、繁華街を歩んでいる自分とのギャップを思い切り感じてしまったのである。

 今では、生きる場を、一応自ら選択することができる。都会生活か、それとも地方か。しかし、大正期の農村青年たちは、選択の余地はなかったはずだ。都会の情報を得ながら、ひょっとしたら、都会への呪詛、というものを感じたのではないだろうか。ボクはもう一度、青年たちが書き残した文を読み直そうと思った。ボクの読み方は浅かったのではないか。

 今、日々畑仕事をしていると、今まで見えなかったものが見えたり、考えていなかったことを考えるようになった。

 呪詛というものが、日本社会の奥底に、ボクたちには見えないままに漂流しているのではないか。
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政治に期待できない、しかし・・・

2013-06-24 05:57:09 | 日記
 都議選で民主党が凋落した。前々回の衆議院選挙で、自公政権の格差拡大政策をはじめとした悪政にこりた人々が民主党に投票し、民主党政権を生み出した。おそらく国政改革に対する強い意欲があったと思うし、ボク自身も鳩山内閣が行おうとした政策に期待を寄せたりもした。

 しかし、ほとんど成果を上げないままに、官僚の抵抗にあった鳩山内閣は挫折し、菅内閣は消費税の増税を突然主張、さらに3・11の大日本大震災、さらに原発事故に遭遇、この原発事故は自公政権がもたらしたものといってもよいものであったが、これらの処理の過程でいいように官僚に利用された。そして野田政権。

 この野田政権こそ、民主党をつぶした張本人であろう。ボクはこの野田政権とその施策は、官僚やアメリカなど自公政権を支えていた勢力に完全に利用されたのではないかと思っている。もちろん野田自身もそのような状態を知ってそれに乗っていったのだと思う。

 期待が大きかっただけに、民主党に対する期待はずれが大きかった。民主党はダメ政党であるという認識は、おそらく国民の共通認識となっているだろう。

 そして前回の総選挙の前後にでてきた政党も、離合集散の醜態を見せた。十分にそれぞれの政党の名を国民に覚えてもらうだけの活躍をしないままに、同時に離合集散の故にあまり頼りにならないという認識をつくったまま、国会のなかだけに埋もれてしまった。社会民主党もそのような小政党の離合集散の波に呑まれ、もはや浮かぶ瀬もないほどだ。しかし社会民主党、旧社会党は、小選挙区導入の選挙制度に賛成した時点で、このように過激に凋落することはわかっていたはずだ。ボクですら想像できた。社会民主党を支えてきた総評が解体されてしまっていたからなおさらである。

 そして共産党。都議選では唯一前進したようだ。共産党は、これでまた「方針の正しさとぶれないことが評価された」として、旧来の路線を墨守するだろう。つまり、どことも手を結ばずに孤立して闘うという方針。だが、確かに共産党は頑張っているとは思うが、共産党が頑張っても、その勢力は小さい。小さいところが頑張ってもなかなか成果はあがらない。ボクは共産党は、自分自身の勢力を拡大することだけが目的となって、憲法改悪の動きなどで勝利するということを考えていないと思う。というのは、そういう国政レベルので闘いでは、あまりにも共産党の力は小さいからだ。

 維新が凋落したのは当たり前。そこに集ってくる者どもの浅はかな動機をみよ。橋下の人気を利用して、議員という職について食い扶持に預かろうという魂胆が見え見えである。橋下の言動を見れば、彼がいかにいい加減であるかは明らかである。マスメディアという無責任な権力翼賛機関が面白おかしくまつりあげ、彼のアホな放言がだされて各所から批判がだされると、もうお前を面白おかしく報道するのはやめた、というように放り出す。もう橋下の、政治の世界で生きていく基盤は崩壊するだろう。政治的な識見も、思想も哲学もない橋下は、テレビメディアが好意的に報道してくれなくては困るのである。しかし、テレビメディアを中心とするメディアの、「橋下よいしょ」に乗せられて維新に投票していく「主権者」たちのレベルも相当に低いと言わざるを得ない。

 さて、前々回の総選挙で、政治の改革を求めて民主党議員に投票した人々は、政治というものに大きな失望を抱いたことであろう。それが投票率の低下というところに現れている。

 もう悪政はやめさせよう、という主権者国民の正当な意欲を復活させること、これを考えるべきだ。しかし、その対象となるような政党が存在しないのである。

 政治家諸君は、自分自身の、あるいは自分自身の属する政党のことばかり考え、天下国家をどうするのかということについての順位は、後になっているようだ。前回の総選挙の際に繰り広げられた離合集散は、その現れである。

 今ボクは各所で、人の前で話しをしているが、どこでも「現状はおかしい、何とかしなければ」という機運が強くなっているように思う。そうした人々の期待を受けとめることができる、「世のため、人のため」という高邁な思想を持った人や政党がでてこないだろうか。

 そうした期待は、いつか炎となって燃え上がるはずだ。その期待に、火をつけることができれば、「壊憲」などのウルトラナショナリストたちの野望を食い止めることができるだろう。

 今年は田中正造没後100年、関東大震災90年、大杉栄ら虐殺90年、大正政変100年・・・である。ボクたちは、歴史からいろいろなことを学ぶことができるはずだ。歴史を学ばずに同じ過ちを繰り返すのは「愚」というしかない。1933年、そう今から80年前、日本は国際連盟から脱退して孤立を選んだ。

 ウルトラナショナリストたちの政権である安倍政権は、「壊憲」案を見ると、国際的な理念や常識から大きく離れようとしているようだ。彼らの知的レベルがあまりに低いがゆえに、自民党の「日本国憲法改正草案」は野蛮で暴力的で、ヒューマニズムのひとかけらもないものとなっている。そうした人々を議員として当選させている選挙民のレベルの問題でもあるが、そうした輩の自由にさせるわけにはいかない。

 いつもボクたちに問われている。「どうするの?やるのなら、今でしょ!」ということなのだ。



 

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