「パルマ - イタリア美術、もう一つの都 - 」 国立西洋美術館(Vol.2・スケドーニ)

国立西洋美術館台東区上野公園7-7
「パルマ - イタリア美術、もう一つの都 - 」
5/29-8/26

「Vol.1」より続きます。国立西洋美術館で開催中のパルマ展です。「Vol.2」では「奇才」(展覧会公式HPより。)とも称される、バルトロメオ・スケドーニ(1578-1615)の油彩作品、特に印象深い2点について触れたいと思います。

本展覧会にて紹介されているスケドーニの油彩画は以下の5点です。

「ヴィンチェンツォ・グラッシの肖像」(1610-15年頃)
「慈愛」(1610年以降)*
「聖ペテロ」(1611年頃)
「聖パウロ」(1611年頃)
「キリストの墓の前のマリアたち」(1613年頃)

*ナポリ、国立カポディモンテ美術館所蔵のオリジナルの模写とされる。スケドーニの自筆かどうかは不明。



まずは、画家の代表作としても名高い「キリストの墓の前のマリアたち」(1613年頃)が非常に印象的です。強いスポットライトを当てたように輝く光と、その一方での沈み込むような深い闇との対比、または眩しいほどに煌めく白をはじめとした色の力強さ、さらにはまるでストップウォッチで時間を止めたかのような劇的で動的な人物の描写が、不思議にも全体としては驚くほど静謐に調和しながら示されています。石棺より飛び出し、天を指しながらイエスの復活を告げる天使は一点の澱みもないほど美しく、肩に強い光を浴び、ブロンドの髪を流麗に靡かせてその姿を見入るマリアも実に清らかな姿を思わせていました。また、黄色の衣服を纏う手前の女性の左手は、今にもこちらに飛び出してきそうなほど立体的に描かれています。細部へ近づいて見ると、その描写は精緻というよりも大胆でかつ平面的で、絵具の塗りは粗いとさえ思うほどですが、むしろそれが斬新で効果的なコントラストを生み出すことに繋がっているようです。単純化された色遣いが、各人の内面を表すように一種、記号化されています。そこにどこか現代的な感覚を見るのかもしれません。ともかく、今より400年前のものには到底思えないような作品です。



スケドーニの自筆かどうか確定していない「慈愛」(1610年以降)は、たとえこれが彼のものでなくても素晴らしい作品であることには変わりないと思います。陰影の見事な白とピンクの衣服に身を纏った女性が、見るからに貧しい二人の少年にパンを分け与えていました。ここではまず、その施しを与える女性の清楚な横顔にも見入るところですが、やはりこの作品の主役は、女性の連れた身なりも立派な子どもと、全く対照的な姿をとる長い杖をついた盲児の二人です。盲児は一見、虚ろで覚束ない表情を見せていますが、まるで何かに呼ばれたかのように上を向いて目を開く様子には、境遇こそ不憫であれども、どこか彼自身の逞しい生命感を見る思いがします。そして一方でこちらをジロリと見つめる少年は何とも対比的です。画中でもとりわけコントラストにも巧みな、また精緻に描かれた部分でありながらも、その表情は空疎で、この施しに対する関心を全く示していません。また、施す女性たちと施される盲児たちには、それぞれに光と闇とが分かり易い形にて与えられ、持てる者と持たざる者の境遇の差を容赦なく示しています。「慈愛」の行為は確かに美しいものですが、ここにはその両者の越えられない壁が、半ば運命的なものとしても描かれているようです。(*1)

37歳にて自殺したとされるスケドーニの人生は情熱的、またときには争いを引き起こすような暴力的な面も持っていたそうです。この「パルマ展」は、そのような彼の傑作をおそらく日本で初めて紹介するものだと思います。この2点だけでも、展覧会を鑑賞する価値は十分にあると言えるのではないでしょうか。

8月26日までの開催です。もちろんおすすめします。(6/17)

*関連エントリ
「パルマ - イタリア美術、もう一つの都 - 」 国立西洋美術館(Vol.1)

*1 施す側の母子も裸足であることから、実際には庶民同士の施しを描いた作品とする見方が強いそうです。(「食べる西洋美術史/光文社新書/宮下規久朗」p.66参照。)
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