『広報はままつ』という月一回全戸配布される市の広報がある。ここに「市長コラム」というのがあって、スズキ市長が毎号書いている。
しかしスズキ市長、日本史が弱いらしく、日本史のことを書くと間違いがいつもある。
市長は、「・・家康ブームの火付け役となった山岡宗八氏の「徳川家康」を再度読み返す・・」(2014年6月号)と書いている。「宗八」ではなく、「山岡荘八」である。コンピュータで「やまおかそうはち」と打つと、「山岡荘八」としか変換されない。
本当に読んだことがあるの?と尋ねたくなる。というのも、山岡荘八の「家康」は、とにかく長いからだ。
以前にも、市長は「浜松をビジネスマンの聖地に」という文で、「・・江戸時代には、浜松城主を務めた人の多くが江戸へ戻り、老中などの需要ポストに就いた・・・」、「今でいえば、浜松支店の支店長を務めると、東京本社へ戻って取締役になるようなもの」と書いていた。
日本史を学ばなかったのか、まったくの間違いである。
たとえば天保の改革を行った水野忠邦は、浜松藩主であると同時に老中であったのだ。市長の言い方をまねると、「浜松支店の支店長が同時に取締役」なのである。
浜松市の広報担当者は、市長の文をきちんと校閲すべきだと、以前にも書いたことがある。恥多き文は、市民にとっても恥である。
しかしスズキ市長、日本史が弱いらしく、日本史のことを書くと間違いがいつもある。
市長は、「・・家康ブームの火付け役となった山岡宗八氏の「徳川家康」を再度読み返す・・」(2014年6月号)と書いている。「宗八」ではなく、「山岡荘八」である。コンピュータで「やまおかそうはち」と打つと、「山岡荘八」としか変換されない。
本当に読んだことがあるの?と尋ねたくなる。というのも、山岡荘八の「家康」は、とにかく長いからだ。
以前にも、市長は「浜松をビジネスマンの聖地に」という文で、「・・江戸時代には、浜松城主を務めた人の多くが江戸へ戻り、老中などの需要ポストに就いた・・・」、「今でいえば、浜松支店の支店長を務めると、東京本社へ戻って取締役になるようなもの」と書いていた。
日本史を学ばなかったのか、まったくの間違いである。
たとえば天保の改革を行った水野忠邦は、浜松藩主であると同時に老中であったのだ。市長の言い方をまねると、「浜松支店の支店長が同時に取締役」なのである。
浜松市の広報担当者は、市長の文をきちんと校閲すべきだと、以前にも書いたことがある。恥多き文は、市民にとっても恥である。