東京の「秋葉原」、今では世界的に有名になっているようだが、その「秋葉」という地名は、静岡県浜松市天竜区(悪名高き「平成の大合併」の前は周智郡春野町)にある、「秋葉山」からきたものである。
近世江戸では、秋葉山山頂に祀られている「秋葉三尺坊」(三尺坊という僧が神として祀られていた。まさに「神仏習合」)への信仰がひろまっていたからだ。秋葉信仰は、火伏せ、つまり防火の神様である。火事が多い江戸町民には大事な神であった。
今、秋葉山頂には「秋葉神社」というものがある。明治初期の神仏分離政策で強引に「秋葉三尺坊」が追放され、そのあとに秋葉神社が建立された。今では秋葉神社が秋葉信仰の正統であるという誤った認識がひろまっている。
しかしそれは、秋葉信仰が権力的に断絶させられた後にできたものだ。これ以前には、秋葉神社はなかった。近世の絵を見れば明らかで、秋葉三尺坊を神として祀る社、そして秋葉寺が山頂にあった(民俗学関係の本には、明治以前から秋葉神社があったかのような記述を平気でしている。ボクが民俗学に対する不信感を持つ最大の理由だ。彼らは歴史的な考証をしない)。
国家権力は、このように庶民の信仰を権力的に破壊・ねつ造する。
さてこのほど、精緻な研究書が岩田書院から発売された。田村貞雄『秋葉信仰の新研究』である。田村氏の秋葉信仰についての研究は、30年以上前に始まる。そのはじめの頃、ボクも田村氏と同道して各所に行ったことがある。「毎日」のS氏もいた。それ以降も、研究の進捗状況を頻繁に聞いていた。従ってボクは、田村氏の研究をいつもそばで見つめていたことになる。
この秋葉信仰、全国にひろがっている。だから、この研究は全国にまたがらざるを得ない。いきおい、田村氏の研究は全国にひろがっていく。
通常歴史研究というのは、史料や文献をもとに積み上げていくものだ。しかしこの種の研究は、さらに交通費がかかる。田村氏は、全国の県立図書館に足を運び、秋葉信仰に関する史料を渉猟していった。その成果が、この『秋葉信仰の新研究』である。とてもカネがかかった研究であるというわけだ。そのつらさが「あとがき」にも記されている。
その本が、9900円。高額の本だ。送られてきたばかりで、今は「あとがき」しか読んでいない。ボクがすすめている「近代日本における国学」という研究にも資する内容だ。
今日から読みはじめようと思う。
近世江戸では、秋葉山山頂に祀られている「秋葉三尺坊」(三尺坊という僧が神として祀られていた。まさに「神仏習合」)への信仰がひろまっていたからだ。秋葉信仰は、火伏せ、つまり防火の神様である。火事が多い江戸町民には大事な神であった。
今、秋葉山頂には「秋葉神社」というものがある。明治初期の神仏分離政策で強引に「秋葉三尺坊」が追放され、そのあとに秋葉神社が建立された。今では秋葉神社が秋葉信仰の正統であるという誤った認識がひろまっている。
しかしそれは、秋葉信仰が権力的に断絶させられた後にできたものだ。これ以前には、秋葉神社はなかった。近世の絵を見れば明らかで、秋葉三尺坊を神として祀る社、そして秋葉寺が山頂にあった(民俗学関係の本には、明治以前から秋葉神社があったかのような記述を平気でしている。ボクが民俗学に対する不信感を持つ最大の理由だ。彼らは歴史的な考証をしない)。
国家権力は、このように庶民の信仰を権力的に破壊・ねつ造する。
さてこのほど、精緻な研究書が岩田書院から発売された。田村貞雄『秋葉信仰の新研究』である。田村氏の秋葉信仰についての研究は、30年以上前に始まる。そのはじめの頃、ボクも田村氏と同道して各所に行ったことがある。「毎日」のS氏もいた。それ以降も、研究の進捗状況を頻繁に聞いていた。従ってボクは、田村氏の研究をいつもそばで見つめていたことになる。
この秋葉信仰、全国にひろがっている。だから、この研究は全国にまたがらざるを得ない。いきおい、田村氏の研究は全国にひろがっていく。
通常歴史研究というのは、史料や文献をもとに積み上げていくものだ。しかしこの種の研究は、さらに交通費がかかる。田村氏は、全国の県立図書館に足を運び、秋葉信仰に関する史料を渉猟していった。その成果が、この『秋葉信仰の新研究』である。とてもカネがかかった研究であるというわけだ。そのつらさが「あとがき」にも記されている。
その本が、9900円。高額の本だ。送られてきたばかりで、今は「あとがき」しか読んでいない。ボクがすすめている「近代日本における国学」という研究にも資する内容だ。
今日から読みはじめようと思う。