伶楽舎 「吉松隆:夢寿歌」他

伶楽舎第八回雅楽演奏会「伶倫楽遊」

管絃 「太食調調子」/「朝小子」/「輪鼓褌脱」 
舞楽 「還城楽(左方)」
吉松隆 「夢寿歌」 op.100

演奏 伶楽舎

2007/7/1 14:00 紀尾井ホール2階



吉松隆の記念すべき第100作目は、伶楽舎の委嘱による雅楽器を用いた「夢寿歌」(ゆめほぎうた)でした。雅楽演奏では定評のある伶楽舎のコンサートです。

今回の「夢寿歌」は、今から10年前の1997年、国立劇場の委嘱によって作曲された「鳥夢の舞」に次ぐ、吉松隆の雅楽作品の第2作目です。(初演は同じく伶楽舎。)「良い夢を見たことを愛でる歌であると同時に、悪い夢を見た後、それが夢だったことを寿ぐ舞歌。」(*)というコンセプトを、いわゆるセレナード形式の全5楽章にて実現します。各楽章の表題は以下の通りです。

1「夢舞」(ゆめまい)
2「風戯」(かぜそばえ)
3「早歌」(はやうた)
4「静歌」(しずうた)
5「舞人」(まいうど)

吉松の音楽は雅楽においてもやはり情緒的です。ここでもいわゆる調性のない「ゲンダイオンガク」的な部分を押しのけて、殆ど愚直なまでにメロディーを追求し、ある意味で雅楽よりも古典的とさえ思うような音楽を作り上げていきます。以前、伶楽舎にて武満の「秋庭歌一具」を聴いた際にも少し感じた、雅楽と西洋音楽的語法との間にある一種の齟齬は、吉松の得意とする哀愁に満ちたフレーズを聴くとさらに不気味なほど増幅しました。特にそれは第3楽章の「早歌」に顕著です。アレグロで駆け抜けるテンポの良い音楽は、もはや雅楽に親しむ方が眉をひそめそうなほどその世界観を簡単に壊していました。もちろん、そこに吉松音楽に特有の魅力があるわけです。雅楽を利用して、あえて雅楽でない世界を古典的な語法で表現することに何の問題もありません。雅楽がツールとなり、その上にて作曲家の音楽観を聴くことが出来るのは、とてもスリリングな体験だとさえ思います。

さて休憩前に演奏された二曲では、「蛇を好んで食す西域の人が蛇を見つけて喜ぶ様を舞にした」(*)という舞楽「還城楽」が印象に残りました。途中、黒子によって運ばれてくる蛇の置物を、赤々とした衣装に身を纏う舞人が、舞台を縦横無尽に動きながら力強く対峙していきます。特に心にとまったのは、おっかなびっくりしながら、まるで蛇を腫れ物に触るように見る舞人の滑稽な様子です。繰り返される所作とミニマル的な伴奏がそのドラマを印象深く伝え、蛇を見事に見つけて喜んで帰る時には、思わずこちらまでが嬉しく思ってしまいました。迫真の演技です。

「武満徹:秋庭歌一具/伶楽舎」

音響に定評のある紀尾井ホールで聴く雅楽もまた新鮮でした。通常、空気へ染み入るように音の消える雅楽器が、反響板の力を借りて「渦」をつくりながら力強くまとまっていきます。笙の存在感がさらに増していたようにも感じました。

雅楽にもお詳しいTakさんが、コンサートの前半部についてまとめておられます。そちらも是非ご参照下さい。

「伶楽舎第八回雅楽演奏会「伶倫楽遊」」(弐代目・青い日記帳)

(*印はともにコンサートパンフレットより引用。)
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )