今日のNHKにゅーす。
警察が社民関係施設に小型カメラ設置 大分 別府
8月3日 10時20分
大分県の別府警察署の警察官が参議院選挙の期間中のことし6月、社民党の支援団体が選挙運動に使っていた施設の敷地内に無断で小型カメラを設置し、人の出入りを録画していたことが団体の関係者などへの取材で分かりました。大分県警察本部は「捜査のためだったと報告を受けている。事実関係を調査中だ」としています。
社民党の支援団体、別府地区平和運動センターの関係者などによりますと、ことし6月下旬、センターが管理する大分県別府市の別府地区労働福祉会館の敷地内の立木など2か所に、小型カメラが設置されているのを施設の関係者が見つけました。
不審に思って確認したところ、カメラの記録媒体に施設への人の出入りなどが録画されていたということです。当時施設は、参議院選挙で社民党を支援する運動に使われていて、ほかに民進党を支援する連合大分の地域協議会が置かれています。
平和運動センターの関係者によりますと、その後、別府警察署の幹部が施設の敷地内に無断で立ち入ったことを認めたうえで、「どのような捜査で設置したかは言えない」と説明したということです。
NHKの取材に対し、平和運動センターの関係者は「カメラを設置されたことは大変遺憾だ」と話しています。大分県警察本部の小代義之刑事部長は「別府警察署からは捜査のためだったと報告を受けている。現在、事実関係を調査中だ」と話しています。
警察が社民関係施設に小型カメラ設置 大分 別府
8月3日 10時20分
大分県の別府警察署の警察官が参議院選挙の期間中のことし6月、社民党の支援団体が選挙運動に使っていた施設の敷地内に無断で小型カメラを設置し、人の出入りを録画していたことが団体の関係者などへの取材で分かりました。大分県警察本部は「捜査のためだったと報告を受けている。事実関係を調査中だ」としています。
社民党の支援団体、別府地区平和運動センターの関係者などによりますと、ことし6月下旬、センターが管理する大分県別府市の別府地区労働福祉会館の敷地内の立木など2か所に、小型カメラが設置されているのを施設の関係者が見つけました。
不審に思って確認したところ、カメラの記録媒体に施設への人の出入りなどが録画されていたということです。当時施設は、参議院選挙で社民党を支援する運動に使われていて、ほかに民進党を支援する連合大分の地域協議会が置かれています。
平和運動センターの関係者によりますと、その後、別府警察署の幹部が施設の敷地内に無断で立ち入ったことを認めたうえで、「どのような捜査で設置したかは言えない」と説明したということです。
NHKの取材に対し、平和運動センターの関係者は「カメラを設置されたことは大変遺憾だ」と話しています。大分県警察本部の小代義之刑事部長は「別府警察署からは捜査のためだったと報告を受けている。現在、事実関係を調査中だ」と話しています。
日本人は「時流」に呑まれやすい、ということを、何度も書いてきた。今回の都知事選挙、都議会議員補選で、右派政治家が、補選ではすべて自民党が当選している。そして安倍政権は、以前にも指摘したが、「保守」ではなく、「右派革命勢力」である。
ではなぜ、こうした「右派」の政治家が跋扈し、「右派」の雑誌が書店では積まれ、過激な「右派」の言説が堂々と公の場に出るようになったのか。
その一つは、対抗勢力の欠如にある。1990年代前半までは、国会では日本社会党が相対的に多くの議員を抱え、地方議会でもそれなりの勢力を保持していた。しかし、日本社会党は、戦後史に於けるみずからの政治的な役割を認識できず、近視眼的に「政権取り」に舵を切った。細川内閣の時、そして村山内閣の時、日本社会党は選択を誤った。細川内閣では小選挙区制導入に賛成してみずからの政治基盤を失い、村山内閣では党として従来からの政策を放擲し、多くの支持者の失望をかった。そして党名を社会民主党に変更した。これは今までの日本社会党の歴史をご破算にしたということでもある。
自民党などの保守勢力に対する対抗勢力としての役割をみずから抛棄したこと、この罪は大きい。これについて、社会民主党がその過ちについて考察したという話は聞かないから、この流されるままの現状を「甘受」しているのであろう。
もちろん、当時の日本社会党のあり方には同情すべきところもある。日本社会党は、労働組合の組織=総評に依存してその活動を行ってきた。ところが、その総評が内と外からの揺さぶりの中で崩壊し、活動しない連合へと変貌を遂げた。連合は、民主党との連携を図った。日本社会党は、その組織的基盤をほぼ失ったからだ。
こうして対抗勢力として存在していた日本社会党は、ある意味で消された。
その後、戦後史で日本社会党とその勢力が持っていた対抗勢力としての「力」はなくなった。そして小選挙区制が導入されたことで、その「力」の再生も“夢のまた夢”という状況となって今に至る。
では、今後、日本社会党にかわりうる「対抗勢力」は存在するのか、あるいは出現するのか、という問いには、現時点ではそれはないだろう、というしかない。
「右派革命」を阻止する力は、弱いというしかない。
「右派革命」を阻止する力となり得るであろう諸勢力は、今回の都知事選にも見られるように、本腰を入れて阻止しようという意志はないとみた。鳥越候補側は政策もなし、今日の『東京新聞』のコラムに斉藤美奈子氏が書いているように、演説回数も少なく、テレビ討論には出ない、都政のことを語らない、落選は「当然の結果」なのだ。そういう候補を推しだした「諸勢力」は、きちんと反省し、どうしたら「右派革命」を阻止できるか、熟考すべきだ。
現在の政治状況は、「保守回帰」ではなく、「右派革命」前夜であるということだ。そういう認識を持ってことにあたらないと「右派革命勢力」に蹴散らされるだろう。実際に、今そうなりつつある。
ではなぜ、こうした「右派」の政治家が跋扈し、「右派」の雑誌が書店では積まれ、過激な「右派」の言説が堂々と公の場に出るようになったのか。
その一つは、対抗勢力の欠如にある。1990年代前半までは、国会では日本社会党が相対的に多くの議員を抱え、地方議会でもそれなりの勢力を保持していた。しかし、日本社会党は、戦後史に於けるみずからの政治的な役割を認識できず、近視眼的に「政権取り」に舵を切った。細川内閣の時、そして村山内閣の時、日本社会党は選択を誤った。細川内閣では小選挙区制導入に賛成してみずからの政治基盤を失い、村山内閣では党として従来からの政策を放擲し、多くの支持者の失望をかった。そして党名を社会民主党に変更した。これは今までの日本社会党の歴史をご破算にしたということでもある。
自民党などの保守勢力に対する対抗勢力としての役割をみずから抛棄したこと、この罪は大きい。これについて、社会民主党がその過ちについて考察したという話は聞かないから、この流されるままの現状を「甘受」しているのであろう。
もちろん、当時の日本社会党のあり方には同情すべきところもある。日本社会党は、労働組合の組織=総評に依存してその活動を行ってきた。ところが、その総評が内と外からの揺さぶりの中で崩壊し、活動しない連合へと変貌を遂げた。連合は、民主党との連携を図った。日本社会党は、その組織的基盤をほぼ失ったからだ。
こうして対抗勢力として存在していた日本社会党は、ある意味で消された。
その後、戦後史で日本社会党とその勢力が持っていた対抗勢力としての「力」はなくなった。そして小選挙区制が導入されたことで、その「力」の再生も“夢のまた夢”という状況となって今に至る。
では、今後、日本社会党にかわりうる「対抗勢力」は存在するのか、あるいは出現するのか、という問いには、現時点ではそれはないだろう、というしかない。
「右派革命」を阻止する力は、弱いというしかない。
「右派革命」を阻止する力となり得るであろう諸勢力は、今回の都知事選にも見られるように、本腰を入れて阻止しようという意志はないとみた。鳥越候補側は政策もなし、今日の『東京新聞』のコラムに斉藤美奈子氏が書いているように、演説回数も少なく、テレビ討論には出ない、都政のことを語らない、落選は「当然の結果」なのだ。そういう候補を推しだした「諸勢力」は、きちんと反省し、どうしたら「右派革命」を阻止できるか、熟考すべきだ。
現在の政治状況は、「保守回帰」ではなく、「右派革命」前夜であるということだ。そういう認識を持ってことにあたらないと「右派革命勢力」に蹴散らされるだろう。実際に、今そうなりつつある。