僕はびわ湖のカイツブリ

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“男のためのガーデニング”改め

能登川町の勧請縄(トリクグラズ)~伊庭仁王堂・高木観音・長勝寺~

2021-03-05 07:13:33 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 伊庭仁王堂の勧請縄

東近江市「能登川博物館」の資料によると、能登川町で「勧請吊」を行っているところが4カ所あると紹介されています。
「勧請縄は、村の入り口・村境・境内入り口などに道を横切って吊され、そのことにより悪霊 ・厄神の侵入を防ぎ、さらに秋に豊作を祈る意味あいが込められています。」(「能登川てんこもり」より)

能登川町は繖山や伊庭山が連なる山系の西側の平野部に位置し、古代より山や巨石に対する神奈備信仰が盛んだった地とされており、岩神・岩船・磐座などが残る一帯です。
巨石を神と敬う文化がありつつも、農村部での勧請縄の文化は野の神を祀るという面では野神信仰とよく似ており、貴重な民俗文化だと思います。



伊庭集落の東の入口には「大濱神社」「仁王堂」「文殊堂」「高木観音堂」などが集まっている一角があり、道路を横切るように「伊庭仁王堂の勧請縄」が掛けられています。
典型的な「道切り」といえると思いますが、集落の入口にあって悪いものの侵入を防ぐという意味では野神さんに通じるものを感じます。



「内野の勧請縄」も道を横切って掛けられていましたが、勧請縄には道を横切るものと神社などの参道に掛けられるものがあるようです。
この勧請縄の横には「道祖神社」の祠に猿田彦命が祀られており、“外部からの悪霊、禍神、疫病神の侵入を防ぎ郷土を災難から守っておられます”との説明書きがある。
また、以前はお嫁入や遠方への旅立ちの際には当社に参拝して道中の無事を必ず祈願したとも書かれてあり、ムラとソトの概念がはっきりしている。



勧請縄の中央には、縦横3本づつの竹の周囲を円形にしてスギの葉を添えられた形をしたトリクグラズが吊るされています。
勧請縄にはさがりが吊るされ、トリクグラズには3本の竹に御幣とさがりが付けられていますが、この様式はこの集落特有のものなのでしょう。



竹の部分に文字のようなものは見えないが、大繩の上あたりに黒い2本線がある。
意味は分かりませんが、この形には決め事があって、集落に継承されてきたのだと思います。



勧請縄の横にある「仁王堂」は、「大濱神社」の本殿と隣り合わせのところにあり、「伊庭祭坂下し」など年間を通じて祭礼の舞台になっているといいます。
鎌倉前期の建立とされる「仁王堂」は、茅葺の屋根が美しく、屋根に見える白い点はアワビの貝殻。

カラスなどの鳥の巣作りの材料にされるのを防いでいるためのものですが、効果は如何ほどか。
境内がやたらとうるさいのは大濱神社の本殿横の森にアオサギのコロニーがあるからで、アオサギが巣材の枝を運んでいる姿を参拝中に何度も見ました。



伊庭高木観音の勧請縄

「大濱神社」と「仁王堂」のあるエリアのすぐ横に「伊庭高木観音の勧請縄」はあり、「高木観世音菩薩正福寺」の御堂の前に掛けられている。
伊庭仁王堂の勧請縄と隣接した場所にありながらも、似たような部分もあれば少し違いも見られます。





トリクグラズは同じような円形で3本の竹串と御幣は同じようになっていますが、こちらは吊るされた葉に御幣がたくさん付いています。
勧請はそれぞれ属する講中の人で造られるとされますので、2つの勧請縄は別の人達が影響を受けながら造ってきた歴史があるのかもしれません。





長勝寺の勧請縄

能登川3つ目の勧請縄は「長勝寺の勧請吊」でしたが、長勝寺集落へ入って「長勝禅寺」の境内を探してみたものの見つかりません。
ふと後方を見ると勧請縄は寺院の石段の反対側にありということで、まさに灯台下暗し。
「長勝寺の勧請縄」は集落の東側、山へ向う道に掛けられてあり、山へ続く道の道切りといった感じです。



トリクグラズには3本の竹串に付けられた御幣がそれぞれ挿され、下には藁とスギのさがりが吊るされてあります。
離れて見ると大きな鍋材のシイタケのようにも見えてしまうトリクグラズですが、それぞれの集落独自の独創性にはいつも驚かされます。



トリクグラズの真ん中のものには何か書かれた紙が挟まれていたものの、残念ながら読み取れず。
とはいえ、今まで見たことのない個性的なトリクグラズには違いはありません。





大繩もかなり手の込んだ造作がされていて、右側には輪っかが、左側にはぼんぼりのようになっています。
どちらも年季の入った方がおられないと造れそうにはありません。





能登川では、「長勝寺」「伊庭仁王堂」「伊庭高木観音」「能登川毘沙門堂」の 4 カ所で勧請縄が行われているとこことですが、「能登川毘沙門堂」だけは場所が分からず諦めることになりました。
地元の方に聞いてみたのですが、“能登川の毘沙門堂”だけでは漠然としすぎでしたね。

乎加神社と神郷亀塚古墳

帰り道に旧神崎郡では最も古い神社で平安時代の「延喜式」にも記されている神社だとされる「乎加神社」へ参拝しました。
気になったのは神社の裏に「神郷亀塚古墳」という古墳があるということでしたので、参拝を済ませた後、神郷亀塚古墳へと向かいます。



「神郷亀塚古墳」は3世紀前半(220年頃)に造られたという日本最古級の前方後方墳とされ、大和の古墳とは形・墳丘の構造・埋葬の形式が違うことから、狗奴国の有力者の墓との説があるようです。
神社の裏側の寂しい道を進んで開けたところへ出ると、古墳の墳丘の周りに畑が広がっていて、何人の方がそれぞれの畑を耕しておられてビックリする。
前方後方墳だと分かる位置まで移動して写真を撮りましたが、農作業の方には古墳見たさに畑の縁をうろうろしている変わった人に写ったことでしょう。




コメント
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