浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

広島のこと

2016-08-02 21:51:50 | その他
 『現代思想』の今月号は、「〈広島〉の思想」であることは、以前紹介した。この特集は、オバマ大統領の広島訪問を契機に、その意味を考えるという意図がある。

 『世界』八月号も、第二特集として「「核なき未来」は可能か」を掲げているが、これもオバマ大統領の広島訪問に焦点が絞られている。

 そのなかで、もっとも触発されたのが、アーサー・ビナードの「オバマは何しに日本へ?」である。アメリカ人の詩人の記述がもっとも刺激的だった。

 ビナードは、オバマの演説を「男女問わずアメリカ国籍の成人であれば誰でも言えることの羅列が、最初から最後まで続いた。大統領ならではの発言はない。」とする。アメリカの行政権を掌握しているオバマなら、大統領として何かしらやる、そのことがまったく欠落している、と指摘するのだ。「大統領として何かをするのかしないのか、それを言わなければ大統領演説じゃない」と。

 だとすると、いったいなぜオバマは広島に来たのか、ただ言葉を羅列したメッセージを語るだけに来たのか。

 ビナードは、「だれかが広島の地で演説したり挨拶したりするときは、必ず慰霊碑の前に立った」という。ローマ法王ヨハネパウロ2世も。
 しかしオバマは「献花の花輪を南から見て慰霊碑の右にずらして置き、本人はなぜか階段を降りたところの左端に足って演説した。なぜならこの立ち位置で正面から撮った写真を見ると、慰霊碑は映らないからだ。」
 慰霊碑が映らないような場所を選んだのだ。

 オバマの背後には、原爆ドームがある。ビナードは、「原爆ドームは、ぼくから見ると、被爆者の象徴であり仲間でもある。でも、アメリカの支配者、あるいは原爆投下が勝利をもたらしたと勘違いしている人から見ると、原爆のすばらしい威力を示す証拠品」となるのだと指摘し、「広島と長崎で終わった、あの戦争は・・・」という演説は、オバマの「勝利宣言」なのだと指摘する。

 そしてビナードは、オバマの本当の訪問先は岩国であったというのだ。オバマは岩国で、米兵や自衛隊員を激励している。

 広島でのオバマの演説は、「核兵器の廃絶」にはまったくつながらない。なぜなら、今後三〇年かけて1兆ドルを投じてアメリカの核兵器を一新することを、オバマは決めているからだ。

 オバマの広島訪問を日本人は喜ぶ、とにかく広島に来ただけでもいいのだ、と。しかし、政治は、言葉ではなく、何をするか、何をしようとするかで評価されるべきだ。

 政治家のことばは、軽い。ことばではなく、何をするか。とりわけ、選挙時のことばは、すぐに消えていき、逆のことを平気でやるのが政治家なのだから。オバマも同様である。

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「神の子」

2016-08-02 09:57:40 | その他
 私の知り合いにクリスチャンがいる。重度心身障がいの子どもたちの施設の理事長だ。キリスト教精神で、子どもたちが生きることを、愛情を持って支えている。尊敬すべき方である。

 その施設をつくった先代の理事長から話を伺ったことがある。ずっと前のことだ。私が見学したとき、彼は「この子どもたちは神の子」なのですと語っていた。子どもたちを見る目は、愛情深く、それだけでなく敬意すら抱いているように見えた。

 ところで、曾野綾子という作家が、ひどいことを書いているという文に接した。彼女もクリスチャンだと思うが、いったその違いはどこからくるのか。知り合いはプロテスタント、曾野綾子はカトリックだから、その違いか。

http://lite-ra.com/2016/08/post-2463_2.html

 私は、支配層に属する人々は、「権利」についての認識が皆無であると思っている。

 
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