安土町にある浄土宗寺院の浄厳院で毎年恒例となっている「浄厳院 現代美術展2024」が開催されました。
美術展には国内外のアーティストが持ち寄ってきた作品が、寺の御堂や境内・庭など至る所で作品を見ることが出来ます。
「浄厳院」は、かつて佐々木六角氏頼が建立し、当地の地名にもなっている天台宗・「慈恩寺」があった地に織田信長が建立した寺院とされます。
寺院には重要文化財に指定されている「本堂」「楼門」があり、御本尊の「阿弥陀如来坐像(平安期)」など何点かの重文指定の仏像や寺宝があります。
以前は事前連絡しないと内部拝観出来ない寺院でしたが、「浄厳院現代美術展」が開催されるようになったことにより仏像群が拝観できるようになりました。
「浄厳院楼門(重文)」は室町時代後期の建造物とされ、佐々木六角氏の慈恩寺の楼門として建立されたものが浄厳院創建にあたり楼門が遺されたという。
楼門はもとは屋根が入母屋造だったそうですが、1889年の台風により2階部分が壊れたため、切妻造の屋根になったといいます。
楼門には阿形・吽形の仁王像(金剛力士像)が睨みを効かせており、表情からも体からも力強さを感じる仁王像です。
よく仁王門に仁王像が安置されているのを見ますが、参拝者としては嬉しい反面、屋外に保管されていて仏像が傷まないのか気になる時があります。
「本堂(重文)」は室町時代後期の建築物とされ、もとは近江八幡市多賀町にあった天台宗・興降寺の本堂だった弥勒堂を移築したものだという。
信長は、かつて天台宗だった寺院の遺構を再利用しながら寺院を建立したようで、合理主義者の一面を感じると共に、それまでの信仰を上書きしていった印象を受けます。
浄厳院は仏教論争の「安土宗論」が行われた寺院として知られており、信長の命により浄土宗と日蓮宗の宗論が行われたという。
宗論は日蓮宗の敗北となったというが、裁定には信長の強い政治的意思があったといいますので、信長によるある種の宗教弾圧があったともいえます。
浄厳院の境内には楼門・本堂・釈迦堂・観音堂・鐘楼・庫裡・書院・春陽院など多くの堂宇がありますが、現在の観音堂には仏像がありません。
過去に盗難に遭って仏像が失われたそうですが、現代美術展によって「観音堂」に仏像が蘇りました。
立体曼荼羅を蘇らさせたのは松山淳さん。金箔・色箔のカラフルな作品群です。
松山さんは乾漆技法と箔押し技法を用いて作品を制作されているそうで、中央の観音菩薩像はキンキラ金に輝いています。
観音像の横の脇侍には「ダイエット菩薩」が安置され、四隅に「モデル四天王」が観音さまを守護しています。
ダイエット菩薩は左がbeforで右がafterでしょうか。冗談半分のちょっと気持ち悪い感じの菩薩さんです。
逆にモデル四天王はというと、モデル体型でルックスも良さが際立ち、全く作風が違うかのような作品です。
金色の小さな仏が床面に並んでおり、須弥壇にはまた違った作風の仏?が安置されて曼荼羅を構成しています。
「観音堂」と同様に「釈迦堂」にも釈迦はおられないのですが、釈迦堂には毎年、釈迦が幻のように姿を現します。
今村源さんという作家の方がカラーワイヤーを使って製作された釈迦像ですが、やや荒んだ釈迦堂の中にぼんやりと浮かび上がる姿はある意味神々しい。
ここまでは「仏像の現代」でしたが、本来の姿である「仏像の過去」を本堂で拝観します。
浄厳院の御本尊である丈六の「阿弥陀如来坐像」は平安後~末期につくられた定朝様の仏像で、像高273cmの堂々たる座像です。
この「阿弥陀如来坐像」は愛知郡二階堂から移されたとも伝わり、大半の部分が当初のものであるとされているという。
ただし、光背の頂点部分は建立当時に御堂に入らなかったため先端が切り取られているとのことです。
「浄厳院 現代美術展2024」に感謝したくなるのは、数々の現代美術作品が見られるのもさる事ながら、仏像拝観が可能になったことです。
以前は事前連絡という敷居の高い条件がありましたが、美術展のおかげで後陣の仏像まで拝観出来るようになりました。
後陣に祀られている「薬師如来立像」は鎌倉期の造像とされ、珍しくも碁盤の上に御立ちになっています。
碁盤の上に乗る仏像は他にも例があるようで、京都の因幡堂(下京区)にも碁盤の上に安置された薬師如来立像があるようです。
同じく後陣には清凉寺式の「釈迦如来立像(南北朝期)が安置されており、縄目状の頭髪と衣文が波打ち首の下まで包み込むように彫られています。
「清凉寺式釈迦」は釈迦在世中にその姿を写した像として信仰を集め、鎌倉期には模像が多数制作されたといいますのでその1躰なのかもしれません。
さて、浄厳院では仏像の現代と過去を見てきましたが、次回は堂宇内に展示されている現代アートを見て回ります。
お庭を歩いているとジョウビタキの♂が姿を見せてくれました。
浄厳院は周囲を田圃に囲まれた自然の多い場所に立地しています...続く。
美術展には国内外のアーティストが持ち寄ってきた作品が、寺の御堂や境内・庭など至る所で作品を見ることが出来ます。
「浄厳院」は、かつて佐々木六角氏頼が建立し、当地の地名にもなっている天台宗・「慈恩寺」があった地に織田信長が建立した寺院とされます。
寺院には重要文化財に指定されている「本堂」「楼門」があり、御本尊の「阿弥陀如来坐像(平安期)」など何点かの重文指定の仏像や寺宝があります。
以前は事前連絡しないと内部拝観出来ない寺院でしたが、「浄厳院現代美術展」が開催されるようになったことにより仏像群が拝観できるようになりました。
「浄厳院楼門(重文)」は室町時代後期の建造物とされ、佐々木六角氏の慈恩寺の楼門として建立されたものが浄厳院創建にあたり楼門が遺されたという。
楼門はもとは屋根が入母屋造だったそうですが、1889年の台風により2階部分が壊れたため、切妻造の屋根になったといいます。
楼門には阿形・吽形の仁王像(金剛力士像)が睨みを効かせており、表情からも体からも力強さを感じる仁王像です。
よく仁王門に仁王像が安置されているのを見ますが、参拝者としては嬉しい反面、屋外に保管されていて仏像が傷まないのか気になる時があります。
「本堂(重文)」は室町時代後期の建築物とされ、もとは近江八幡市多賀町にあった天台宗・興降寺の本堂だった弥勒堂を移築したものだという。
信長は、かつて天台宗だった寺院の遺構を再利用しながら寺院を建立したようで、合理主義者の一面を感じると共に、それまでの信仰を上書きしていった印象を受けます。
浄厳院は仏教論争の「安土宗論」が行われた寺院として知られており、信長の命により浄土宗と日蓮宗の宗論が行われたという。
宗論は日蓮宗の敗北となったというが、裁定には信長の強い政治的意思があったといいますので、信長によるある種の宗教弾圧があったともいえます。
浄厳院の境内には楼門・本堂・釈迦堂・観音堂・鐘楼・庫裡・書院・春陽院など多くの堂宇がありますが、現在の観音堂には仏像がありません。
過去に盗難に遭って仏像が失われたそうですが、現代美術展によって「観音堂」に仏像が蘇りました。
立体曼荼羅を蘇らさせたのは松山淳さん。金箔・色箔のカラフルな作品群です。
松山さんは乾漆技法と箔押し技法を用いて作品を制作されているそうで、中央の観音菩薩像はキンキラ金に輝いています。
観音像の横の脇侍には「ダイエット菩薩」が安置され、四隅に「モデル四天王」が観音さまを守護しています。
ダイエット菩薩は左がbeforで右がafterでしょうか。冗談半分のちょっと気持ち悪い感じの菩薩さんです。
逆にモデル四天王はというと、モデル体型でルックスも良さが際立ち、全く作風が違うかのような作品です。
金色の小さな仏が床面に並んでおり、須弥壇にはまた違った作風の仏?が安置されて曼荼羅を構成しています。
「観音堂」と同様に「釈迦堂」にも釈迦はおられないのですが、釈迦堂には毎年、釈迦が幻のように姿を現します。
今村源さんという作家の方がカラーワイヤーを使って製作された釈迦像ですが、やや荒んだ釈迦堂の中にぼんやりと浮かび上がる姿はある意味神々しい。
ここまでは「仏像の現代」でしたが、本来の姿である「仏像の過去」を本堂で拝観します。
浄厳院の御本尊である丈六の「阿弥陀如来坐像」は平安後~末期につくられた定朝様の仏像で、像高273cmの堂々たる座像です。
この「阿弥陀如来坐像」は愛知郡二階堂から移されたとも伝わり、大半の部分が当初のものであるとされているという。
ただし、光背の頂点部分は建立当時に御堂に入らなかったため先端が切り取られているとのことです。
「浄厳院 現代美術展2024」に感謝したくなるのは、数々の現代美術作品が見られるのもさる事ながら、仏像拝観が可能になったことです。
以前は事前連絡という敷居の高い条件がありましたが、美術展のおかげで後陣の仏像まで拝観出来るようになりました。
後陣に祀られている「薬師如来立像」は鎌倉期の造像とされ、珍しくも碁盤の上に御立ちになっています。
碁盤の上に乗る仏像は他にも例があるようで、京都の因幡堂(下京区)にも碁盤の上に安置された薬師如来立像があるようです。
同じく後陣には清凉寺式の「釈迦如来立像(南北朝期)が安置されており、縄目状の頭髪と衣文が波打ち首の下まで包み込むように彫られています。
「清凉寺式釈迦」は釈迦在世中にその姿を写した像として信仰を集め、鎌倉期には模像が多数制作されたといいますのでその1躰なのかもしれません。
さて、浄厳院では仏像の現代と過去を見てきましたが、次回は堂宇内に展示されている現代アートを見て回ります。
お庭を歩いているとジョウビタキの♂が姿を見せてくれました。
浄厳院は周囲を田圃に囲まれた自然の多い場所に立地しています...続く。
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