戦争は、人災である。戦争の「被害者」、空襲の「被害者」・・・戦争では、「被害者」ということばが使われるが、「被害者」がいるのなら「加害者」が必ずいるはずである。その「加害者」は誰なのか、それを追及しなければならない。
今日は、「終戦記念日」。ごまかしのことばが、ここでもつかわれている。本当は、「敗戦記念日」なのだ。「終戦」というと、春から夏に季節が移ろうように、人為的ではないかたちで、いつのまにか戦争が終わるような語感を与える。いつのまにか始まって、いつのまにか終わっている戦争?
そんなことはありえない。戦争は、あくまで人為的である。戦争を始めた奴が必ずいる。そして戦争には勝ち負けがある。
日本は戦争に負けた。「敗戦記念日」と、本当はすべきだ。「敗戦」という事態を見つめるところから、ではどこの国に負けたのか、という問いがでる。ではなぜ負ける戦争を起こしたのか・・・・・さまざまな問いが浮かび上がる。
「終戦」からは、問いは生まれない。
8月15日は、「問い」をみつけ、その問いの答えを考える日にしたい。「被害者」?では誰が「加害者」なのか。「敗戦」?どこの国に負けたのか。
問い続けることが大切だ。その問いを問わなくなるとき、「戦後」は「戦前」へと転化する。
今日は、「終戦記念日」。ごまかしのことばが、ここでもつかわれている。本当は、「敗戦記念日」なのだ。「終戦」というと、春から夏に季節が移ろうように、人為的ではないかたちで、いつのまにか戦争が終わるような語感を与える。いつのまにか始まって、いつのまにか終わっている戦争?
そんなことはありえない。戦争は、あくまで人為的である。戦争を始めた奴が必ずいる。そして戦争には勝ち負けがある。
日本は戦争に負けた。「敗戦記念日」と、本当はすべきだ。「敗戦」という事態を見つめるところから、ではどこの国に負けたのか、という問いがでる。ではなぜ負ける戦争を起こしたのか・・・・・さまざまな問いが浮かび上がる。
「終戦」からは、問いは生まれない。
8月15日は、「問い」をみつけ、その問いの答えを考える日にしたい。「被害者」?では誰が「加害者」なのか。「敗戦」?どこの国に負けたのか。
問い続けることが大切だ。その問いを問わなくなるとき、「戦後」は「戦前」へと転化する。