摩周丸
次男の通う予定の高校でオリエンテーションがあり、有休消化をかねて送迎してきた。
親はなんもやることないので、オリエンテーションの間、プチデートと洒落込んだ。
いまさらながらの感はあるが、青函連絡船メモリアルシップ「摩周丸」。
船内に入ってすぐのメモリアルプレート。
展示されていた、大型船のエンジン部品。
写真では大きさが伝わりにくいので、比較用として左のシリンダヘッドと同じくらいの奥行きに、かーちゃんの手を出してもらった。
俺はこれにさわれるだけでも入場料の価値があると思ったね。モールス通信用の電鍵。
操舵室にも入って、実際舵輪にもさわれる。コーフンするぞ。
これは操舵室からの眺め。
展示室には、未曾有の大事故となった洞爺丸台風による連絡船全滅(1954年9月26日夜)を伝える当時の新聞の実物もあった。
当日の天気図。事故の数時間前で台風はなんと968hPa!!
ハンパない強さだったのだ。合掌。
事故の惨状には言葉を失うばかりだったが、それはさておいて、新聞の紙面にこんなの発見。
「オートバイ」誌の広告。昭和29年だぜ。
現・三菱の「みずしま三輪」の広告。55年新車、とある。
同じく「シルバーピジョン」スクーターの広告。三菱はジープだけでなかったのだ。
広告の上はラジオ欄。テレビはまだ先の話だ。
今も続くTBS系早朝の「歌のない歌謡曲」は、このときすでにプログラムにあった。
日本内燃機製造の「くろがね」三輪の広告。
四駆好きの読者諸兄なら「くろがね四起」の名を聞いたことがあるかもしれない。そこの三輪だな。
今日は時間が限られていたし、冬期間はデッキに出れなかったりとやや名残惜しい感じを残しながら、摩周丸を後にした。
これで大人500円、学生250円は安いぞ。あったかくなったらまた来よう。うん。
親はなんもやることないので、オリエンテーションの間、プチデートと洒落込んだ。
いまさらながらの感はあるが、青函連絡船メモリアルシップ「摩周丸」。
船内に入ってすぐのメモリアルプレート。
展示されていた、大型船のエンジン部品。
写真では大きさが伝わりにくいので、比較用として左のシリンダヘッドと同じくらいの奥行きに、かーちゃんの手を出してもらった。
俺はこれにさわれるだけでも入場料の価値があると思ったね。モールス通信用の電鍵。
操舵室にも入って、実際舵輪にもさわれる。コーフンするぞ。
これは操舵室からの眺め。
展示室には、未曾有の大事故となった洞爺丸台風による連絡船全滅(1954年9月26日夜)を伝える当時の新聞の実物もあった。
当日の天気図。事故の数時間前で台風はなんと968hPa!!
ハンパない強さだったのだ。合掌。
事故の惨状には言葉を失うばかりだったが、それはさておいて、新聞の紙面にこんなの発見。
「オートバイ」誌の広告。昭和29年だぜ。
現・三菱の「みずしま三輪」の広告。55年新車、とある。
同じく「シルバーピジョン」スクーターの広告。三菱はジープだけでなかったのだ。
広告の上はラジオ欄。テレビはまだ先の話だ。
今も続くTBS系早朝の「歌のない歌謡曲」は、このときすでにプログラムにあった。
日本内燃機製造の「くろがね」三輪の広告。
四駆好きの読者諸兄なら「くろがね四起」の名を聞いたことがあるかもしれない。そこの三輪だな。
今日は時間が限られていたし、冬期間はデッキに出れなかったりとやや名残惜しい感じを残しながら、摩周丸を後にした。
これで大人500円、学生250円は安いぞ。あったかくなったらまた来よう。うん。