阿川弘之著『鮨そのほか』(新潮文庫あ-3-19、2015年9月1日発行)を読んだ。
晩年の作品のうち、全集に入っていない文章など短編3編、エッセイ22編、座談会2つを集めている。
92歳の阿川弘之はあとがきに「此の一冊はおそらく、七十年近い我が文筆生活を締め括る最後の一冊となるだらう」と書いている。
「花がたみ」
見渡す限り桜満開広々とした霊園に眠る志賀直哉の末娘の墓を訪れ、在りし日の志賀一家を偲ぶ。
「鮨」
表題作。地方での講演会に招かれた作家が帰りに巻きずしを持たされる。つい一つだけ太巻きの海苔巻きを食べてしまうが、東京で食事の約束があるので残りを食べられず、食べ物を粗末にはしたくなく捨てたくない。あれこれと悩み、思案し、怒られるかもと心配しながら上野駅の浮浪者に手渡すという話。
「贋々作『猫』」
漱石の『吾輩は猫である』と内田百の『贋作吾輩は猫である』を比較しながら、阿川さんが『贋々作』を書くかどうか迷う話。
エッセイというより随筆、いくつか
「志賀直哉の生活と芸術」では、癇癪持ちの志賀の日常の紹介し、師の事物描写の才能と同時にそれゆえの弱点、限界をも指摘している。
「『暗夜行路』解説」では、完成まで17年もかかったことから、主人公謙作の年齢の矛盾、当時はまだない列車など細かなおかしな点を指摘している。
座談会「わが友吉行淳之介」 阿川弘之、遠藤周作、小島信夫、庄野潤三、三浦朱門
それぞれの初対面時を思い出しながら交流歴を語る。左翼系の会合に反発した彼らが知り合い、サービス精神旺盛な吉行氏の家をたまり場としていた。
「第三の新人」と呼ばれた彼らではあったが、まとまって文壇活動をしたわけではない。
三浦朱門によるあとがきによれば、第三の新人は無思想・無理論であり、戦時中細々であっても原稿料で生活をしていた太宰治や織田作之助の第一の新人、敗戦直後に登場し、時代の風潮を作品に残す野間宏や中村真一郎の第二の新人に対して生まれた呼称だという。
対談「良友・悪友・狐狸庵先生」 阿川弘之、北杜夫、司会 阿川佐和子
遠藤周作のいたずら話、阿川家・北家のはちゃめちゃぶりがあからさまに。
初出:2013年4月新潮社より刊行
私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)
短編小説、随筆はいかにも一時代前の作品で、懐かしい感じがする。旧仮名遣いは、新かなづかいで育った私にもたいして気にならない。もっとも少年の頃、当て字だらけの漱石や、むずい漢字が並ぶ鴎外をよく読んだせいかもしれないが。
戦記ものではなく、日常を描いているので、なんということない内容になっていて、抵抗なくするりと読めて(名文?)、とくに何も後に残らない。いいんだか、物足りないのだか?
大したものではないが、捨てるのはどうもと悩む「鮨」が面白い。ケチ(自称エコ)な私にも似たような経験は何回かあるので、身につまされた。
座談会、対談では、吉行淳之介、遠藤周作、安岡章太郎、小島信夫、北杜夫など個性ある面々のエピソードに呆れ、そして去っていった仲間への追悼、過ぎ去った時代への寂しさに心打たれた。
阿川弘之(あがわ・ひろゆき)
(1920-2015)広島市生まれ。1942(昭和17)年、東大国文科を繰上げ卒業し、海軍予備学生として海軍に入る。戦後、志賀直哉の知遇を得て師事。
1953年、学徒兵体験に基づく『春の城』で読売文学賞を受賞。
『雲の墓標』『舷燈』『暗い波濤』『志賀直哉』、『山本五十六』『米内光政』『井上成美』の海外提督三部作