毎月一回、ある施設でいろいろなことを話す。参加者は10人程度だ。歴史について話して欲しいと頼まれたが、最近の政治状況から、現在の政治について話すことが多い。
明日は「日本国憲法」について話そうと思う。その前に、ジャン・ユンカーマン監督の「映画日本国憲法」を上映する。
このDVD,帯に吉永小百合さんの「日本が世界一強力で素晴らしい武器を持っていることを知っていますか。それは憲法第9条です。『映画日本国憲法』をみて下さい。世界一の武器の秘密を教えてくれます」ということばがある。
ボクは、憲法第九条のことを「武器」とたとえることに違和感を持つが、気持はわかる。
今、日本には、日本に誇りを持ちたいという人が増えているそうだ。そのために、南京虐殺はなかったとか、「従軍慰安婦」は「売春」だから問題ないのだとか、日本が過去行ってきた非人間的な行為を否定する(つまり歴史を偽造することだ)動きがある。
だが、南京虐殺はなかったといくら言っても、その事実はすでに国際的に認知されたことなのだ。いくら日本国内で「なかった」という声を強めても、国内では「そうなのか」という人はいるかもしれないが、国外ではまったく相手にされない議論であることを、その人たちは知っているのだろうか。また「従軍慰安婦」についても、強制的に連行されたかどうかの有無だけが問題ではなく、女性を兵士の性的処理の「道具」としたこと、日本軍が制度的に、そうした女性の、人間としての尊厳を冒涜したことが問題なのである。
否定できない歴史の事実を、否定する(歴史をねつ造する)ことにより、日本に誇りをもつことはできるのだろうか。
日本には、そんなことをしなくても、誇れることがたくさんあるではないか。自然で言えば、あの富士山。富士山の美しさは、いつみても感動を覚える。世界各地から、富士山を見に外国人が来ている。「どうだい、美しい山だろう!」と誇れないか。日本には、美しい自然がたくさんある。
文化的なことをいえば、世界最古と言われる木造建築・法隆寺、歌舞伎や能狂言、そして世界的に名が通った文学者たち、漫画・アニメ・・・・誇ることが出来るものはいっぱいある。
そしてこの「日本国憲法」。
わざわざ歴史を否定しなくとも、世界に先駆けて平和を訴えた日本国憲法、これこそ、世界に誇ることができるものだ。
内向きの情けない議論はやめて、世界に向けて誇れるものを見つめようではないか。
明日は「日本国憲法」について話そうと思う。その前に、ジャン・ユンカーマン監督の「映画日本国憲法」を上映する。
このDVD,帯に吉永小百合さんの「日本が世界一強力で素晴らしい武器を持っていることを知っていますか。それは憲法第9条です。『映画日本国憲法』をみて下さい。世界一の武器の秘密を教えてくれます」ということばがある。
ボクは、憲法第九条のことを「武器」とたとえることに違和感を持つが、気持はわかる。
今、日本には、日本に誇りを持ちたいという人が増えているそうだ。そのために、南京虐殺はなかったとか、「従軍慰安婦」は「売春」だから問題ないのだとか、日本が過去行ってきた非人間的な行為を否定する(つまり歴史を偽造することだ)動きがある。
だが、南京虐殺はなかったといくら言っても、その事実はすでに国際的に認知されたことなのだ。いくら日本国内で「なかった」という声を強めても、国内では「そうなのか」という人はいるかもしれないが、国外ではまったく相手にされない議論であることを、その人たちは知っているのだろうか。また「従軍慰安婦」についても、強制的に連行されたかどうかの有無だけが問題ではなく、女性を兵士の性的処理の「道具」としたこと、日本軍が制度的に、そうした女性の、人間としての尊厳を冒涜したことが問題なのである。
否定できない歴史の事実を、否定する(歴史をねつ造する)ことにより、日本に誇りをもつことはできるのだろうか。
日本には、そんなことをしなくても、誇れることがたくさんあるではないか。自然で言えば、あの富士山。富士山の美しさは、いつみても感動を覚える。世界各地から、富士山を見に外国人が来ている。「どうだい、美しい山だろう!」と誇れないか。日本には、美しい自然がたくさんある。
文化的なことをいえば、世界最古と言われる木造建築・法隆寺、歌舞伎や能狂言、そして世界的に名が通った文学者たち、漫画・アニメ・・・・誇ることが出来るものはいっぱいある。
そしてこの「日本国憲法」。
わざわざ歴史を否定しなくとも、世界に先駆けて平和を訴えた日本国憲法、これこそ、世界に誇ることができるものだ。
内向きの情けない議論はやめて、世界に向けて誇れるものを見つめようではないか。