一昨日紹介した津和野街道の名残り道を進んで行くと拡幅された市道となっており明石川に架かる橋の袂に石碑がみられる。
石碑には「文政三庚辰正月、願主佐太良、芳助作」と刻されており、芸備孝義伝(天保14年)には「・・・野貝原山といふ地の澗川は石州路に流れ、水増す時は人馬共に甚艱みけるを、佐太郎年頃心力を盡しも遂に自ら石橋を作りしかば、水の増す時、聊患なく往来の者皆便とし悦ひぬ」とあり、佐太郎は津和野街道の明石口大川渡りに石橋を架けた公徳者であった。
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