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日本五大山城「小谷城址」から小谷山に登る!

2023-10-24 06:25:33 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 戦国時代を舞台としたドラマに必ず登場するのが近江・浅井氏に嫁いだ織田信長の妹のお市、浅井長政とお市の娘である茶々・初・江の浅井三姉妹かと思います。
三姉妹はそれぞれ豊臣秀吉・京極高次・徳川秀忠に嫁ぎ、茶々は豊臣秀頼を、江は徳川家光を生んだとされ、その血筋は将軍家に脈々と続いていったという名門です。

お市を長政に嫁がせて同盟を組んだ織田・浅井は六角氏を壊滅させ、将軍・足利義昭を擁立して上洛しますが、これに抵抗したのが越前の朝倉氏。
信長は浅井氏が恩義のあった朝倉氏を攻めないと約束していましたが、信長は約束を反故にして朝倉氏を攻める。
ここで究極の選択で朝倉氏に浅井氏が味方したことにより、今度は信長と浅井・朝倉の戦いとなり、姉川の合戦・小谷城落城へと展開していきます。



織田軍と浅井・朝倉軍は1570年に姉川の合戦で激突して、織田軍が勝利して攻め込んだが、小谷城の堅固さを考慮して城攻めを断念。
1573年に織田軍は攻撃をしかけ、浅井軍は小谷城に籠城したものの離反が相次ぎ、朝倉氏の援軍は撤退し織田軍は一乗谷まで攻め込んで朝倉氏を滅亡させる。
小谷城へと引き返した織田軍は総攻撃をかけ、小谷城は落城し長政は自刃したとされます。



城址巡りは登城口の格ルートと林道が合流する地点にある「番所」から本丸・中丸・小丸・山王丸を経て、六坊へ下って最後は小谷山の山頂のある大嶽へ登り返します。
登り口で地元の方に“この山は熊の出没が多いと聞いてますが最近どうですか?”と聞くと、“出没したという情報はありますが自然の多い場所ですからいろいろ居ます。”とのこと。



当日は番所までシャトルバスの運行があり、要所で地元語り部ガイドがご案内されていたので、まぁ熊は出ないでしょうと安心して登ります。
とはいえ、小谷山山頂まで行かれる方は、みんな熊鈴をぶら下げて鳴らしながら登っておられました。

すぐに到着する虎御前山展望所からの絶景です。
眼下に虎御前山、奥に山本山、琵琶湖には竹生島。余談ですが、小谷山の熊は山麓から虎御前山までが活動範囲だそうですね。



「御茶屋跡」という曲輪はその名前とは似つかず軍事施設だったそうです。
小谷城址は各所にこのような石碑や案内板、復元図が設置されていて、城址としてはかなり整備されていると思います。



まだ城の中核ではなく「御馬屋(馬をつなぐ場所)の向かい辺りには「首据石」という石があり、これは六角氏に内通していた家臣のを誘殺し首をさらした場所だという。
戦国時代は謀略や裏切り、密約など何を信じたら分からないような世の中だったように思いますが、如何に勝ち馬に乗るかの判断が生死に関わりますので必死です。



ここで声を掛けられた方から“時間に余裕があったら長政が自刃した赤尾屋敷跡があるから行ってみるといい。”と教えてもらう。
少し寂しい道を歩いて行くと「浅井長政公自刃之地」の石碑のある屋敷跡に出る。



1573年9月日、浅井長政 享年29才。
石碑の近くに1頭だけアサギマダラが飛んできて木の葉に留まる。
何かの暗示なのでしょうか?



さていよいよ城の中核部に入り、まずは「黒金御門」ですが、ここでは戦国タイムスリップAR(Augmented Reality)でリアルと拡張現実が比べられます。
まずは現実世界の「黒金御門」です。秀吉によって破城された残骸です。



浅井攻めの功績によって浅井氏の旧領を拝領した秀吉は、小谷城の資材や竹生島宝厳寺の復旧資材として浅井長政が寄進した材木などを流用して長浜城を築城したという。
これにより堅固な山城だった小谷城は廃城となり、湖水運や北国街道の通る長浜城の時代となりますが、「黒金御門」の材料も移築されたのでしょうかね?



小谷城址は途中に景色が開けているところが幾つもあり、「桜馬場」からは虎御前山・山本山・竹生島が見降ろせる。
小谷山から見える光景は山側を除けば田園地帯が広がっており、城下が米どころであったことが伺われ、また虎御前山に陣取った信長の動きが監視できたと思われます。



浅井長政の家族が居住したとされる曲輪の「大広間」を抜けると、いよいよ「本丸跡」に到着します。
前回、この場所を訪れた時は戦国時代のコスチュームに身を固めた「長浜武将隊 天下泰平」の面々が勢ぞろいして撮影させて頂きました。



「本丸跡」でもARでかつての天守を見ることができますが、この時代はまだ江戸時代のような天守閣ではなく、山城や砦のような造りだったようです。
天守の後方に聳える山が小谷山の山頂ですので、あそこまで行って折り返すことになります。



「本丸跡」から「大堀切」「中丸」「京極丸」を越えると「大石垣」への分岐に来ます。
小谷山へは崩れた石垣を真っすぐに登って行きますが、この辺りもかつては石垣が築かれていたのかと思います。



「大石垣」は高さ5mほどの石垣で、長い年月を経てよく残っていたなぁと感心するほど原型をとどめた石垣です。
この先に「展望岩 ロープあり 15分」と書かれていて、帰りに立ち寄ろうと思っていたが、帰り道では忘れてしまっていて通り過ぎてしまった。



小谷城址として整備されているのは山王権現が祀られていたという「山王丸」までで、そこからは登山道に入ります。
山王権現は現在は小谷神社と名を変え、麓にある小谷寺の一角に祀られているようです。

登山道の途中で小谷山の山頂方向が見えてくるが、一旦「六坊」まで下っていくことになり、鞍部の分岐から山頂にかけては急登が続きます。
「六坊」は領国内にあった六つの有力寺院の出張所が置かれたところだといい、軍務や政務を司っていた六つの寺院を集めた場所とされる。



山登りはここからが本番。
200mくらい続く急な木段があり、途中にある見晴らしのよい一角で話した人は「心臓破りの木段」と呼ばれていました。
後から到着された方も“なんてキツイ階段なんだ。”と息を切らしておられました。いつまで続くんだろうと心が折れそうになる木段でした。



木段をある程度登り切った所には小谷山で一番の絶景ポイントではないかと思うような素晴らしい景色の広がる場所があります。
左に伊吹山と伊吹山系の山並み。手前の池は物部守屋の伝説が残る西池。
右手には姉川の合戦で織田軍が陣取った横山が見え、その手前には姉川の堤防が東西に走っているのが見える。



右には大きく湾曲した琵琶湖が見え、秀吉が小谷城を廃城にして築き、領地として城持ちとなって出世街道の始まりとなった長浜城も微かに見えます。
手前に連なる稜線は今日登ってきたルートで、ここから見える一帯は自然が多く、古代からの歴史の宝庫でもあります。



さて、長くつらい木段を登りきると小谷山の山頂の「大嶽城跡」に到着します。
「大嶽城」は浅井三代の初代・亮政が築城し、織田軍との戦いでは朝倉氏の援軍が守備していたが、織田軍の攻撃によって落城したという。



苦しい木段を熊鈴2つを付けて木段を先行して登っておられた方に山頂で追いつくと、その方は山頂写真だけを撮って休むことなく、山頂の反対側の周回コースを歩いて行かれます。
“この後どこから下りるつもり?”と声を掛けられたので“分岐に戻って清水谷から下りようかと思います。”と答えてお別れする。



山頂には小谷山の三等三角点(点名:大岳)があり、少し山頂を散策してもと来た道を引き返す。
途中の展望台でこの山に詳しい人に清水谷ルートについて教えてもらった処、“樹林帯の間を下っていく道なので尾根歩きで城址を歩く方が自分は好きだな。”
これであっさりと清水谷ルートから城址ルートに変更してピストンで戻ることにします。



「番所跡」まで戻ってくると、ちょうどシャトルバスが昼休憩時間でしたので舗装された林道を歩いて下ります。
大手道登山道と舗装された林道が交わる辺りに「望笙峠」という景観の良い場所があります。
「望笙峠」は竹生島を望めることから、「望」める「笙(竹生)」峠という意味もあるのだとか。



本来なら大手道登山道へ合流すべきですが、林道にある「太平(おおべら)の磐座」に立ち寄りたかったので林道をそのまま下ります。
「太平の磐座」の横には“観音の里”ののぼりがあり、この磐座は夕暮れ時や早暁時にフラッシュ撮影すると観音(立像)の姿が現れるのだという。



浮き上がるという観音像はおそらく岩の上の方の少し赤味を帯びた部分のことだと思います。
あまり知られていない場所だと思いますが、夕暮れ時か早暁時に行けば観音立像を撮影出来るかもしれませんね。



最後に登山道で見かけたキノコです。
小谷山はキノコの多い山だなぁと感じましたが、このキノコは食べるのはもちろんの事、触るのもヤバそうなキノコです。
しかし、その姿は自然が生んだアート・キノコとでも呼べるそうな美しさ、妖しさです。





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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんにちは (鈴木)
2023-10-25 16:46:19
ブログを拝見しためになりました
私は戦国時代の歴史が好きです
楽しく拝見できました
ありがとうございます
返信する
ハーツ (鈴木さんへ)
2023-10-28 16:31:34
その土地その地方でいろいろな歴史がありますね。特に近江は都に近かったこともあり、戦国時代の歴史がたくさんあり、歩くのが楽しい地域です。
返信する

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