手をつなぐ、という行為は、ヨコに並ぶということだ。つまり同じ地平に立って手をつなぐのである。人間は、みんな平等だ、という考え方だ。
ユニセフ(ボクも会員である)が販売している商品にも、子どもたちが手をつないでいる絵がつけられている。どこの国の人でも、豊かな国の人も、貧しい国の人も、みんな同じ人間だ、という思想である。
ところが、日本では「タテ関係」で人間関係を律しようとする人が多い。
ボクは、いかなる人間に対しても、いつも同じ対応だ。もちろん、年長者や形式的に自分より立場が「上」という人に対しては丁寧な言葉遣いをするようにはするが、しかし話す内容についての躊躇はしない。
ボクが働いていたとき、「上」に対して遜(へりくだ)っている人は、その人より「下」の人に対しては“傲慢”であるという一般的な性向を見続けてきた。人間関係を、権力的な、あるいは権威的な観点からのみみようとする人たちだ。残念ながら、そういう人のほうが多いように思う。
その代表が、日本のリーダーたちだ。安倍首相もその典型である。安倍首相は、中国や韓国は日本より「下」だとみているのだろう、だから“傲慢”な態度で仕切ろうとする。逆に、アメリカは日本より「上」。だから頭をペコペコして云うことを聞く。
「上」に対しての“隷従”、「下」に対しての“傲慢”。
だが、さすがに、学問に関わっている人びとには、そうした「タテ関係」を基本にしている人はいない。ボクは学問的なことを研究している人たちとの交友関係が多いが、そうした「タテ関係」を意識したことはほとんどない。だからたいへん居心地がよい。
「侮蔑」するとか、されるとか、そういう見方は、すべてタテ関係から生ずるのではないか。どんな人間とでも手をつなぐ、そのときはみんな同じ立場に立っているはずだ。
手をつなぐ、というのは、ヨコ関係を基本にするということである。
そういえば、畑でもヨコ関係。作物や苗を分け合い、知っている農業知識を教えあう。ここでもやはり心地よい。
ユニセフ(ボクも会員である)が販売している商品にも、子どもたちが手をつないでいる絵がつけられている。どこの国の人でも、豊かな国の人も、貧しい国の人も、みんな同じ人間だ、という思想である。
ところが、日本では「タテ関係」で人間関係を律しようとする人が多い。
ボクは、いかなる人間に対しても、いつも同じ対応だ。もちろん、年長者や形式的に自分より立場が「上」という人に対しては丁寧な言葉遣いをするようにはするが、しかし話す内容についての躊躇はしない。
ボクが働いていたとき、「上」に対して遜(へりくだ)っている人は、その人より「下」の人に対しては“傲慢”であるという一般的な性向を見続けてきた。人間関係を、権力的な、あるいは権威的な観点からのみみようとする人たちだ。残念ながら、そういう人のほうが多いように思う。
その代表が、日本のリーダーたちだ。安倍首相もその典型である。安倍首相は、中国や韓国は日本より「下」だとみているのだろう、だから“傲慢”な態度で仕切ろうとする。逆に、アメリカは日本より「上」。だから頭をペコペコして云うことを聞く。
「上」に対しての“隷従”、「下」に対しての“傲慢”。
だが、さすがに、学問に関わっている人びとには、そうした「タテ関係」を基本にしている人はいない。ボクは学問的なことを研究している人たちとの交友関係が多いが、そうした「タテ関係」を意識したことはほとんどない。だからたいへん居心地がよい。
「侮蔑」するとか、されるとか、そういう見方は、すべてタテ関係から生ずるのではないか。どんな人間とでも手をつなぐ、そのときはみんな同じ立場に立っているはずだ。
手をつなぐ、というのは、ヨコ関係を基本にするということである。
そういえば、畑でもヨコ関係。作物や苗を分け合い、知っている農業知識を教えあう。ここでもやはり心地よい。