浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

農民

2015-07-12 22:21:10 | 日記
 ボクは今、自らを紹介するとき、主に農業に従事していますと言っている。今日も、3時間近く畑で草取りや枯れた草をスコップで穴を掘って埋めるなどの作業をした。

 今日の気温は30度をこしていた。いつもより、疲労を感じた。休み休み、水を補給しながら作業をした。汗にまみれ、土にまみれながらの作業である。今日は持続力がなかった。おそらくいつも通りに作業をしたら、熱中症で倒れるようなこともあっただろう。

 今このブログを書いているときも、昼間の太陽からのエネルギーを吸収した身体は、火照っている。

 今日は、とうもろこし、なす、瓜、ミニトマト、レタスなどを収穫した。毎日毎日、何らかの作物ができるが、収穫が遅れるとすぐに巨大化する。水を好む作物とそうでない作物。ナスは前者のようだ。次々と実がなる。

 10日間くらい雨が続き、雑草も威勢がよい。とってもとっても、草が生えてくる。日本の農業は雑草との闘いだ。最近は農家でも除草剤をつかうようだが、ボクや近隣の農業仲間は一切化学肥料や農薬をつかわない。

 農業をはじめて4年くらいになる。自然との付き合い方がわかってきたような気がする。

 あくせくすることなく、自然の中で、自然に溶けあいながら生きることが、本来の生き方ではないかと思う。

 町田の住人にも、何度か農業の効能について話すのだが、まったく乗ってこない。中学校の時に農業は卒業したという。子どもの頃祖父に農業を手伝わされ、農業にはよい思い出がないという。なるほど彼は農業についての研究はしてこなかった。幼い体験が研究テーマに影響するようだ。

 明日は静岡。一日中、室内である。果たして耐えられるか。



 
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【本】目黒考二『昭和残影』(角川書店)

2015-07-12 14:48:07 | その他
 新聞の書評をみて購入した。そして読んだ。実はあまり面白くはなかった。最初はフムフムと読んでいたが、中間部は冗長であると思った。

 副題に「父のこと」とある。著者は父のメモをもとに、父の一生をたどる。戦前共産主義運動をした父は、刑務所にも投獄される。戦争にも動員された。ある意味波瀾万丈の人生を生きているように思えるが、しかし著者が知る父の人生はあんがい淡々としていた。

 父のメモを元に、関連書を読みあさり、その現場にも足を向ける。あるいは、親戚にも父のことを聞きただす。そして書き上げたのだが、書評や帯で賞賛するほどの感動は覚えなかった。もちろんボクがそうだからと言って、皆が皆感動しないというものではない。こういう表現されたものをどう感じるかは、千差万別なのだ。

 ただボクはこう思った。著者の家族は関東圏で生活した。その地域について昔はどうだったのかを文献で明らかにしていくのだが、地方に住むボクとしては、ただそうなのかと読み進めるだけ。おそらく関東圏に住み、著者が訪ね歩いたところの記述を読めば、懐かしさも覚えることだろう。だがボクは地方在住だ。

 ただ、最後のところ、著者の子どもの頃、家族に団らんがあったことを記した部分がある。そこの部分は、齢を重ねて生きているボクにも、よき思い出として記憶の中にある。ボク自身が子どもだった頃、そしてボクの子どもが幼いとき、同じような団らんがあった。しかしその思い出だけにある楽しい懐かしい団らんは、もう再びは現れない。

 ボクは、そこを読んで、なぜ著者は「父のこと」をさがし歩いたのかがわかった気がした。著者は、思い出の中にある団らんを取りもどそうとしたのだ。

 自らの生の軌跡も、次々と過ぎ去って過去となっていく。その過去を取りもどしたい、そういう気持が、おそらく著者にはあったのだろう。

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