浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

SEALDs解散

2016-08-17 21:00:05 | その他
 ここ数年の政治運動に大きな役割を果たしたSEALdsが解散する。出来た当初から、組織という組織ではなかったから、こういうように解散するというのも新鮮な感じがする。

 しかし、ここ数年の政治運動の盛り上がりは、SEALDsに大きく鼓舞されてきたということもあり、それがなくなるというのは少し残念な気もする。

 彼らの運動をみたとき、もっとも新鮮であったのが、ある種の「演説」であった。旧来のデモ行進や集会では、集会の主催者などがありきたりの挨拶をして、デモ行進ではありきたりのシュプレヒコールを叫び・・・というのが通常であったが、彼らは、いや彼らと集合的にいうのはまずいと思えるほど、ひとり一人が自分のことばで語っていたことだ。それも理路整然と、一定の知識を背景とした主張を、わかりやすく、丁寧に話していた。これは今までの運動にはなかったことだ。
 その意味で、旧来の運動関係者が学ぶところ多かった。

 SEALDsのメンバーがきちんとした主張ができたのは、言うまでもなく、彼らはきちんと学んでいたからだ。読むべき本を読み、おそらく討論し、そのなかから自分自身の思想をつくりだしてきていた。その思想にもとづいた「演説」はひとり一人個性をもったものだった。

 旧来の運動は、労働組合などの組織が「動員」というかたちで、その傘下の人々に参加させていた、ともいえよう。しかしそうではなく、SEALDsはひとり一人がみずからの意思で参加していくということを尊重する運動であった。

 これからの運動はそういうものが主流となっていくことだろう。そのリーダーといっていいかどうかわからないが、そのインタビュー記事。

http://lite-ra.com/2016/08/post-2498.html
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『おかあちゃん、ちっともいい世の中にならなかったねえ』

2016-08-17 08:59:55 | その他
 『朝日新聞』の筆力が衰えてきたことを何度も書いてきたが、この文はすばらしい。こういう書き手が、朝日にもいるってこと。

 ※このように書いたら、この文は『毎日新聞』というコメントをいただいた。ネットで『朝日』の記事を読み、すぐに『毎日』にとびいろいろ読んだ後に、この文を書いたので、『毎日』の記事なのに、『朝日』の記事と勘違いした。『毎日』にお詫びしなければならない。やはり『朝日』で、こうした文を読むことはなくなっている。「社説」はもちろん、「天声人語」すらも。
 『朝日』の記事は、その背後にどうしても主張したいという気概、あるいはその記事を書いた人の人間性がみられなくなっている。そういうものがあってはじめて、文は他者に働きかけることができる。「中立」、あるいは「両論併記」は、骨抜きと同義になってしまうのである。

http://mainichi.jp/articles/20160816/dde/012/040/007000c

 理論社、倒産していたのか。

 本を読まない若者たち。本を読まずに、知ったかぶりや浅薄な思いつきで会話を続ける姿に、溜息をつく。認識や知識は様々なつながりを持ちながら頭の中に畳まれているのに、そのつながりを持とうともせず、その瞬間瞬間の意味のない会話で時間を費消する。

 その行く末が、文化不毛の日本。その兆候がはっきりと現れている。文化は、過去からの蓄積の中に花開く。過去の蓄積を顧みない文化は、たとえ花が咲いても、美しくはない。
コメント (1)
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