昨日紹介した辻堂の裏手にはこれも広島地方では見かけることがない「堅牢地神」と刻された石碑があった。仏教辞典によると堅牢地神は「大地を司る神の名、此の神は能く大地を堅固ならしむるから此名がある」とあった。
刻銘によると嘉永二年(1849)に建立されたようで、当時の農業は脆弱で天候などの自然条件に大きく左右されていたために旱魃・風水害・冷害・病虫害などから免れるよう、村の人達が豊穣を祈って祀ったものとみられる。
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