昨朝、雉の鳴き声がしたので外を見ると近所の畑で餌を探していたのであろうか雉がしばらくの間いた。綺麗な羽毛と目の周りの赤い肉腫があり牡鳥のようである。
犬はどこにもおり猿も時々出没して農家を困らせている、やっと雉の登場で役者が揃ったきび団子をあげて仲間にし鬼退治に行かなくては・・・
五稜郭探訪は何十年ぶりであろうか郭内の復元された箱館奉行所もなく五稜郭タワーも低いものであった。自由時間が少なかったので連れ添いはタワーから俯瞰写真を当ブログ主は復元された箱館奉行所内を見学した。
五稜郭は幕末に築城された西洋式の城郭で当市内には明治期に築城された四稜郭もあり、また以前に紹介した長野県佐久市にある龍岡城も五稜郭で幕末に築城されている。
北海道最南端の松前町にある福山城(松前城)で、幕末期に築城された北海道唯一の日本式城郭である。松前町は通常の観光コースから外れた地域であるが今回の桜名所巡りで訪れることが出来たのである。
天守閣は復元されたものであるが、城の遺構として左画像は国重文の本丸御門で右画像は道指定有形文化財に指定されている本丸表御殿玄関である。また、阿吽寺の山門は堀上門が移築されたようである。
現存天守閣12城の内で最後の一つ、念願の弘前城天守閣内部を見ることが出来た。弘前城天守閣は石垣修理のために他所へ曳き移転する前の最終開館日であった。
復旧完了は10年位先のようであり当城と松前城、五稜郭が組み入れられたタイムリーなツアーであったが、どこも滞在時間が少なく駆け足散策となった。画像は天守閣と下画像は丑寅櫓、北門(亀甲門)、東内門である。
前日まで旅先から慣れないタブレットで送信した旅は北海道&東北・桜の競演ツアーであったが、どこの桜の名所も葉桜で所々八重桜が満開のところもあった。今年の春は暖かく開花が早目だったようであるが高い山の上には残雪がみられた。
上画像は機上からの鳥海山(標高2236m)で、中画像は八幡平のホテルから見た岩手山(標高2038m)、下画像は弘前城掘越に見た岩木山(標高1624m)の残雪である。
本日は八幡平から弘前城散策、松前城散策、函館山からの夜景を楽しみました。弘前城天守閣開放は本日まででしたので最大の目的は達成することが出来ました。ただしツアー旅行なのでぜいたくは言えません。函館湯の川温泉から慣れないタブレットから送信。
本日は秋田県の角館から岩手県の八幡平に来ています。秋の角館は数年前に来たことがあり、桜の角館をと思ったがすでに葉桜でした。八幡平で残雪のある岩手山を望む部屋から初めてのタブレットを使用しての送信です。写真は送信できないのだろうか?
昨日紹介した神泉寺跡から石段を下りていくと浄土宗の華隆山以八寺光明院がある。天文頃に奥州磐城の僧であった以八は、芸州厳島は神徳霊威にして天下の勝境として厳島に渡り、岡の庵といわれる草庵を結んだのが今の光明院であったようである。
以八上人は荒廃していた宗祖の生誕地とされる誕生寺の再興に尽力したようで、廿日市の潮音寺墓地に以八上人の墓碑がある。
宮島グランドホテル上にある神泉寺跡でかつて下画像(芸州厳島図会)のような伽藍の寺院だったようである。
神泉寺は浄土宗の寺で「昼夜更漏(ちゅうやのとき)を報ずるを以て、俗に時寺といふ」とあり、絵図をみると石垣上の覆屋に釣り太鼓がみられるので定まった時刻に時太鼓が打たれていたものとみられる。
可愛川に架かる速谷橋下流にある井手口で上画像は左岸にある藤井井手で柳庵川と合流して小字頓子地域の田んぼに灌漑していた。
下画像は右岸の薬師井手で小字道狭地域の田んぼに灌漑していたが両地域ともに市街地化しているので田んぼは少なくなっている。
上画像は昨日紹介した速谷神社参道改修碑の脇にある社標碑で昭和6年(1931)8月1日に建立されている。一時期国幣中社の刻字が詰め物で消されていたが現在は元に復されている。
下画像は速谷神社の楼門脇にある社標碑で大正13年(1924)11月19日に旧広島藩主浅野長勲により揮毫、建立されている。
県道294号虫道廿日市線の速谷橋近くに建立されている速谷神社参道改修碑で、速谷神社の国幣中社昇格により懸案の参道改修事業は昭和4年(1929)10月に起工式を行い昭和5年(1930)6月に竣工した。改修事業を記念するためにこの碑が建立されたようである。
長らく県道とされていた速谷橋から神路橋へのルートはこの時に築造されたもので、道の両側には桜が植栽されており春の桜並木が思い出される。
四季ケ丘団地入口付近の法面に白い花がびっしりと咲いているので何の花だろうかと思った。ネットで調べてみるとニセアカシア(和名:ハリエンジュ)のようであり、造成した法面保護のために植えられたものとみられる。
ところが道路の反対側で従来からの山林にも沢山みられ、ニセアカシアは在来の植生に影響を与えるために要注意外来植物に指定されているようである。
弥山山頂にある御山神社には中央殿、左殿、右殿の三殿あり、中央殿には海田鋳物師が鋳造した擬宝珠が取り付けられている。
この擬宝珠には「安政三年(歳)、辰五月、植木直義、奉寄進」とあり安政3年(1856)に海田鋳物師の植木直義が鋳造して寄進したようである。この鋳造作品は植木氏鋳造活動の終焉期のものである。
『安芸国鋳物師の鋳造活動』参照