浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

大学の行方

2014-10-07 22:48:44 | 社会
 『現代思想』の10月号、「大学崩壊」は読みでがある。いろいろ紹介したいが、「労働現場としての大学」という4人の会談は、主に早稲田大学の非常勤講師の問題を扱っている。

 現在どこの大学でも、非常勤講師が多い。

 ボクが大学にいた頃、一般教養の教員以外(つまり、語学と専門教科)は、ほとんど専任だった。しかし専任ではない一般教養の教授陣は素晴らしい方々で、彼らはどこかの大学の専任教員であった。だから、非常勤講師だけをしている教員はいなかったような気がする。

 しかし今は、非常勤講師が6割をしめるという。専任の教員の年収は、1350万円だそうだ。しかし非常勤講師は一コマの講義が、月24000~25000円だそうだ。これはボクが公民館などで行う講座の報酬よりも低い。
 そうなると、たくさんの講義をもたないと生きてはいけない。しかし10コマ持っても、約25万円にしかならない。これは厳しい。歳を重ねれば増えるわけではないし、社会保険料なども自分自身で納めなければならない。そういう状態で生きている高学歴の人びとがたくさんいる。

 そして特に早稲田大学は、そうした非常勤講師にたいしてひどいことをしているようだ。だから、「首都圏非常勤講師組合」の主な標的が早稲田大学になっている。『ブラック大学早稲田』(同時代社)という本も出版されているほど、あくどいやりかたを試みているようだ。浜松市の図書館にあるので、予約をした。読んでみようと思う。

 だが、早稲田大学には、ボクの知り合いが複数専任教員になっている。人権意識が高い研究者であるはずなのに、非常勤講師の問題には関心がないのだろうか。そのうちの一人は、このブログを読んでいるはずだから、「何とかすべきだよ」と言いたい。

 今大学は、将来的に返さなければならない奨学金とアルバイトに依存した貧しい学生と、低賃金の非常勤講師が多数をしめている。貧困のうえに成りたつ高等教育というのは、どう考えてもおかしい。

 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大学の醜態

2014-10-07 19:50:54 | 日記
 STAP細胞の問題で話題になった小保方さんに授与されていた博士号を、早稲田大学が取り消すという。

 要するに、杜撰な指導を行い、論文審査もいい加減であったということだ。ある筋から、早稲田大学は実験ノートの書き方を指導していないという。

 大学院生を増やせば、助成金がたくさんくるので、とにかく指導もしないで、人数だけを増やしてきたのだろう。

 最近大学周辺に行ってみたら、大学キャンパスの建物は新築され、周辺には昔はなかった大学の建物があった。土地を購入して建てたのだろうが、そんなにたくさんのお金があったのか、と驚いた。「学の独立」を追究するのではなく、カネを追求しているのだろう。早稲田大学の頽廃!!

 以下は、『東京新聞』の記事。

小保方氏博士号取り消し1年猶予 早大 指導教授ら処分

2014年10月7日 18時46分

 理化学研究所の小保方晴子研究ユニットリーダーの博士号取り消しについて記者会見する、早稲田大の鎌田薫総長(中央)ら=7日午後、東京都新宿区
写真

 早稲田大は7日、理化学研究所の小保方晴子研究ユニットリーダー(31)に授与した博士号について、1年程度の猶予期間中に博士論文を修正しない場合は取り消すと発表した。STAP細胞の有無を検証中の小保方氏の博士号は当面維持されることになった。

 小保方氏の指導教員で、博士論文審査の主査を務めた常田聡教授を停職1カ月、副査の武岡真司教授を訓戒処分に、鎌田薫総長は役職手当の20%、5カ月分を自主的に返上する。

 鎌田総長は記者会見で「現在は訂正のための猶予期間だ。博士号には値しない」と話した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「面白くない」

2014-10-07 10:07:01 | メディア
 田原総一朗というメディア関係者がいるが、彼は最近放言家ばかりを集めている番組、「たかじんのそこまで言って委員会」で、「左翼は全く面白くない」と言ったそうだ。

 「面白い」か「面白くない」という感覚的なところで判断するのはどうかと思うが、しかしこれは現在的な風潮であろう。

 ボクは、「近代日本に於ける「国学」」を勉強し、今また立花隆の『天皇と東大』2(文春文庫)を読んでいるが、明治から戦前にいたる「右翼」的な潮流を担った人々の思考には、彼らなりの国を憂う気持ち、あるいは貧困や格差に対する憤激などがあった。同時に、彼らは学ぶ姿勢をもち、宣長を読んだり、陽明学を学んだり、それなりの学識があった。

 「左翼は全く面白くない」という田原のことばの背景には、「右翼」的な潮流との比較があるのだろうが、現在の「右翼」的な潮流、そのすべてとはいわないが、そうした戦前の「右翼」がもっていた憂いや憤激などはなく、ただやりばのない衝動的な憤怒が何の裏付けもなく、ナショナリスティックに表出しているだけにすぎないようにみえる。彼らの主張は、学問的にはとっくに批判され尽くしているし、また彼らの叫びもボスらしき人物のことばをオウム返しにしているだけだ。底が浅いものであるのに、しかしそれが社会意識の中に、ひろがりつつあるという、奇怪な時代になっている。

 田原が、そうした現在の「右翼」的な動きを「面白い」と感じている、それと同じような感覚が、庶民の間にもあるのではないか。

 現在の「右翼」的な動きの担い手たちには、学問的な批判はまったく効果がないようだ。そうした傾向を「面白い」とする奇怪な時代に、どうすれば対応していくことができるか。

 今、それを考えている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする