先日紹介した熊崎地区のホース乾燥塔の脇にある湯之元神社で江戸期の地誌には湯牛王大明神とある。境内には湯の神を祀った境内社が建立されている。
当社には神像のほかに十二神将像(一躯-佐伯郡・大竹市の文化財より)、如来立像、十一面観音坐像など祀られているようで神仏習合時代の名残りであろうか。
陶板画のある歩道の画像は平成14年度(2002)の作品のようで、山椒魚や得意な絵などが描かれており、所々には旧吉和村の花であるレンゲツツジの陶板画が配置されている。
先月、冠高原のレンゲツツジをと訪れたが少し早すぎたのでつぼみの状態であった、満開時にと思っていたが訪れるのを失してしまった。
陶板画のある歩道の画像は平成12年度(2000)、平成13年度(2001)の作品のようで、オリンピックのスキージャンプ、カッパ、鳥、動物や得意な絵などが描かれている。
市域での陶板画は以前に紹介した廿日市スポーツセンター東側にある七尾陸橋の両側の手摺にみられる。
上平良地区の田植えはほとんど終わっているようで、当ブログ主が大トリを取るよう昨日ようやく田植えを済ませた。田植えが終わるとシロミテ、ドロオトシなどといっていた。
画像の左側8列は速谷神社に奉納する注連縄用のタンチョウモチの苗である。
吉和学園近くの国道186号から県道296号分かれ交差点付近はいつも車で通過していたが、先日来紹介していたホース乾燥塔の撮影で車を降りて歩道を歩いていると陶板画がはめ込まれていることを始めて知った。
陶板画からの情報では吉和小学校の卒業記念に作成されたもののようであり、画像は平成10年度(1998)、平成12年度(2000)の作品のようで、吉和の山や神楽面、得意な絵などが描かれている。
吉和細井原地区の吉和郵便局前交差点近くにある消防格納庫脇に建立されている消防ホース乾燥塔で高さは約9mくらいであろうか、三角形状の塔で上部は四角形となっている。
このホース乾燥塔はこれまでみてきた塔のうちで構造的な裏付けがされて一番安定性のあるもののようにみられる。これまで紹介してきた吉和地域でみられるホース乾燥塔は消防色の赤色に彩色されており旧吉和村時代に築造されたもののようである。
吉和熊崎地区の湯之元神社に隣接した消防格納庫脇に建立されている消防ホース乾燥塔(上画像)で高さは約12mくらいであろうか、三角形状の塔で上部は変形七角形となっている。
下画像は石原地区の教龍寺参詣石段に隣接した消防格納庫脇に建立されている消防ホース乾燥塔で高さは他のものとは低い約10mくらいであろうか、三角形状の塔で上部は変形九角形となっている。
吉和花原地区の消防格納庫脇に建立されている消防ホース乾燥塔で高さは約12mくらいであろうか、三角形状の塔で上部も三角形となっている。
三角形状の塔二面にタスキ状の部材上下の水平材が配置されてなく一面のみ水平材が取り付けられている状態で安定性が悪そうな構築物である。
吉和中津谷地区の消防格納庫脇に建立されている消防ホース乾燥塔で高さは約12mくらいであろうか、三角形状の塔で上部は変形七角形となっており頓原地区のものと同じサイズのようである。
上部の床鉄板が腐食して穴が開いており頓原地区のものも同じ状態なので同時期くらいに建立されたものであろうか。
吉和頓原地区の消防格納庫脇に建立されている消防ホース乾燥塔で高さは約12mくらいであろうか、三角形状の塔で上部は変形七角形となっている。
吉和地区内にあるホース乾燥塔は何れも消防色の赤色に塗装されている。蔓草が頂部まで達しておりあまり機能していない施設なのだろうか。
虫所山の大虫地区にあるかつての火の見櫓とみられる遺構で全高さは約3.8mあり上部に半鐘が吊り下げられていたものと思われる。
当ブログ主が子供の頃このような火の見櫓があったことを記憶しているがどこにあったのかは定かでない。(下画像は大正12年(1923)頃の平良村役場に隣接して火の見櫓-ふるさとの写真集)
宮内地区の明石集会所・消防団車庫がある地に建立されている火の見櫓(ホース乾燥塔)で高さは約9m位であろうか、櫓の途中に現在も半鐘が吊り下げられている。かつての火の見櫓は防災行政無線の整備で消防ホースを吊り下げるホース乾燥塔になっているようである。
先日のミステリーツアーで信濃路の所々では屋根付きの特徴的な火の見櫓がみられたがバス車中からはうまく写すことが出来なかった。(下画像)
昔、田んぼの草取りには昨日紹介したタグルマのほかにハッタンズリがあった。ハッタンズリは苗の間を何度か往復して草をすりつぶしていたものである。
画像は親が使用していたものを保管しているハッタンズリで、柄の短いものがあり屈んで草を取りながら使用していたものであろうか。
先日紹介した讃岐一宮田村神社の倉庫前に廿日市市域では見たことがない形の二連タグルマが置かれていた。
タグルマは田んぼの中を押して田土と草を掘り返して草を採りやすくしたり埋め込んだりするものである。下画像は親が使用していたものを保管しているタグルマである。
上平良・原地区では田植えをしている田んぼがあちらこちらでみられ、田んぼに昔ながらのムナクトが原地区と上平良地区でみられた。このようなムナクトは田んぼの水位調整をするために昔から行われている装置である。
田んぼの水あて口は「ミズクチ」「ミナクチ」、はけ口は「ムナクト」「ミナクト」などと呼ばれていたようである。