ここ数年の政治運動に大きな役割を果たしたSEALdsが解散する。出来た当初から、組織という組織ではなかったから、こういうように解散するというのも新鮮な感じがする。
しかし、ここ数年の政治運動の盛り上がりは、SEALDsに大きく鼓舞されてきたということもあり、それがなくなるというのは少し残念な気もする。
彼らの運動をみたとき、もっとも新鮮であったのが、ある種の「演説」であった。旧来のデモ行進や集会では、集会の主催者などがありきたりの挨拶をして、デモ行進ではありきたりのシュプレヒコールを叫び・・・というのが通常であったが、彼らは、いや彼らと集合的にいうのはまずいと思えるほど、ひとり一人が自分のことばで語っていたことだ。それも理路整然と、一定の知識を背景とした主張を、わかりやすく、丁寧に話していた。これは今までの運動にはなかったことだ。
その意味で、旧来の運動関係者が学ぶところ多かった。
SEALDsのメンバーがきちんとした主張ができたのは、言うまでもなく、彼らはきちんと学んでいたからだ。読むべき本を読み、おそらく討論し、そのなかから自分自身の思想をつくりだしてきていた。その思想にもとづいた「演説」はひとり一人個性をもったものだった。
旧来の運動は、労働組合などの組織が「動員」というかたちで、その傘下の人々に参加させていた、ともいえよう。しかしそうではなく、SEALDsはひとり一人がみずからの意思で参加していくということを尊重する運動であった。
これからの運動はそういうものが主流となっていくことだろう。そのリーダーといっていいかどうかわからないが、そのインタビュー記事。
http://lite-ra.com/2016/08/post-2498.html
しかし、ここ数年の政治運動の盛り上がりは、SEALDsに大きく鼓舞されてきたということもあり、それがなくなるというのは少し残念な気もする。
彼らの運動をみたとき、もっとも新鮮であったのが、ある種の「演説」であった。旧来のデモ行進や集会では、集会の主催者などがありきたりの挨拶をして、デモ行進ではありきたりのシュプレヒコールを叫び・・・というのが通常であったが、彼らは、いや彼らと集合的にいうのはまずいと思えるほど、ひとり一人が自分のことばで語っていたことだ。それも理路整然と、一定の知識を背景とした主張を、わかりやすく、丁寧に話していた。これは今までの運動にはなかったことだ。
その意味で、旧来の運動関係者が学ぶところ多かった。
SEALDsのメンバーがきちんとした主張ができたのは、言うまでもなく、彼らはきちんと学んでいたからだ。読むべき本を読み、おそらく討論し、そのなかから自分自身の思想をつくりだしてきていた。その思想にもとづいた「演説」はひとり一人個性をもったものだった。
旧来の運動は、労働組合などの組織が「動員」というかたちで、その傘下の人々に参加させていた、ともいえよう。しかしそうではなく、SEALDsはひとり一人がみずからの意思で参加していくということを尊重する運動であった。
これからの運動はそういうものが主流となっていくことだろう。そのリーダーといっていいかどうかわからないが、そのインタビュー記事。
http://lite-ra.com/2016/08/post-2498.html