都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「月を愛でる」 UKIYO-E TOKYO
UKIYO-E TOKYO(江東区豊洲2-4-9 アーバンドックららぽーと豊洲1階)
「月を愛でる - 描かれた月の風情と物語 - 」
9/1-24
マイブーム中の月岡芳年が多く出品されていると聞き、少し足を伸ばしてみることにしました。今、話題の街(?)豊洲のららぽーと内にある、浮世絵専門の小さな施設です。広重の名所百景や、芳年の「月百姿」など、タイトルの通り月をテーマとする作品約70点ほどが展示されていました。
「月百姿」はつい先日、小石川の美術館で見たものといくつか重なりましたが、やはり芳年に特徴的な『映像』を思わせる作品が魅力的です。中でも特におすすめしたいのは、「大物海上月 弁慶」(1886)でした。まるで炎のように靡く波頭を持った波が、今にも弁慶の乗る小舟を襲わんとばかりに力強く迫出しています。艶やかさえ感じる黒光りした波はもちろんのこと、背後にて神々しくも構える満月の味わいはもはや超現実的であるとも言えるでしょう。また波に全く動ぜず、ただひらすらに泰然と構えて船を操る弁慶の姿も印象に残りました。まさに芳年ならではの冴えた構図、または不気味でさえある奇抜な配色を楽しめる名品だと思います。
弁慶に見る激しさこそありませんが、全く対照的な静けさの魅力を楽しめるものとして挙げたいのは、この「むさしのの月」(1891)です。やせ細って水面を見る狐と、そこに覆い被さるように群れたすすき、そして中央の満月の組み合わせは、とても静謐でかつ幽玄な雰囲気を醸し出しています。また好きな「夕顔棚納涼」(1886)を再び見られたのも嬉しいところでした。亡霊のような夕顔がぼんやりと立ちすくんでいます。全体を覆う水色の発色も鮮やかでした。
最後に、このやや場違いな印象もある「UKIYO-E TOKYO」について触れたいと思います。その前身はミシンメーカーのリッカーの創始者であり、またコレクターでもあった平木信二氏の浮世絵コレクションを公開するため、1972年にオープンした「リッカー美術館」(平木浮世絵財団)です。もちろん現在も同財団が「UKIYO-E」を運営しているわけですが、その後、ここ豊洲に至るまでの経緯がかなり複雑です。(1984年、リッカーが倒産。→1993年、美術館閉鎖→その後、横浜そごうへ「平木浮世絵美術館」としてオープン。→そごう破綻のため新橋へと移転。→2006年、豊洲ららぽーと内に再オープン。)残念ながら今のスペースも、全6000点、うち重要文化財13点という日本でも指折りな浮世絵のコレクションを展示するにはあまりにも狭く、また情報発信をするにも公式HPすらなく、さらには集客においてもららぽーとの賑わいをまるで取り込めていない有様でしたが、まずは地に足を着けて息長く運営されることを望みたいと思いました。(ちなみに展示リストはあります。)
次回展示のちらしです。(クリックで拡大します。)
今月24日までの開催です。(9/15)
美術館全景。ららぽーととして殆どオマケのような施設なのかもしれません。あまり目立たない場所にありました。館内マップは必携です。
「月を愛でる - 描かれた月の風情と物語 - 」
9/1-24
マイブーム中の月岡芳年が多く出品されていると聞き、少し足を伸ばしてみることにしました。今、話題の街(?)豊洲のららぽーと内にある、浮世絵専門の小さな施設です。広重の名所百景や、芳年の「月百姿」など、タイトルの通り月をテーマとする作品約70点ほどが展示されていました。
「月百姿」はつい先日、小石川の美術館で見たものといくつか重なりましたが、やはり芳年に特徴的な『映像』を思わせる作品が魅力的です。中でも特におすすめしたいのは、「大物海上月 弁慶」(1886)でした。まるで炎のように靡く波頭を持った波が、今にも弁慶の乗る小舟を襲わんとばかりに力強く迫出しています。艶やかさえ感じる黒光りした波はもちろんのこと、背後にて神々しくも構える満月の味わいはもはや超現実的であるとも言えるでしょう。また波に全く動ぜず、ただひらすらに泰然と構えて船を操る弁慶の姿も印象に残りました。まさに芳年ならではの冴えた構図、または不気味でさえある奇抜な配色を楽しめる名品だと思います。
弁慶に見る激しさこそありませんが、全く対照的な静けさの魅力を楽しめるものとして挙げたいのは、この「むさしのの月」(1891)です。やせ細って水面を見る狐と、そこに覆い被さるように群れたすすき、そして中央の満月の組み合わせは、とても静謐でかつ幽玄な雰囲気を醸し出しています。また好きな「夕顔棚納涼」(1886)を再び見られたのも嬉しいところでした。亡霊のような夕顔がぼんやりと立ちすくんでいます。全体を覆う水色の発色も鮮やかでした。
最後に、このやや場違いな印象もある「UKIYO-E TOKYO」について触れたいと思います。その前身はミシンメーカーのリッカーの創始者であり、またコレクターでもあった平木信二氏の浮世絵コレクションを公開するため、1972年にオープンした「リッカー美術館」(平木浮世絵財団)です。もちろん現在も同財団が「UKIYO-E」を運営しているわけですが、その後、ここ豊洲に至るまでの経緯がかなり複雑です。(1984年、リッカーが倒産。→1993年、美術館閉鎖→その後、横浜そごうへ「平木浮世絵美術館」としてオープン。→そごう破綻のため新橋へと移転。→2006年、豊洲ららぽーと内に再オープン。)残念ながら今のスペースも、全6000点、うち重要文化財13点という日本でも指折りな浮世絵のコレクションを展示するにはあまりにも狭く、また情報発信をするにも公式HPすらなく、さらには集客においてもららぽーとの賑わいをまるで取り込めていない有様でしたが、まずは地に足を着けて息長く運営されることを望みたいと思いました。(ちなみに展示リストはあります。)
次回展示のちらしです。(クリックで拡大します。)
今月24日までの開催です。(9/15)
美術館全景。ららぽーととして殆どオマケのような施設なのかもしれません。あまり目立たない場所にありました。館内マップは必携です。
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