浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

中井正一のことば

2014-10-20 20:40:56 | 読書
 山代巴の『私の学んだこと』のなかに、中井から教えられたことばがあった。それが感動的なので紹介しておく。

 あの山の稜線は、静止しているように見えるだろう。でも闘っているんだよ。大気と大地との闘いの最前線なんだよ。君たち山へ登って分水嶺に立ったとき、そこは雨に叩かれると土砂になって、少しずつ流れていることを知るだろう。われわれの日々も歴史を知り、歴史の進歩にかかわって生きている限り、外からは何もしていないように見えても、常に闘っているんだよ。今日われわれは何ほどかのことをしてきたが、それはあの山の稜線が雨に打たれて土砂に変わるための一滴の変化はもたらしている、こういう、一滴、一滴の行為が積み重なって、平和と民主主義の歴史は前進するんだよ。
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もう一度、「かいほうかん」

2014-10-20 20:07:03 | 読書
 今日、4冊の本が届いた。しかし今はその本を読むのは待とう。

 今、『天皇と東大』第四巻を読んでいる。戦争へと進んでいる1930年代から40年代初めの歴史である。暗い野蛮な時代である。

 同時にボクは、山代巴の『私の学んだこと』(径書房)を読んでいる。こちらは、戦争が終わり、人々もふたつの「かいほうかん」(開放感、解放感)に包まれながら、地域で新しい民主的な社会をつくろうという清新な時代が描かれている。大正デモクラシーの匂いをかいだ教員、天皇制ファシズムに抵抗した中井正一などから、新しい知識を学び、議論し、活動する。特高の抑圧がなくなり、人々が自由に動き回る。

 こういう時代があったということが、忘れられている、と思う。

 来年は、戦後70年である。戦争を振り返るのもいい、しかし戦争が終わったばかりの「かいほうかん」の時代がどういう時代であったのかを描くのも大切ではないか。

 戦争が終わったとき、全国各地はこの「かいほうかん」に覆われたはずだ。この「かいほうかん」をもう一度想起しよう。
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ノーテンキ

2014-10-20 19:04:18 | 政治
 選挙を媒介にして、国民と政治とが結びつく。政治をどうするのか、どんな政治がよいのか、そうした問題意識をもちながら選挙に行き、投票する。

 しかし、政権交代による民主党政権に失望した国民のうち、政治的な意識を一定もっていた人々の多くは棄権にまわり、旧態依然とした意識の中にいる人々は、一方ではタレントの人気投票よろしく非政治的態度で投票し、他方では直接的な「恩恵」を与えてくれる人に投票する。

 直接的な「恩恵」の端的な例は、明治座に安い会費で連れて行ってくれる政治家、国民はそうした政治家に投票する。その政治家がどういう思想をもっているか、政治家としての力をもっているかなんて、どうでもよいのである。

 いずれは総理大臣か、となぜか言われていた小渕優子。しかしボクから見ると、軽い軽いノーテンキな人物。知的能力があるわけではない。ただ父親が政治家であったというところから、政治家となった女性である。

 日本の政治の世界は、世襲制。親などから、地盤、鞄(カネの入ったカバン)などを受け継いで政治家になっていく。

 まあしかし、国民全員が政治意識を磨き、政治について議論するなんてことはまったく想像できないから、普通は何となくできあがる「時流」が政治の行方をつくる。

 ただし、何らかの強い政治志向をもった者が総理大臣になると、当然彼には政治権力が集中するから、一定の「時流」をつくりだすことができる。その「時流」は、時として危険な方向へ国民を流していくことがある。

 今は、そういう時だ。

 「時流」をつくりだす政治志向をもった政治家の周囲にノーテンキな政治家が侍り、ノーテンキなアナウンサーたちがその政治志向をノーテンキに報じる。

 さて、小渕優子は、大臣だけではなく、議員も辞職すべきである。もちろんあの松島みどりという議員と共に。


 
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