『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

長州戦争時の救護所

2015年06月04日 | 「廿日市地区」ぶらり


宮内下明石地区の旧津和野街道沿いにある民家の土蔵と棟続きの納屋で棟札によると嘉永6年(1853)に建築されたようであるが屋根や外壁などは改修されているようである。
幕末の長州戦争で慶応2年(1866)8月には明石口や折敷畑山などで長州勢と幕府軍の戦闘が行われており、この土蔵に怪我人が運ばれて治療をしていたと伝聞されているようである。

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