基本的人権について続ける。
草案の第13条はこうだ。
第十三条 全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。
現行憲法は、
第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
草案では、「個人」(individual)ではなく、「人」として尊重されるとされている。自民党の諸兄は、「個人」という語がお好きでないようだ。おそらく他者と異なった独自の存在たる「個人」を避けたいという思いがあるのだろう。individualは、Oxford辞書では、こうある
a person considered separately rather than as part of a group
a person who is original and very different from others
自民党の諸兄は、他者とは異なった独自的な存在である「個人」ではなく、家族とか共同体の部分としての「人」のほうがよいと考えたのだろう。
ところで、『Q&A』では、権利について総括的にこう記している。
権利は、共同体の歴史、伝統、文化の中で徐々に生成されてきたものです。したがって、人権規定も、我が国の歴史、文化、伝統を踏まえたものであることも必要だと考えます。現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました。
日本の歴史の中で、権利が「徐々に生成」してきたということがどういうことをいうのかよくわからないが、人権を普遍的なものとして位置づけるのではなく、日本的人権ということで考えようとしているようだ。
他国の人権状況に関し、日本政府も意見するときもあるだろうが、自民党がこういう意見では、人権について何かを言われた国家から、「我が国は○○的人権でやっている」といわれたら、それ以上何も言えないのではないだろうか。人権が普遍的なものであるからこそ、他国の人権状況について抗議したりできるのではないか。
また『Q&A』では、「公益及び公の秩序」についてこう説明している。
「公の秩序」とは「社会秩序」のことであり、平穏な社会生活のことを意味します。個人が人権を主張する場合に、他人に迷惑を掛けてはいけないのは、当然のことです。そのことをより明示的に規定しただけであり、これにより人権が大きく制約されるものではありません。
だが、人権を行使するとき、「他人に迷惑を掛け」ることはよくあることだ。たとえば、「表現の自由」の一環であるデモ行進(街頭パレード)をすれば、自動車運転手らに「迷惑を掛け」ることになる。それを「いけない」とすることは、デモ行進が「公益及び公の秩序」を乱すということから禁止されてしまうのではないかと思ってしまう。
草案の第13条はこうだ。
第十三条 全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。
現行憲法は、
第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
草案では、「個人」(individual)ではなく、「人」として尊重されるとされている。自民党の諸兄は、「個人」という語がお好きでないようだ。おそらく他者と異なった独自の存在たる「個人」を避けたいという思いがあるのだろう。individualは、Oxford辞書では、こうある
a person considered separately rather than as part of a group
a person who is original and very different from others
自民党の諸兄は、他者とは異なった独自的な存在である「個人」ではなく、家族とか共同体の部分としての「人」のほうがよいと考えたのだろう。
ところで、『Q&A』では、権利について総括的にこう記している。
権利は、共同体の歴史、伝統、文化の中で徐々に生成されてきたものです。したがって、人権規定も、我が国の歴史、文化、伝統を踏まえたものであることも必要だと考えます。現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました。
日本の歴史の中で、権利が「徐々に生成」してきたということがどういうことをいうのかよくわからないが、人権を普遍的なものとして位置づけるのではなく、日本的人権ということで考えようとしているようだ。
他国の人権状況に関し、日本政府も意見するときもあるだろうが、自民党がこういう意見では、人権について何かを言われた国家から、「我が国は○○的人権でやっている」といわれたら、それ以上何も言えないのではないだろうか。人権が普遍的なものであるからこそ、他国の人権状況について抗議したりできるのではないか。
また『Q&A』では、「公益及び公の秩序」についてこう説明している。
「公の秩序」とは「社会秩序」のことであり、平穏な社会生活のことを意味します。個人が人権を主張する場合に、他人に迷惑を掛けてはいけないのは、当然のことです。そのことをより明示的に規定しただけであり、これにより人権が大きく制約されるものではありません。
だが、人権を行使するとき、「他人に迷惑を掛け」ることはよくあることだ。たとえば、「表現の自由」の一環であるデモ行進(街頭パレード)をすれば、自動車運転手らに「迷惑を掛け」ることになる。それを「いけない」とすることは、デモ行進が「公益及び公の秩序」を乱すということから禁止されてしまうのではないかと思ってしまう。