『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

立石巨夢の歌碑

2017年11月15日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

国道2号線の本町三番交差点付近の街並みを散策していたら民家横に歌碑が建立されていた。歌碑には「真夜中の 月の碧さを 浴びてより 冷たく壁に はりつく我が影 巨夢」と刻されており、昭和54年(1979)に立石新一氏によって建立されたようである。この歌は大阪の白珠社同人歌集「青宴」に収録されている九十首中の一首のようである。

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立善寺-不動明王・天部像

2017年11月14日 | 「廿日市地区」ぶらり





先日紹介した原地区の立善寺経蔵「龍宮蔵」には不動明王像と天部像が安置され祀られており、これらの仏像は鎌倉時代の彫刻とされ県重文の指定がされている。かつて円光寺と称する禅宗寺があり慶長5年(1600)、時の住持によって真宗に改宗され寺号は立善寺と改められているので、不動明王像と天部像は立善寺の前身である円光寺に祀られていたものとみられる。

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米俵づくり-2

2017年11月13日 | 農業







 

⑥米を詰めてコモの上端を折り曲げて他端と同じように紐で亀の甲状に編み上げていく。⑦胴部分の両端ケ所に横縄を二周回して男結びとする。⑧2本の縦縄を十の字として端部の編み上げ端を通し、横縄部分で一回りして他端中央で飾り縄に紐で結び、横縄を中央部に回して男結びとする。⑨突起の飾り縄部分に色紙を巻き水引で結んで完成。
新米の米俵は今年も元気であった証としてしかるべき所に・・・

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米俵づくり-1

2017年11月12日 | 農業











今年の稲刈りには雨天に泣かされたがやっと秋の収穫が終わったので例年の如く米俵を作った。
①稲藁の芯を使うためにアクタを取り除いて準備をする。藁のくずをアクタと親から聞いているが、地方によると藁すぼといわれ藁の芯を藁しべというそうである。②俵の胴体部のコモを編む機具で、ヒモの上に藁をのせて紐を法則的に交差させ、藁の向きを交互にして必要目数まで順次編み上げていく。③編みあがったコモを筒状に編み紐で結ぶ。④コモの端部分を折り曲げて紐で亀の甲状に編み上げていく。⑤片端部を編み上げて袋状になったコモの中に米袋を入れて新米を詰める。

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立善寺の経蔵

2017年11月11日 | 「廿日市地区」ぶらり





 

原地区にある立善寺の山門脇にある経蔵で扁額には龍宮蔵と表示されており、この経蔵の向拝部分はあまり見られないような造りである。向拝の屋根は銅版葺きの半円屋根で、向拝柱が石造であり弓型の装飾虹梁と獏の木鼻を石柱で受けている珍しいものである。

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播州路探訪

2017年11月10日 | 旅行







先日、地域グループの親睦旅行で岡山県備前市の旧閑谷学校と兵庫県赤穂市の赤穂城跡、姫路市の姫路城を観光した。何れの箇所も30~40年ぶりに訪れたが時間的な関係でゆっくりと探訪することが出来なかった。平成の修理工事が終わった姫路城を単独で探訪しようと思っていたが、今回の旅行計画があるとのことで中止したがまたゆっくりと探訪したいものだ。

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三段峡探訪

2017年11月09日 | 登山









 紅葉が見たいと連れ添いの所望で芸北方面に向かっていると安芸太田町筒賀大歳神社の大イチョウ(目通り幹周9.85m)が黄色く色づいていた。当日は当神社の祭り日だったようで幟が沢山立てられており干しタコのような幟もあった。
三段峡口に着いてみると日曜日であり遊歩道は大勢の探訪者の列、十方山登山翌日なので黒淵までと思っていたが、もう少し行ってみようとなり三段峡まで足を延ばしたらいささかくたぶれた。紅葉が進んでいるところもあったが探訪日が少し早かったようであった。

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十方山登山-瀬戸滝

2017年11月08日 | 登山





今回の十方山登山での最終地は雨中の瀬戸滝で比較的水量が多く豪快に流れ落ちていた。かつて瀬戸滝を迂回して瀬戸谷を遡りウシロヤマ谷からコノタのギシと言われる十方山登山道の78合目くらいに出る(下画像の谷)ルートを探訪したことがあるがもう溯行出来る歳ではなくなった。

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十方山登山-木馬道跡

2017年11月07日 | 登山







十方山登山口からしばらく登っていくと石積みの木馬道跡(上画像)がある。かつて瀬戸谷の奥地から木馬で木材を搬出していたでありこの道を進んで行くと瀬戸滝が見える上部に至る。登山道のカラ谷分岐から瀬戸滝に向かい下って行くと前述の瀬戸滝が見える木馬道跡(中・下画像)に合流する。

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十方山登山-遭難碑

2017年11月06日 | 登山


伊藤四郎氏遭難碑



永吉師通氏遭難碑


遭難碑?

十方山には2基の遭難碑が建立されておりもう1基遭難碑とみられる積み石がみられる。登山道の5合目表示があるところから左手に進むと三つ倉と言われる標高1030mの小ピーク山頂に昭和10年(1935)2月3日に雪のため遭難した伊藤四郎氏の遭難石碑が建立されている。
もう1基は山頂に近づき森林域を抜けると低木や熊笹域となって緩やかな登山道となり、ほどなく進むと岩の上に昭和59年(1984)12月22日に遭難した永吉師通氏の遭難石碑が建立されている。この遭難碑から少し進んだ奥まったところには石を積み上げたと思われる所があり、そこに至る熊笹が刈り取ってあるので古い時代の遭難碑なのであろうか。県北の山は熊と共に雪は恐ろしいものだ。 

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十方山登山

2017年11月05日 | 登山


カラ谷の滝


落ち葉のジュウタン

笹を喰ったサルノコシカケ

不明樹の紅葉

山頂

市域の高山である十方山(標高1318.9m)を久しぶりに挑戦したが、生憎の冬型で5合目頃から時雨となり山頂では風雨と霧で十方どころか全く展望が出来ずトンボ帰りとなった。登山途中の紅葉は綺麗であり何の樹であろうか落ち葉のジュウタンを歩き、下山道はカラ谷から難山道の瀬戸滝経由で下山した。今日の山は天気がよさそうだ ‼

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益田市探訪-七尾城大手門門扉の戸車

2017年11月04日 | 旅行





先日紹介した七尾城の大手門遺構で現在医光寺総門の門扉に木製の大きな戸車が付いていた。通常門扉は柱の肘金に門扉の肘壺をはめ込んで開閉をするのであるが門扉が撓んで開閉が難しくなるので戸車が取り付けられているものとみられる。当ブログ主はこのような戸車を取り付けた門扉を他で見たことがあるような気がするが思い出せない。

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益田市探訪-染羽天石勝神社

2017年11月03日 | 旅行


弁天池背後の注連岩



拝殿


拝所・本殿

先日紹介した染羽大元神社がある染羽天石勝神社は看板表示によると社殿脇にある弁天池背後にある巨岩(注連岩)を石神とした自然崇拝が起源のようである。延喜式に美濃郡五座のひとつとして染羽天石勝神社がみえ、後に滝蔵権現と呼ばれるようになった。中世には益田氏の庇護を受けていたようで明治の廃仏毀釈に伴って神社名を染羽天石勝神社に復したようである。    

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益田市探訪-七尾城跡・三宅御土居跡

2017年11月02日 | 旅行


七尾城二の壇跡から本丸跡を望む



医光寺総門(七尾城大手門遺構)

 七尾城本丸跡から三宅御土居跡を望む(樹木林の間)

石見美術館で「石見の戦国武将」展を見学して益田氏の居城である七尾城跡と居館である三宅御土居跡を探訪した。七尾城跡は中世の山城であり尾根筋に数々の平壇、堀切などがみられるが山城マニアでないと・・・唯一七尾城の遺構である大手門が医光寺総門として移築されている。三宅御土居跡はかつて寺院と墓地があったが現在は移転されており一部発掘調査が行われて遺構跡表示がされていた。

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益田市探訪-高津柿本神社

2017年11月01日 | 旅行



 

益田市高津にある柿本神社の祭神は歌人の柿本人呂で江戸期に津和野藩主亀井氏によってこの地に移転再建されたようである。鳥居、随身門をくぐって真っすぐの参詣石段を上ると拝殿の側面に至り通常の社殿配置と異なっている。看板表示によると社殿配置は藩主の居城がある津和野方面に向かっているようである。

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