浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

「駆け付け警護」は、NGOを危険にする!!

2014-06-29 22:43:35 | 政治
 『毎日新聞』記事。よく読んで欲しい。安倍首相の非現実的な説明が、いかに危険な主張であるかを証明している。


集団的自衛権:NGO、駆け付け警護に危機感

毎日新聞 2014年06月29日 11時30分

 集団的自衛権行使に関する閣議決定案に盛り込まれた外国での「駆け付け警護」に対し、海外の紛争地を中心に活動する非政府組織(NGO)から批判の声が上がっている。自衛隊が活動することによって、NGOにとって大切な「中立性」が失われ、逆に危険にさらされるからだ。長年の経験があるNGOの代表者2人に話を聞いた。【小山由宇】

 「これまで日本人が世界で築き上げてきた信頼が崩れてしまう。『駆け付け警護』や、集団的自衛権行使の容認は絶対にやめてほしい」。アフガニスタンなどで1984年から医療や農業での支援を続けている「ペシャワール会」(福岡市)の現地代表、中村哲医師(67)は危機感をあらわにする。

 中村さんによると、アフガニスタンでは日本人は特別扱いされているという。中村さん自身、武装集団に軟禁されたり、タリバン政権に逮捕されたりしたことがあるが、日本人と分かると釈放された。「『日本は武力行使しない国で、侵略することはない』と思われている」と話す。

 「対照的なのはドイツ」と中村さんは指摘する。ドイツは従来、外国への派兵をNATO(北大西洋条約機構)域内に限定していたが、90年代に域外派兵を始め、アフガニスタンにも治安維持部隊を送った。中村さんによると、派兵以前は好感を持たれていたドイツのNGOが今では攻撃のターゲットになっているという。「ドイツは後方支援や治安維持のつもりだったのだろうが、現地の人からは侵略軍の一員と見られているからだ」

 中村さんは現地での活動の際「あらゆる勢力と等距離を保つこと」を心掛けている。日本政府に対しても「敵を作らない外交努力を進め、さまざまな国と信頼関係を築いてほしい。重要なのは、誘拐などの事件を未然に防ぐ予防措置だ」と要望する。「これまでの日本の国際貢献に感謝している人はたくさんいる。ODA(政府開発援助)やNGO活動で協力していくべきだ。日本はそれをできる数少ない国だ」と話す。

    ◇

 「『NGOを警護』と言うが、軍隊と行動すれば、逆に攻撃される危険が高まる。『駆け付け警護』についての安倍晋三首相の例示にはリアリティーがない」。スーダンやアフガニスタン、イラクなどで30年以上医療、農業支援などを手掛けてきたNGO「日本国際ボランティアセンター」(JVC)の谷山博史代表理事(56)も懸念する。

谷山さんも紛争地での活動には「中立の確保が重要になる」と話す。実際に誘拐が起きても「軍隊が乗り出して成功する確率は低く、交渉での解決が鉄則。アフガニスタンでは95%以上は交渉で解決している」という。

 谷山さんは指摘する。「イラク、アフガン戦争の失敗で、武力行使よりも、貧困や差別の解消に手を貸す『平和構築』を評価する認識が国際的に強まっている。日本に必要なのは、武力を使わない『積極的平和主義』の推進だ」

 【ことば】駆け付け警護

 国連平和維持活動(PKO)などで海外に派遣されている自衛隊が、現地で活動する非政府組織(NGO)の職員や他国の兵士が武装集団に襲われた際、救援に駆け付けること。この場合、従来は憲法9条に抵触する恐れがあるため自衛隊に武器の使用は認められなかった。27日明らかになった閣議決定案では武器使用ができるよう法整備を進めることが盛り込まれた。
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大学の「改革」

2014-06-29 21:06:38 | 政治
 あらゆる場面で、「改革」が進んでいる。明治維新、戦後改革、そして現在。現在は日本の大変革期である。

 大学も変えられつつある。

 今日帰宅したら、机の上に『けーしの風』第83号が置いてあった。この雑誌は、「新沖縄フォーラム刊行会議」が発行している季刊誌である(本土では直接購読)。いつもの号は、基地問題をはじめとした平和に関わるテーマであるが、今号は「子どもたちのいまと〈教育〉」という特集であった。そのなかで、大学に関する論考が2本あった。

 実は、今国会で審議され、自民党・公明党が学校教育法、国立大学法人法の改正案を通過させようとしている。これが通過すると、大学は大きく変貌する。

 まず、教員採用やカリキュラムなど、教育の内的事項についての決定権は、各学部の教授会にあった。ところが、いわゆる教授会による自治を剥奪し、内的事項を含めた大学運営に関するすべての権限を大学理事会に集中させ、その理事会も学外から大半を集めるという方式へと変えようとしているのだ。最近の傾向をみると、学外からの理事は、もと官僚や会社経営者などが就任している。

 つまり政府は、大学運営を、文科省を中心としたもと官僚と民間企業の経営者にやらせようとしているのだ。

 最近の大学教員の生活はかなり厳しくなっている。給与は引き下げられ、講義の持ち時間数は増え、研究費もどんどん減額されている。どこの職場も、労働強化と賃金の低下(名目賃金が上昇しても可処分所得がまったく増えない!)に働く人々が苦しめられているが、大学も同様の状況となり、さらに悪化させる法案が通過しようとしているのだ。

 元官僚と民間企業の経営者に実権を掌握させ、法律とか文学とかそういう学問研究ではなく、職業教育を中心とする教育機関へと改造しようとしているのだ。すでに大学の「専門学校化」はかなり前から指摘されていたが、今度は全国の大学をそうしようとしているのである。

 自分のお金で企業に即戦力となる能力を開発・育成させようという魂胆なのだ。何というずるがしこい奴らだ。そういう輩が、政治を動かしている。
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東松照明

2014-06-29 20:46:34 | 日記
 東松照明という写真家がいた。今日の夜の「日曜美術館」は、その東松照明の人生と写真についてであった。

 名古屋市に生まれた照明の近所に、敗戦後米軍基地があった(現在は自衛隊基地となっている)。写真家としての照明は、「占領」を写真で表現しようとした。リアリズムそのものではなく、現実を撮るのだが、しかし現実をよりリアルに捉えられるような、ある種のシンボリックな写真になっている。

 占領の姿を捉えようと、彼は沖縄に渡る。沖縄には米軍基地があった。沖縄に米軍基地があるのではなく、米軍基地のなかに沖縄があることを彼は知り、それを撮影した。

 その後彼は、沖縄の離島を訪ね、そこで大いに驚いた。アメリカにいっさい影響を受けていない沖縄がそこにあったのだ。

 日本本土にも米軍基地があった。しかし鉄条網で囲まれた米軍基地=アメリカは、鉄条網から漏れ出て、日本全体を覆っていった。彼はそれをアメリカニズムと呼んだ。だが、占領が続く沖縄には、アメリカニズムに侵略されないところがあったのだ。

 照明は、それはなぜなのかと考えた。同時に、照明は沖縄に捕らえられた。
 写真を撮るために沖縄に渡り、沖縄を見つめた。眼だけではなく、全身を眼として、沖縄を見つめた。だが、本当は、彼が沖縄から見つめられた、沖縄が東松照明を凝視し、照明を沖縄に釘付けにしたのだ。そして彼は沖縄で最期を迎えた。

 ボクたちが沖縄をみつめるとき、照明の眼を通して見るということもありうる。

https://www.google.co.jp/search?hl=ja&site=imghp&tbm=isch&source=hp&biw=1366&bih=633&q=%E6%9D%B1%E6%9D%BE%E7%85%A7%E6%98%8E&oq=%E6%9D%B1%E6%9D%BE&gs_l=img.1.0.0l10.2798.4586.0.6784.11.11.0.0.0.3.147.987.6j4.10.0....0...1ac.1.48.img..4.7.746.AnFVCL_FEG4
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「改革」は善ではない

2014-06-29 13:09:35 | 政治
 今日の『中日新聞』の「ニュースを追う」は、法科大学院、ロースクールについてである。

 今から10年前、法科大学院が設置された。弁護士や検察官など司法試験に合格して法曹の仕事につくためには、そこを卒業しなければならなくなった。

 政府の考えは、こうだ。これからはアメリカのように訴訟件数が増えていくだろう、そのためには法曹人口を増やさなければならない、というのが、まず前提である。そして法曹の仕事をする者には、幅広い知識と教養をみにつけてもらいたい、司法試験受験は法科大学院の卒業生に限るようにしようと考えたのだ。

 しかし、法科大学院が出来る前、大学の法学部などで学んだ者が司法試験を受験し、合格して法曹の仕事に就くというシステムに問題があったわけではない。もし法曹人口を増やしたかったら、合格者の人数を増やせばよかったのである。だが、政府はそうは考えなかった。

 アメリカのようにしたかったのだ。日本の近年の制度改革は、アメリカにならえ、というものが多い。若手官僚たちの多くがアメリカの大学院に派遣され、アメリカを学んで帰国する。そして彼らにより、様々な分野で「改革」が行われるのだが、そのほとんどがアメリカの真似になってしまう。官僚は、何らかの改革をすることによって出世していくから、改革をとにかくするのだ。その改革がうまくいっても、いかなくても、とにかく変えれば出世の糸口となる。改革した後は他の部署に異動しているから、あとは知らぬ存ぜぬである。その改革が問題とされても、矢面に立つのは後任者。しかし自らが制度設計したわけではないので、きちんとそれに対応できない。まさに官僚組織の無責任体制が巣くっているのだ。

 この「司法制度改革」もその例である。

 まず法科大学院はカネがかかる。だから法曹志望者は、法科大学院を避けて、カネのかからない「予備試験」制度を利用する。また、司法試験合格者が増えすぎた結果、法曹としての仕事につけない者が多数出現した。訴訟件数がアメリカのように増えもしなかったので、供給過剰となったのである。司法試験を合格しても弁護士として仕事をする場がないという事態が出現したのである。

 政府は、年間3000人を合格させ、法曹人口を増やすという方針を撤回した。

 法科大学院は、ここ静岡大学にもあるが、そこに入学する者はすくない。

 法科大学院をへて司法試験という制度が決まってから、全国各地の大学が法科大学院を設置したのだが、定員に達しているところは少なく、また地方の法科大学院からの司法試験合格者は少ない、という状態だ。

 「司法制度改革」は完全に破産したのである。それを企画した官僚は責任をとらない。その改革の波にのって、法科大学院に実務の教員として弁護士を送り出した弁護士会も責任をとらない。

 「司法制度改革」の「改革」の必然性はなかったにもかかわらず、変える必要もない制度を変えて、そして結果的に破綻を来す。

 こういうことは最近しばしば起きる。その多くは、アメリカを真似する政策である。何でもアメリカの真似をすればよいとする官僚の姿勢はどうにかならないものか。

 アメリカがくしゃみをすると、日本は風邪を引くといわれるが、そうした自立しない日本のあり方は、恥ずかしくないのか。
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