浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

「集団的自衛権」の行使へ(2)

2014-06-26 22:29:32 | 政治
 『琉球新報』の社説も鋭い。

解釈改憲自公合意 姑息な「コネ入学」に等しい2014年6月26日

 自民、公明両党は集団的自衛権行使を可能とする解釈改憲の閣議決定案に大筋で合意した。いくら詭弁を弄(ろう)そうとも、ことの本質は日本の自衛隊が外国で戦争をするか否かだ。外国での戦争に国民的合意はない。自公合意は不当だ。

 解釈で憲法の根本を左右するのは立憲主義の否定に等しい。合否を恣意(しい)で決める「コネ入学」のようなものだ。与党は姑息(こそく)なことをせず、外国で戦争すべきか否か、憲法改正の是非を堂々と国民に問うべきだ。解散総選挙、あるいは憲法改正の国民投票を提起すべきだ。

 自公が合意した閣議決定案は「自衛権発動の3要件」に代わり、「自衛の措置としての武力行使の3要件」との名称にし、海外での軍事行動に道を開いた。

 さらに、武力行使について「国際法上は集団的自衛権が根拠となる場合もある」と記した。集団的自衛権を明示したばかりでなく、「場合も」と書くことで、集団安全保障への参加の余地も残した。

 集団安全保障とは、湾岸戦争のように多国籍軍で軍事行動をすることだ。参加すると、当然、自衛隊員から戦死者が出ることが想定される。相手の国の兵士・国民を自衛隊が殺害することもあり得るし、恨みを買うことにもなる。それがなぜ国民の安全を高めることになるのか、理解できない。

 自公両党の協議は「集団安全保障」との文言を明記するか否かが焦点であるかのようだった。明記しないことで、あたかも自公両党の意見を足して2で割ったように見せてはいるが、偽装に等しい。問われるべきは日本が外国で軍事力を使うか否かであり、その意味では「ゼロか百か」しかあり得ない。自公の答えは「百」である。

 憲法9条は「武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久に放棄する」と定め、「国の交戦権は認めない」とうたう。解釈改憲は外国での戦争を可能にするのだから、放棄したはずの「武力行使」であり、認めないはずの「交戦権」である。これでは憲法9条は完全に空洞化する。これを認めれば、9条は何のための条項か、置く意義が何も残らなくなってしまう。

 憲法の完全な空洞化を、一内閣の政治的思惑で実行することは許されない。外国での戦争を容認して公明党は「平和の党」と言えるのか。原点に戻り、従来の主張との整合性を見詰め直してほしい。

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「集団的自衛権」の行使へ

2014-06-26 22:23:23 | 政治
 『信濃毎日新聞』の社説が、わかりやすいので掲載させていただく。


安保をただす 武力行使要件 海外派兵に道を開く 06月26日(木)

 憲法をどう読んだらこんな解釈が成り立つのか。自衛隊の海外での武力行使に道を開く閣議決定案だ。自民、公明両党が大筋合意した。これでは、9条はないも同然になる。

 自民党の高村正彦副総裁が示した「自衛の措置としての武力行使の3要件」を閣議決定に盛り込むことで両党が一致した。

 要件の第一は、こうだ。「わが国に対する武力攻撃が発生したこと、またはわが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること」

 「自衛の措置」としながら、他国への攻撃にも反撃できる。他国を守るために武力を使う集団的自衛権の行使を認めるものだ。自衛隊の海外での活動が大きく広がる。日本が攻撃されて初めて自衛権を発動できる今の3要件とは前提が変わる。

 歴代の政府は、海外での武力行使を認めないことで9条と自衛隊を両立させようとしてきた。ここを変えて、合憲といえるのか。

 自衛隊の活動は、歯止めがなくなりかねない。公明党の主張で当初の案を修正してはいる。「明白な危険」はもともと「恐れ」としていた。「他国」の前に「密接な関係にある」と付け加えた。それでも、政府の一存で対象が広がり得ることに変わりはない。

 前回の協議で自民が持ち出した集団安全保障での武力行使への参加は、曖昧な形で決着させた。高村氏は「できるともできないとも決まっていない」とする。「自衛権発動の3要件」を「武力行使の3要件」と言い換えたのは、参加の余地を残すためだろう。

 集団安全保障は、侵略国などに対し、国連安全保障理事会の決議に基づいて各国が団結して制裁を科すものだ。集団的自衛権の行使は、安保理が必要な措置を取るまでの一時的な対応とされる。

 国連決議が出た途端に自衛隊が撤退するのはおかしい―。自民側は前回、そう指摘していた。集団的自衛権の行使を認めた場合、いずれ、切れ目なく対応するため集団安全保障での武力行使が必要―となっていきかねない。

 自衛隊が攻撃すれば、反撃を受ける。交戦で「血を流す」ことも覚悟する必要がある。これほどの重大事を密室での与党協議だけで決めさせるわけにはいかない。
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「日本の教員 勤務時間最長」

2014-06-26 09:29:35 | 日記
 そうだろうな、と思う。

 ここで調べられた勤務時間のなかに、土曜日、日曜日の出勤はきちんと入っているのだろうか。教員にとって、休日は部活動指導や試合のためにある。つまり出勤である。部活動指導を行う教員にとっての休日は、年末年始と8月中旬のみ、それ以外の休日は基本的にはない。

 学校教育での諸悪の根源は、部活動である。授業など最も基本的なことが疎かにされ、部活動のためだけに生活する子どもや教師がたくさんいる。24時間の生活全てが、部活動を中心にしてまわっている。あたかも、部活動こそが学校教育の中核であるかのような雰囲気がある。
 高等学校の部活動の中には、午後10時、11時頃まで行うものもある。夜遅く、高校生が自転車で走っている姿を見たことはないだろうか。
 定期テストの最中でも、部活動を行う。中学校でも、高等学校でも。

 また教員志望の理由に、部活動指導をしたいから、という者も多い。

 読書をすすめ・・・とかいうが、そんな暇は生徒にはない。日本人の知的水準の低下は、部活動が原因ではないかとさえ思う。

 部活動は、本来あるべき学校教育を歪め、学ばない、本を読まない子どもたちを大量に生み出している。それでいて、国際的な水準から見れば、日本のスポーツが良い成績を出しているわけではない。オリンピックのメダル数をみれば明らかだ。

 スポーツなどの部活動は廃止すること、そしてスポーツの指導は、長時間練習すれば強くなるとか、根性を鍛えれば試合に勝つとか、そういう非科学的な練習方法を変えるべきだ。


 

 
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「井の中の蛙」

2014-06-26 08:17:06 | 日記
 熱狂のうちに、サッカーW杯騒動は終わった。始まる前は、「優勝」に手で届きそうな発言がみられた。第一次リーグは確実に突破することも報道された。

 しかし、FIFAによる日本のランクは46位。C組では最下位であった。日本の成績は、1分け2敗。客観的な評価からすれば、想像できた結果と言えよう。

 今日の『中日新聞』、このW杯に関する連載記事「理想の盲点」が始まり、その見出しに「井の中の蛙 連携混乱」とあった。

 その記事中には、「最初から力関係を見誤っていた」とある。その通りだと思う。

 客観的にみずからの持つ力を踏まえる、ということがなおざりにされ、主観的願望が実力からどんどん離れて行ってしまった。

 1941年12月に始まった対米英戦争と同じような道を歩んだと言えよう。

 客観的な実力を顧慮せずに、「日本のサッカーを表現すれば勝てる」ということばは、戦時中の「日本には大和魂があるから勝てる」という幻想と通じているのではないか。サッカーというスポーツは相手があるのだから、問題は、「日本のサッカー」が通じるかどうかなのだ。「日本のサッカー」というものを、きちんと客観的に評価してきたのか、ということだ。

 メディアの報道には、「・・・・を信じる」などということばが飛び交った。

 アジア太平洋戦争末期も、アジア太平洋地域での積み重なった敗北、激しくなる本土空襲、それでも日本人は「勝利を信じていた」、いや「信じようとした」。

 日本(人)は、客観的にみずからの力を評価することが不得手なのではないかと思う。主観的な願望は、客観的な評価と、それこそ連携しながらのものでなくてはならない。

 メディアは、主観的な願望を書きたてるのではなく、スポーツ報道でも冷静で客観的な報道をすべきなのである。

 
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