この事件は知らなかった。以前この著者の『でっちあげ』を読みブログに紹介したら、著者から書き込みをいただいたことがある。前著と同じような展開といってよいだろう。
長野県・丸子実業高校の生徒が自殺した。その子どもの母親(シングルマザー)は、その自殺の原因をバレーボール(部活動)関係者の「いじめ」によるものだと主張した。
それはしかしウソだった。実際は、その母親は、ネグレクトはもちろん子どもに家事をやらせるなど、家庭内の母子関係が自殺の原因だった。母親から逃れるための自殺だったのだ。
『平気でウソをつく人』という本があるが、母親も同じ。平気でウソをつくし、敵と見做した者に対しては異常な攻撃を行う。学校や教師、バレーボール部の生徒も、そのターゲットとされた。
この母親、最初の夫とふたりの子どもをつくった。離婚。そして再婚。結婚するまではフツーだった母親は、結婚すると豹変し、攻撃的な性格をあらわにする。男性はもちろん出て行った。
そして又この母親は再々婚する。そして同様の事態を引き起こし、離婚。
いずれも、結婚は、出会い系サイトで知り合ったようだ。出会い系サイトの危険性が、ここで明らかになる。
さて、この母親は、学校関係者にたいして訴訟を起こす。そこに人権派弁護士が加わる。
再婚、再々婚の相手は善良な人、弁護士も善良な人だ。善良な人は、こうした女性にはころりとだまされる。善良な人はだまされやすいのだ。善良な人は、そうした人物から遠ざかるのがいちばんである。君子危うきに近寄らず、である。
地域の人々や、母親の家族は、この母親の「個性」を知っていた。だから学校側も、そうした「個性」を見抜いて闘った。そして見事に母親の野望を打ち砕いたのである。
しかし善良な人は、「平気でウソをつく人」にだまされてしまう。「自殺」に関わる事実、その母親に関わる事実をきちんと見ていけば、とてもその母親をささえることなんかできないはずなのに、弁護士も、そして『週刊金曜日』(鎌田慧・筆)もだまされてしまう。
虚心坦懐に事実をみつめることが、こうした間違いをなくしていく。被害者を演じて同情を得ようとする者に対しても、無条件に信用することはやめなければならない。
なおこの本は図書館で借りたものである。
長野県・丸子実業高校の生徒が自殺した。その子どもの母親(シングルマザー)は、その自殺の原因をバレーボール(部活動)関係者の「いじめ」によるものだと主張した。
それはしかしウソだった。実際は、その母親は、ネグレクトはもちろん子どもに家事をやらせるなど、家庭内の母子関係が自殺の原因だった。母親から逃れるための自殺だったのだ。
『平気でウソをつく人』という本があるが、母親も同じ。平気でウソをつくし、敵と見做した者に対しては異常な攻撃を行う。学校や教師、バレーボール部の生徒も、そのターゲットとされた。
この母親、最初の夫とふたりの子どもをつくった。離婚。そして再婚。結婚するまではフツーだった母親は、結婚すると豹変し、攻撃的な性格をあらわにする。男性はもちろん出て行った。
そして又この母親は再々婚する。そして同様の事態を引き起こし、離婚。
いずれも、結婚は、出会い系サイトで知り合ったようだ。出会い系サイトの危険性が、ここで明らかになる。
さて、この母親は、学校関係者にたいして訴訟を起こす。そこに人権派弁護士が加わる。
再婚、再々婚の相手は善良な人、弁護士も善良な人だ。善良な人は、こうした女性にはころりとだまされる。善良な人はだまされやすいのだ。善良な人は、そうした人物から遠ざかるのがいちばんである。君子危うきに近寄らず、である。
地域の人々や、母親の家族は、この母親の「個性」を知っていた。だから学校側も、そうした「個性」を見抜いて闘った。そして見事に母親の野望を打ち砕いたのである。
しかし善良な人は、「平気でウソをつく人」にだまされてしまう。「自殺」に関わる事実、その母親に関わる事実をきちんと見ていけば、とてもその母親をささえることなんかできないはずなのに、弁護士も、そして『週刊金曜日』(鎌田慧・筆)もだまされてしまう。
虚心坦懐に事実をみつめることが、こうした間違いをなくしていく。被害者を演じて同情を得ようとする者に対しても、無条件に信用することはやめなければならない。
なおこの本は図書館で借りたものである。