岐阜市内にある「伊奈波神社」「金神社」「橿森神社」の三社にお参りすることを「岐阜三社参り」というようです。
3社とは、父にあたる「伊奈波神社(五十瓊敷入彦命)」、母にあたる金神社(渟熨斗姫命)、子にあたる「橿森神社(市隼雄命)」となり、夫婦・親子関係の家族にあたる巡拝コースになると聞きます。
岐阜の中心地では、この三社を中心として4月に「岐阜まつり」が催されるといい、この祭りは伊奈波神社および三社の神幸祭と、斎藤道三に因んだ道三まつりを合わせて岐阜まつりとして行われるといいます。
橿森神社に参拝した時に神職の方から“是非、三社参りをしてみなさい。”と勧められて、駆け足にはなってしまいましたが、三社参りをしてきました。
「伊奈波神社」は三社の父にあたり、第11代天皇・垂仁天皇(3世紀後半から4世紀前半とされる)の第一皇子とされる五十瓊敷入彦命を御祭神として祀っています。
神社の規模としては三社の中でも最大で、境内社も立派な社が多い神社です。
一之鳥居・二之鳥居が続く参道には桜の木が並び、季節になるとしだれ桜が美しく咲く道となります。
参道の最後に「楼門」があり、その存在感のある佇まいは、さすが美濃国三宮の風格を感じさせます。(美濃一宮は南宮大社)
楼門を抜けるとこれまた見事な「神門」がある。
本殿から神門・楼門・参道・鳥居と続く一直線の道はまさしく神の道ということになります。
拝殿の左右には石造りの狛犬が祀られているのですが、狛犬の後方下部に「逆さ狛犬さん」がありました。
この逆さ狛犬さんを撫でると御利益があるということでしたので、左右の狛犬の後ろにそれぞれある逆さ狛犬さんを撫でてお願いをしておきました。
神門の中に本殿があり、神門からは弊殿しか見えませんが、実際は奥から「本殿」「拝殿」「弊殿」と3つの殿が並んでいるようです。
神門から拝んでいると、次々に参拝される方が来られたり、小さな赤ちゃんを抱いたお宮参りの家族も見かけます。
神門の左には「龍頭岩」が結界の中に祀られており、確かに岩が龍の頭に見えるのが面白い。
方向としては「黒龍大神」を祀る社に向いていますので、何らかのつながりがあるのでしょう。
伊奈波神社には境内社を含めて非常に明るい気を感じるのですが、「黒龍社」(御朱印2枚目)からは少し異質な空気が流れています。
御祭神は高竉神で、伊奈波神社が現在地に遷座(1539年)する前からこの地に祀られていたといいます。
三社参りは結果的に子(橿森神社)→母(金神社)→父(伊奈波神社)と巡ることになりましたが、2社目は「金神社」になりました。
何度か参拝したことのある神社とはいえ、当日は骨董市が開催されていたこともあって人波が凄かったですね。
金神社(こがね)の主祭神は「金大神」とされ、金大神とは「渟熨斗姫命」を指すといわれます。
渟熨斗姫命は、伊奈波神社の御祭神・五十瓊敷入彦命の妃とされ、五十瓊敷入彦命は朝廷の命により奥州を平定したものの、讒言によって朝敵とされて討たれてしまったとされます。
妃である渟熨斗姫命は美濃の地で討たれた夫を慰霊しつつも、当地でその生涯を終えられたと伝えられています。
渟熨斗姫命は地域の方から慈悲深い神と慕われ、やがて“財宝をもたらす神”として信仰されるようになったようです。
確かに鳥居もキンキラ金の大鳥居になっていて金運の御利益がありそうですね。
金神社の社は朱色の本殿と右につながるように境内社である金祥稲荷神社が並びます。
両方共に金の字がついていますので、金運向上で何度かお参りしたのですが、これまで御利益は...。
まぁ金運向上を目的にお参りすること自体が不純で浅ましい動機なのかもしれませんけどね。
ところで、金神社の手水舎の柄杓は知る人ぞ知る有名人の名が書かれた柄杓があります。
“錦織圭”“藤井聡太”“大谷翔平”と並びますが、3人とも岐阜県とは関係はなさそうなのでファンの方が奉納されたのかもしれません。
次に参拝した時にはどんな勝負師の奉納柄杓があるのでしょうね。
最後に三社参りのスタートとなった「橿森神社」を簡単に...。
橿森神社は、伊奈波神社(父)、金神社(母)に対して子にあたる市隼雄命を御祭神として祀る寺院です。
岐阜城のある金華山に連なる山の麓にある寺院になり、三社参りでは伊奈波神社と金神社の間に位置します。
橿森神社の神職の方から「三社参り」を勧められて、これも縁だと思って三社を巡ることになりましたが、3社の間の距離はさほどではなくレンタサイクルで巡ったら心地よい距離になるかと思います。
強く大きな父・慈悲深い母・信長に代表される近代の礎の子の3つの社と仮に書いておきます。
清楚な本殿の裏には磐石「駒爪岩」、信長が楽市楽座を開いた時に市神を祀った御神木「御薗の榎」が今も残ります。
古代の遺跡、近世に信長が天下布武に向かっていった地の名残りが今も残されているということになります。
また、織田信長を神として祀る「岐阜信長神社」も小さな宮ながら岐阜市民の信長に対する愛着が感じられる社ですね。
信長の出世物語にはさしもの斎藤道三も叶わずといったところですが、岐阜城から安土城に移った信長も最期は志半ばで死を迎えてしまいます。
駆け足ではありましたが、想定していなかった「三社参り」をすることになったのも一つの縁なのでしょう。
西日本の風習といわれる三社参りは、正月の初詣に3社の神社に参拝する事といわれるようですが、意識はしていないものの元旦と2日には初詣に出かけることが多いですね。
3社とは、父にあたる「伊奈波神社(五十瓊敷入彦命)」、母にあたる金神社(渟熨斗姫命)、子にあたる「橿森神社(市隼雄命)」となり、夫婦・親子関係の家族にあたる巡拝コースになると聞きます。
岐阜の中心地では、この三社を中心として4月に「岐阜まつり」が催されるといい、この祭りは伊奈波神社および三社の神幸祭と、斎藤道三に因んだ道三まつりを合わせて岐阜まつりとして行われるといいます。
橿森神社に参拝した時に神職の方から“是非、三社参りをしてみなさい。”と勧められて、駆け足にはなってしまいましたが、三社参りをしてきました。
「伊奈波神社」は三社の父にあたり、第11代天皇・垂仁天皇(3世紀後半から4世紀前半とされる)の第一皇子とされる五十瓊敷入彦命を御祭神として祀っています。
神社の規模としては三社の中でも最大で、境内社も立派な社が多い神社です。
一之鳥居・二之鳥居が続く参道には桜の木が並び、季節になるとしだれ桜が美しく咲く道となります。
参道の最後に「楼門」があり、その存在感のある佇まいは、さすが美濃国三宮の風格を感じさせます。(美濃一宮は南宮大社)
楼門を抜けるとこれまた見事な「神門」がある。
本殿から神門・楼門・参道・鳥居と続く一直線の道はまさしく神の道ということになります。
拝殿の左右には石造りの狛犬が祀られているのですが、狛犬の後方下部に「逆さ狛犬さん」がありました。
この逆さ狛犬さんを撫でると御利益があるということでしたので、左右の狛犬の後ろにそれぞれある逆さ狛犬さんを撫でてお願いをしておきました。
神門の中に本殿があり、神門からは弊殿しか見えませんが、実際は奥から「本殿」「拝殿」「弊殿」と3つの殿が並んでいるようです。
神門から拝んでいると、次々に参拝される方が来られたり、小さな赤ちゃんを抱いたお宮参りの家族も見かけます。
神門の左には「龍頭岩」が結界の中に祀られており、確かに岩が龍の頭に見えるのが面白い。
方向としては「黒龍大神」を祀る社に向いていますので、何らかのつながりがあるのでしょう。
伊奈波神社には境内社を含めて非常に明るい気を感じるのですが、「黒龍社」(御朱印2枚目)からは少し異質な空気が流れています。
御祭神は高竉神で、伊奈波神社が現在地に遷座(1539年)する前からこの地に祀られていたといいます。
三社参りは結果的に子(橿森神社)→母(金神社)→父(伊奈波神社)と巡ることになりましたが、2社目は「金神社」になりました。
何度か参拝したことのある神社とはいえ、当日は骨董市が開催されていたこともあって人波が凄かったですね。
金神社(こがね)の主祭神は「金大神」とされ、金大神とは「渟熨斗姫命」を指すといわれます。
渟熨斗姫命は、伊奈波神社の御祭神・五十瓊敷入彦命の妃とされ、五十瓊敷入彦命は朝廷の命により奥州を平定したものの、讒言によって朝敵とされて討たれてしまったとされます。
妃である渟熨斗姫命は美濃の地で討たれた夫を慰霊しつつも、当地でその生涯を終えられたと伝えられています。
渟熨斗姫命は地域の方から慈悲深い神と慕われ、やがて“財宝をもたらす神”として信仰されるようになったようです。
確かに鳥居もキンキラ金の大鳥居になっていて金運の御利益がありそうですね。
金神社の社は朱色の本殿と右につながるように境内社である金祥稲荷神社が並びます。
両方共に金の字がついていますので、金運向上で何度かお参りしたのですが、これまで御利益は...。
まぁ金運向上を目的にお参りすること自体が不純で浅ましい動機なのかもしれませんけどね。
ところで、金神社の手水舎の柄杓は知る人ぞ知る有名人の名が書かれた柄杓があります。
“錦織圭”“藤井聡太”“大谷翔平”と並びますが、3人とも岐阜県とは関係はなさそうなのでファンの方が奉納されたのかもしれません。
次に参拝した時にはどんな勝負師の奉納柄杓があるのでしょうね。
最後に三社参りのスタートとなった「橿森神社」を簡単に...。
橿森神社は、伊奈波神社(父)、金神社(母)に対して子にあたる市隼雄命を御祭神として祀る寺院です。
岐阜城のある金華山に連なる山の麓にある寺院になり、三社参りでは伊奈波神社と金神社の間に位置します。
橿森神社の神職の方から「三社参り」を勧められて、これも縁だと思って三社を巡ることになりましたが、3社の間の距離はさほどではなくレンタサイクルで巡ったら心地よい距離になるかと思います。
強く大きな父・慈悲深い母・信長に代表される近代の礎の子の3つの社と仮に書いておきます。
清楚な本殿の裏には磐石「駒爪岩」、信長が楽市楽座を開いた時に市神を祀った御神木「御薗の榎」が今も残ります。
古代の遺跡、近世に信長が天下布武に向かっていった地の名残りが今も残されているということになります。
また、織田信長を神として祀る「岐阜信長神社」も小さな宮ながら岐阜市民の信長に対する愛着が感じられる社ですね。
信長の出世物語にはさしもの斎藤道三も叶わずといったところですが、岐阜城から安土城に移った信長も最期は志半ばで死を迎えてしまいます。
駆け足ではありましたが、想定していなかった「三社参り」をすることになったのも一つの縁なのでしょう。
西日本の風習といわれる三社参りは、正月の初詣に3社の神社に参拝する事といわれるようですが、意識はしていないものの元旦と2日には初詣に出かけることが多いですね。