新下関駅近くの秋根本町にある普賢寺でこの寺は江戸期には普済寺と称されていたが明治期以降に改称されたようである。(下画像は30年位前の普賢寺)
毛利元就の継室である乃美氏は元清、元政、秀包を生んでおり、元就没後は元清の桜尾城に居たが、毛利氏の防長移封に伴って長門国秋根村に居住し秋根の御大方様と呼ばれていた。乃美氏没後にその邸跡に功山寺5世(洞雲寺17世)基外嶺雄の弟子である星岸伝寿が普済寺を開き位牌を安置し供養したようである。
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