宮内下明石地区の旧津和野街道沿いにある民家の土蔵と棟続きの納屋で棟札によると嘉永6年(1853)に建築されたようであるが屋根や外壁などは改修されているようである。
幕末の長州戦争で慶応2年(1866)8月には明石口や折敷畑山などで長州勢と幕府軍の戦闘が行われており、この土蔵に怪我人が運ばれて治療をしていたと伝聞されているようである。
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