以前、全日本仏教会が、Amazonの「お坊さん便」を批判したことがあった。私は、「お坊さん便」には問題はあるが、不当な高額のお布施を要求する寺院には、いつも腹を立てていた。
そこで、全日本仏教会にメールで、「お坊さん便」を批判するより、まず自らの襟を正すべきで、高額な布施の要求はおかしい、寺院などが無税であるのは布施が寺院ではなく、檀家などが決めるものであるにもかかわらず寺院から高額な金銭を求めるのは問題だなどということを書いて送った。
そうしたら、私だけではなかったようだ。
http://www.huffingtonpost.jp/2016/08/10/obosanbin_n_11441630.html?utm_hp_ref=japan
葬式仏教となったのは近世からである。戦後の高度経済成長により、国民の所得が伸び、寺院もそれにつれて徐々に布施の価額をつりあげていった。しかし、近年は、所得の伸びもなくなり、生活水準も低下、年金生活者の年金も下がり気味となってるとき、寺院の布施だけが高額高止まりをつづけている。
私の菩提寺の寺院には住職がいない。仕方なく近隣の寺院の坊主に来てもらっているが、これが浜松で一、二を争う金の亡者。檀家はその寺院との縁を切ろうと努力したが、その寺院から億単位のカネを要求されあきらめたという経緯がある。
地獄の沙汰も金次第、を寺院自らがやっているのだから、仏教から神道へと逃げていくのも頷ける。寺院は今改革をしないと、多くの人が寺から離れていくだろう。そうすると、廃寺となるところも増える。まさに合掌である。
そこで、全日本仏教会にメールで、「お坊さん便」を批判するより、まず自らの襟を正すべきで、高額な布施の要求はおかしい、寺院などが無税であるのは布施が寺院ではなく、檀家などが決めるものであるにもかかわらず寺院から高額な金銭を求めるのは問題だなどということを書いて送った。
そうしたら、私だけではなかったようだ。
http://www.huffingtonpost.jp/2016/08/10/obosanbin_n_11441630.html?utm_hp_ref=japan
葬式仏教となったのは近世からである。戦後の高度経済成長により、国民の所得が伸び、寺院もそれにつれて徐々に布施の価額をつりあげていった。しかし、近年は、所得の伸びもなくなり、生活水準も低下、年金生活者の年金も下がり気味となってるとき、寺院の布施だけが高額高止まりをつづけている。
私の菩提寺の寺院には住職がいない。仕方なく近隣の寺院の坊主に来てもらっているが、これが浜松で一、二を争う金の亡者。檀家はその寺院との縁を切ろうと努力したが、その寺院から億単位のカネを要求されあきらめたという経緯がある。
地獄の沙汰も金次第、を寺院自らがやっているのだから、仏教から神道へと逃げていくのも頷ける。寺院は今改革をしないと、多くの人が寺から離れていくだろう。そうすると、廃寺となるところも増える。まさに合掌である。