先日届いた『現代思想』の臨時増刊号「鶴見俊輔」を読む。この人の名前は、高校時代から知っていた。鶴見の本は何冊か読んでいる。書庫にも何冊か並んでいるはずだ。
鶴見は、「・・・・主義者」というものではなく、自由な思考の持ち主であったとおもう。「・・・主義者」になると、その「・・・主義」に忠実になろうとする傾向がでる。ボク自身も、若い頃はマルクス主義の本をたくさん読み、一時期は「マルクス主義者」と自覚していた。しかし今は、忠実になろうという思想は持っていない。平和主義や民主主義は、もちろんそれには忠実であろうと思っているが。
さてこの臨時増刊号、もちろん書き手の方々は、鶴見についていろいろ書いているのだが、その文の中に、心動かされるものをいくつか発見し、本を読むって素晴らしいなあと思うのである。
海老坂武の文の、『きけわだつみのこえ』の中に、「自分は国のために見知らぬ人間を殺せるか」という問いがないという指摘。そして鶴見の「私たちは国家指導者ほどの悪をなし得ないことの故に、私たちのほうが倫理的に優位に立っている」ということば。
高橋武智の「ベ平連とは・・・・「国家に呑み込まれない人」「国家から自立しようとする人」「国家の言うとおりにならない人」」だという指摘。
室謙二の、鶴見の考え(ことば)の説明、「」憲法9条のつくられ方にも内容にも嘘があるかもしれない。しかしその嘘をマコトに変えるのが私たちだ」。
上原隆の、鶴見の「態度の思想」の説明。「態度の思想は、その人が何を考えているか、何をいっているかよりも、ある状況下でどのような行動をとるかということに、その人の思想は顕れる」。
触発されることばが、次々と現れる。本を読むことの素晴らしさがここにある。これらの言葉の群れを前に、考える。そして自らの血肉としていく。読書とは、そういうものだ。
鶴見は、「・・・・主義者」というものではなく、自由な思考の持ち主であったとおもう。「・・・主義者」になると、その「・・・主義」に忠実になろうとする傾向がでる。ボク自身も、若い頃はマルクス主義の本をたくさん読み、一時期は「マルクス主義者」と自覚していた。しかし今は、忠実になろうという思想は持っていない。平和主義や民主主義は、もちろんそれには忠実であろうと思っているが。
さてこの臨時増刊号、もちろん書き手の方々は、鶴見についていろいろ書いているのだが、その文の中に、心動かされるものをいくつか発見し、本を読むって素晴らしいなあと思うのである。
海老坂武の文の、『きけわだつみのこえ』の中に、「自分は国のために見知らぬ人間を殺せるか」という問いがないという指摘。そして鶴見の「私たちは国家指導者ほどの悪をなし得ないことの故に、私たちのほうが倫理的に優位に立っている」ということば。
高橋武智の「ベ平連とは・・・・「国家に呑み込まれない人」「国家から自立しようとする人」「国家の言うとおりにならない人」」だという指摘。
室謙二の、鶴見の考え(ことば)の説明、「」憲法9条のつくられ方にも内容にも嘘があるかもしれない。しかしその嘘をマコトに変えるのが私たちだ」。
上原隆の、鶴見の「態度の思想」の説明。「態度の思想は、その人が何を考えているか、何をいっているかよりも、ある状況下でどのような行動をとるかということに、その人の思想は顕れる」。
触発されることばが、次々と現れる。本を読むことの素晴らしさがここにある。これらの言葉の群れを前に、考える。そして自らの血肉としていく。読書とは、そういうものだ。