今日『みぎわ』という雑誌が届けられた。編集発行は「浜松聖書集会」、無教会派の人々である。ボクの敬愛する故溝口正先生が主宰されていた。
キリスト者のなかには、エゴイスティックな人もいるが、故溝口先生に連なる人々は、すべて皆人生の途上において、敬愛せざるを得ない人々である。ボクはそのような人々とつながりをもつことができ、そしてその人たちの生き方からいろいろなものを学ばせていただいている。本当に感謝、感謝である。
今日届けられた『みぎわ』54号も、クリスチャンではないボクが読んでも、教えられまた心が浄化される。
巻頭言は、故溝口正先生の、日本国憲法第九条を高々と掲げ、「これこそ日本国民の誇りではないか」と、格調高く訴えている。先生の存命中、先生の平和にかける熱い熱い思いを語る姿を知るボクは、今の日本を先生が見たら何と言われるか、申し訳ないという気持がある。
本書には、たくさんの方が書いているが、私の知るお二人の文について言及していきたい。
お一人は武井陽一さん。お医者さんである。もちろん敬虔なクリスチャンであり、ボクが敬愛するお一人である。ここに「沖縄は世界のために」という沖縄で行われた講演の記録を掲載されている。
入佐明美さんという敬愛すべき方の紹介を巻頭に据え、主に内村鑑三と伊江島で生活と平和を破壊する米軍と闘った阿波根昌鴻さんのことを語っている。阿波根さんも、いまは亡い。その阿波根さんのことばが引かれている。
戦争をするには国民を愚民に教育し、盲目にしなければなりません。
それに続いて武井さんは、「愚かにならないように、愚かさから解放されるようにと、私たちは日々求められています」と記す。同感である。
その後内村鑑三についての説明が続くが、ここではボクが知って驚いたことを記す。それは阿波根昌鴻さんが沼津にあった「興農学園」で学んでいたということだ。
ボクは阿波根昌鴻さんが語るビデオも持っているし、『米軍と農民』(岩波新書)も読んだが、阿波根昌鴻さんについてもっともっと学ばなければならないと思った。
武井さんは袋井のデンマーク牧場にいる。ボクも訪ねなければいけないと思った。
そして溝口先生の奥様・春江さんの文にも感動した。そこには「人間の尊厳」が語られている。いかなる人間も「存在の価値がある」ということば。重いけれども、もっとも軽視されていることばでもある。しかし春江さんは、主に音楽教育の分野で、それを顕現させることをしていた。
「心の内から「言いたい、伝えたい」という言葉から始める」
音楽も、言葉も、心の内からの内発的な要求があってこそ、音楽も言葉も誕生するということ、「人間の尊厳」を基盤にして、心の奥底からの音楽や言葉のeducate(この原義は引き出すというもの)を実践されているようだ。
この本が届いてから、ざっと読み通したが、ここには素晴らしい人たちの人生や語りが詰め込まれている。
学ばせていただいた、感謝、感謝である。自分自身の至らなさも、教えられた。頑張らなければならない。