下平良可愛地区にある福佐売神社は江戸期の文政8年(1825)、安政6年(1859)の地誌には福島社とあり、大正7年(1918)に刊行された佐伯郡誌にも福島神社とある。これらから大正7年(1918)以降に福佐売神社と呼称されるようになったようである。
遥か昔の貞観14年(872)の三代実録に「・・佐伯郡人榎本連福佐売、・・」とあるのを江戸期文政年間に広島藩の学者達が福島明神は榎本連福佐売を祀ったものとした。安政6年(1859)の地誌には「古老之者申伝ヘニハ福さめ共唱ヘ来リ候由」とあり、この頃このように通説化されていたようである。
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