岐阜市の北側の山の麓に「岩井山 延算寺」という高野山真言宗の寺院があり、延算寺東院の門前には「岩井屋」と「かどや」という田楽専門店があります。
今回は寺院参拝というよりも名物の豆腐田楽を食べたくて岩井の地を訪れましたが、食事もさることながら寺院の立派さに驚くことになりました。
延算寺には500mほど離れた場所に「本院」と「東院」の2つがあり、両院とも薬師如来を御本尊としてお祀りされています。
参拝客・食事の客が多くにぎわっているのは田楽専門店のある「東院」の方で、参拝とお食事の両方を目的に訪れられる方が多いようです。
延算寺は815年、空海がこの地に霊水を見つけて薬師如来を祀ったのが始まりとされます。
地元に伝わる伝承としては、唐から帰国した最澄が因幡国岩井で彫った薬師如来が当地で座禅していた僧の前に現れる。
僧は像をお祀りしようとしたが粗末な仏堂しか作れず、タライの上に安置したため「たらい薬師」と呼ばれるようになったといいます。
その後、訪れた空海が寺院を建立し、たらいに薬師如来を祀った僧は空海の弟子になったとされます。
門の右側には岩の上に数躰の石仏が祀られ、彫られた岩穴の中にも石仏が安置されている。
また、天然痘を患った小野小町が延算寺に籠り、夢で東にある霊水を体にすり込むとよいとお告げを受けて完治したので、その霊水に薬師石仏を祀ったという。
小野小町が祀った本尊・薬師如来の分身は「かさ神薬師」と呼ばれ、病気平癒の御利益を求めて参詣する人が跡を立たないとされます。
平安時代の女流歌人で絶世の美女とされる小町が天然痘にかかり療養に訪れたとされる場所の伝承は複数あるようです。
才女で美女の小町と天然痘の関係は何を意味するのでしょう。
延算寺の境内には薬師如来石仏が数多く奉納されており、山側には七佛薬師・千体薬師の一部などが安置されている。
境内には「かさ神」の由来となった「小町堂」があり、堂内は正面中央に「小町観音(京都の仏師・松久宗琳作)」、左に「ぼけよけ地蔵」右に「阿弥陀如来」を祀る。
堂の向かって右面には「西国三十三観音」が祀られ、左面には「釈迦涅槃像」が祀られています。
延算寺は現在残る東院エリア・本院エリアを見ても、大規模な伽藍を有する寺院だったことが分かりますが、幾たびかの戦火で焼失しているそうです。
東院の本堂は昭和7年に再建された建物で、堂内には瘡神薬師如来・紙本水墨白隠筆白衣観音像・板戸絵・木造四天王立像などが安置されているといいます。
御堂の向拝の部分にある龍や摺り出し鼻の彫り物は造りのよさを感じさせます。
土間になっている内部の須弥壇も豪奢な感じがして、高野山真言宗準別格本山としての格式の高さが伺い知れます。
寺院を参拝している間も門前からは田楽を焼く煙と味噌の焦げる香ばしい香りが漂ってきて食欲をそそります。
門前に並ぶお店は「岩井屋」と「かどや」で、昼食はネットで調べていた「岩井屋」さんで頂きます。
「かどや」さんの方は、帰りに車の中で食べる用の五平餅と販売されていた地元野菜を購入しました。
店頭では名物の「とふでんがく」「いもでんがく」「五平餅」が網の上いっぱいに焼かれています。
次々とお客さんが来ますので焼いても焼いても追いつかない感じで、二人がかりで焼いておられました。
注文したのは「とふでんがく(豆腐田楽)」「いもでんがく」「菜めし」「赤だし」で、「味噌おでん」は10月から4月とのこと。
風通しの良いお座敷で頂く豆腐田楽もいもでんがくも程よい柔らかさで、濃い味噌の味と菜めしの塩味がマッチして美味しい。
「とふでんがく」は田楽箱という箱に入っているのですが、この田楽箱は全国各地にあるのでしょうか。
子供の頃に何かお祭りの時に田楽箱に入れられた木の芽田楽を食べた記憶がありますが、田楽箱と豆腐田楽のルーツはどこの郷土料理だったのでしょうね。
お腹も満たされ、東院の参拝も終えましたので、次は500m離れた本院へ参拝します。
本院は東院より高い場所にあり、林道を少し登って参拝をしました。
お城の石垣のような所の上部に「鐘楼」と「本院」が並び、鐘楼の前には不動明王立像の石仏が安置されています。
鐘楼は平成期に解体修理されており、1683年9月12日建立の棟板があるといいます。
本院は江戸時代初期の1643年に再建され、堂内には「木造薬師如来立像(国重文)」「四天王像」「日光・月光菩薩」「十二神将」が祀られているという。
また円空が33歳の頃に彫ったという「薬師如来坐像」も安置されているそうです。
本堂の裏側には「空海の歌碑」と「身代わり薬師」がひっそりとお祀りされています。
空海の歌は「松のもと、岩井の清水たえずして、往ききも繁き、み山辺の里」と詠まれているそうである。
本院の境内には「岩井山庭園」という趣向の異なる庭園が6つあるといい、公開されているのは西庭と南庭の2つになります。
客殿の前にある南庭は中央部に弁財天を祀り、池の中には色とりどりの錦鯉が泳いでいます。
延算寺の岩井山庭園は、紅葉が美しく隠れた名所になっているといいますので、秋の紅葉狩りでは紅葉と五平餅の両方が楽しめそうですね。
<追記>
話は変わりますが、延算寺の味噌だれの田楽は、食べログなどで岐阜のソウル・フードという書き方をされています。
では滋賀県の豆腐田楽とはどう違うか、翌日食べ比べに行ってみました。
「魚しげ」さんというお店なんですが、開店数分前に到着したにも関わらず、常連さんが次々と店内に入っていき、カウンターに陣取られています。
中に入って座敷席に座りましたが、カウンターに並んでいる常連さんは、既に飲みが始まり、夜の居酒屋に来たようなにぎわいぶりです。
注文したのは豆腐田楽一人前とご飯で、岐阜だけでなく滋賀でもやはり豆腐田楽は田楽箱に入って出てきます。
田楽の味はやや濃いめの木の芽味噌でご飯との相性がいいので食が進み、一人前の田楽6本は豆腐一丁分なのでお腹いっぱいになります。
さて食べ比べてどちらが美味しいかということになりますが、どちらもその土地の郷土の味ですので甲乙つけ難し。
両方とも田舎の郷土料理ですので味は濃いのですが、お米とは相性が良いので食べ過ぎるとお腹がポッコリと出てしまうかもしれませんね。
今回は寺院参拝というよりも名物の豆腐田楽を食べたくて岩井の地を訪れましたが、食事もさることながら寺院の立派さに驚くことになりました。
延算寺には500mほど離れた場所に「本院」と「東院」の2つがあり、両院とも薬師如来を御本尊としてお祀りされています。
参拝客・食事の客が多くにぎわっているのは田楽専門店のある「東院」の方で、参拝とお食事の両方を目的に訪れられる方が多いようです。
延算寺は815年、空海がこの地に霊水を見つけて薬師如来を祀ったのが始まりとされます。
地元に伝わる伝承としては、唐から帰国した最澄が因幡国岩井で彫った薬師如来が当地で座禅していた僧の前に現れる。
僧は像をお祀りしようとしたが粗末な仏堂しか作れず、タライの上に安置したため「たらい薬師」と呼ばれるようになったといいます。
その後、訪れた空海が寺院を建立し、たらいに薬師如来を祀った僧は空海の弟子になったとされます。
門の右側には岩の上に数躰の石仏が祀られ、彫られた岩穴の中にも石仏が安置されている。
また、天然痘を患った小野小町が延算寺に籠り、夢で東にある霊水を体にすり込むとよいとお告げを受けて完治したので、その霊水に薬師石仏を祀ったという。
小野小町が祀った本尊・薬師如来の分身は「かさ神薬師」と呼ばれ、病気平癒の御利益を求めて参詣する人が跡を立たないとされます。
平安時代の女流歌人で絶世の美女とされる小町が天然痘にかかり療養に訪れたとされる場所の伝承は複数あるようです。
才女で美女の小町と天然痘の関係は何を意味するのでしょう。
延算寺の境内には薬師如来石仏が数多く奉納されており、山側には七佛薬師・千体薬師の一部などが安置されている。
境内には「かさ神」の由来となった「小町堂」があり、堂内は正面中央に「小町観音(京都の仏師・松久宗琳作)」、左に「ぼけよけ地蔵」右に「阿弥陀如来」を祀る。
堂の向かって右面には「西国三十三観音」が祀られ、左面には「釈迦涅槃像」が祀られています。
延算寺は現在残る東院エリア・本院エリアを見ても、大規模な伽藍を有する寺院だったことが分かりますが、幾たびかの戦火で焼失しているそうです。
東院の本堂は昭和7年に再建された建物で、堂内には瘡神薬師如来・紙本水墨白隠筆白衣観音像・板戸絵・木造四天王立像などが安置されているといいます。
御堂の向拝の部分にある龍や摺り出し鼻の彫り物は造りのよさを感じさせます。
土間になっている内部の須弥壇も豪奢な感じがして、高野山真言宗準別格本山としての格式の高さが伺い知れます。
寺院を参拝している間も門前からは田楽を焼く煙と味噌の焦げる香ばしい香りが漂ってきて食欲をそそります。
門前に並ぶお店は「岩井屋」と「かどや」で、昼食はネットで調べていた「岩井屋」さんで頂きます。
「かどや」さんの方は、帰りに車の中で食べる用の五平餅と販売されていた地元野菜を購入しました。
店頭では名物の「とふでんがく」「いもでんがく」「五平餅」が網の上いっぱいに焼かれています。
次々とお客さんが来ますので焼いても焼いても追いつかない感じで、二人がかりで焼いておられました。
注文したのは「とふでんがく(豆腐田楽)」「いもでんがく」「菜めし」「赤だし」で、「味噌おでん」は10月から4月とのこと。
風通しの良いお座敷で頂く豆腐田楽もいもでんがくも程よい柔らかさで、濃い味噌の味と菜めしの塩味がマッチして美味しい。
「とふでんがく」は田楽箱という箱に入っているのですが、この田楽箱は全国各地にあるのでしょうか。
子供の頃に何かお祭りの時に田楽箱に入れられた木の芽田楽を食べた記憶がありますが、田楽箱と豆腐田楽のルーツはどこの郷土料理だったのでしょうね。
お腹も満たされ、東院の参拝も終えましたので、次は500m離れた本院へ参拝します。
本院は東院より高い場所にあり、林道を少し登って参拝をしました。
お城の石垣のような所の上部に「鐘楼」と「本院」が並び、鐘楼の前には不動明王立像の石仏が安置されています。
鐘楼は平成期に解体修理されており、1683年9月12日建立の棟板があるといいます。
本院は江戸時代初期の1643年に再建され、堂内には「木造薬師如来立像(国重文)」「四天王像」「日光・月光菩薩」「十二神将」が祀られているという。
また円空が33歳の頃に彫ったという「薬師如来坐像」も安置されているそうです。
本堂の裏側には「空海の歌碑」と「身代わり薬師」がひっそりとお祀りされています。
空海の歌は「松のもと、岩井の清水たえずして、往ききも繁き、み山辺の里」と詠まれているそうである。
本院の境内には「岩井山庭園」という趣向の異なる庭園が6つあるといい、公開されているのは西庭と南庭の2つになります。
客殿の前にある南庭は中央部に弁財天を祀り、池の中には色とりどりの錦鯉が泳いでいます。
延算寺の岩井山庭園は、紅葉が美しく隠れた名所になっているといいますので、秋の紅葉狩りでは紅葉と五平餅の両方が楽しめそうですね。
<追記>
話は変わりますが、延算寺の味噌だれの田楽は、食べログなどで岐阜のソウル・フードという書き方をされています。
では滋賀県の豆腐田楽とはどう違うか、翌日食べ比べに行ってみました。
「魚しげ」さんというお店なんですが、開店数分前に到着したにも関わらず、常連さんが次々と店内に入っていき、カウンターに陣取られています。
中に入って座敷席に座りましたが、カウンターに並んでいる常連さんは、既に飲みが始まり、夜の居酒屋に来たようなにぎわいぶりです。
注文したのは豆腐田楽一人前とご飯で、岐阜だけでなく滋賀でもやはり豆腐田楽は田楽箱に入って出てきます。
田楽の味はやや濃いめの木の芽味噌でご飯との相性がいいので食が進み、一人前の田楽6本は豆腐一丁分なのでお腹いっぱいになります。
さて食べ比べてどちらが美味しいかということになりますが、どちらもその土地の郷土の味ですので甲乙つけ難し。
両方とも田舎の郷土料理ですので味は濃いのですが、お米とは相性が良いので食べ過ぎるとお腹がポッコリと出てしまうかもしれませんね。
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