『東京新聞』の社会面に、最近亡くなった吉川勇一さんの「市民葬・お別れ会」の記事があった。吉川さんは、昔々「ベトナムに平和を!市民連合」の事務局長であった。
ボクは高校生の頃、浜松ベ平連の一員だった。吉川さんは、浜松ベ平連の講演会に講師として参加し、そしてその後、浜松市内をデモ行進した。それは『ベ平連ニュース』に載っている。
当時ベ平連は全国各地にあった。吉川さんは、どこにあったのか、後年調査をされていた。そのことを知っていたボクは、今から約10年ほど前、磐田市にもあったことを発見し(当時のビラを発見した)、それを吉川さんに連絡した。
メールでのやりとりではあったが、吉川さんは昔浜松に講演に行ったこと、デモに参加したことを思い出していた。そしてそれが載ったニュースを送ってくれた。なつかしく、それを見た。
ボクが社会のことに目ざめたのは、ヴェトナム戦争であった。アメリカという大国が、小さなヴェトナムという国の住民を、ボール爆弾をはじめとした残酷な兵器で殺していた。ボクはそれを座視することはできないと思い、当初はバートランド・ラッセル平和財団に送金したりしていた。その後、ベ平連と連絡を取り、浜松でヴェトナム戦争反対の運動に参加した。
高校にも、同じ志をもった人びとがいた。その人たちと社会科学研究会(社研)を組織して、話し合いや学習会をもった。その頃一緒に活動した人々の中で連絡をとっているのは、たった一人だけだ。彼は今もいろいろな活動をしている。それ以外の人々は今どのように生きているのだろうか。
ところで、小田実さんが亡くなったとき、吉川さんから依頼されて、吉川さんが代表をしていた「市民の意見30の会」に、追悼文を送ったことがある。
小田さんも、ボクに大きな影響を与えた人だ。ボクに大きな影響を与えてくれた人々が、次々に亡くなっている。
亡くなっていった方々の遺志を、何とか活かすことができるように、生きていきたい。
吉川さん、安らかに。といっても、この「参戦法案」がある以上、無理だろうけれども。
ボクは高校生の頃、浜松ベ平連の一員だった。吉川さんは、浜松ベ平連の講演会に講師として参加し、そしてその後、浜松市内をデモ行進した。それは『ベ平連ニュース』に載っている。
当時ベ平連は全国各地にあった。吉川さんは、どこにあったのか、後年調査をされていた。そのことを知っていたボクは、今から約10年ほど前、磐田市にもあったことを発見し(当時のビラを発見した)、それを吉川さんに連絡した。
メールでのやりとりではあったが、吉川さんは昔浜松に講演に行ったこと、デモに参加したことを思い出していた。そしてそれが載ったニュースを送ってくれた。なつかしく、それを見た。
ボクが社会のことに目ざめたのは、ヴェトナム戦争であった。アメリカという大国が、小さなヴェトナムという国の住民を、ボール爆弾をはじめとした残酷な兵器で殺していた。ボクはそれを座視することはできないと思い、当初はバートランド・ラッセル平和財団に送金したりしていた。その後、ベ平連と連絡を取り、浜松でヴェトナム戦争反対の運動に参加した。
高校にも、同じ志をもった人びとがいた。その人たちと社会科学研究会(社研)を組織して、話し合いや学習会をもった。その頃一緒に活動した人々の中で連絡をとっているのは、たった一人だけだ。彼は今もいろいろな活動をしている。それ以外の人々は今どのように生きているのだろうか。
ところで、小田実さんが亡くなったとき、吉川さんから依頼されて、吉川さんが代表をしていた「市民の意見30の会」に、追悼文を送ったことがある。
小田さんも、ボクに大きな影響を与えた人だ。ボクに大きな影響を与えてくれた人々が、次々に亡くなっている。
亡くなっていった方々の遺志を、何とか活かすことができるように、生きていきたい。
吉川さん、安らかに。といっても、この「参戦法案」がある以上、無理だろうけれども。