出久根達郎著『万骨伝(ばんこつでん) 饅頭本で読むあの人この人』(ちくま文庫 て10-4、2015年9月10日筑摩書房発行)を読んだ。
裏表紙にこうある。
古書業界・出版業界では、故人をしのぶ追悼本を葬式饅頭になぞらえて饅頭本という。紅白饅頭のように配られる記念本も饅頭本のうち。古書店主であった著者が、それらの饅頭本に描かれた、強烈な人生や業績を紹介する出久根流紳士録。実業家、文化人、アスリート、さらには泥棒まで、歴史の陰に埋もれた万骨の人たち50人。文庫オリジナル。
タイトルの「万骨」は「一将功成りて万骨枯る」から。縁の下の力持ちのまま生涯を送った人たちの人生を知るために饅頭本を読む。
女ならでは夜も明けぬ(8名)、豪快な日本男児たち(8名)、作家もいろいろ(7名)、ビジネスと陰徳(6名)、俳人・歌人と漱石ゆかりの人々(7名)、歴史を作った人(8名)、ただ一筋にひたむきに(6名)
「まえがき」
はやし言葉が懐かしい。
「ソーダ村の村長さんが、ソーダ飲んで死んだそうだ。葬式饅頭でっかいそうだ」
「色ざんげ つや栄」
常陸山に愛された芸者で、客のあれこれを赤裸々に語った。
「浮かれ柳 喜代三」
明治一代女「浮いた浮いたと浜町河岸に 浮かれ柳の恥ずかしや」の歌手。
(私が、なんでこんな古い歌を歌えるのか、わからない)
「長い道のり 金栗四郎」
1912年のストックホルム五輪のマラソンに出場した金栗はレース途中、日射病で倒れ、翌日の朝、近くの農家で目を覚まし、「行方不明」扱いとなった。
「五十五年後の昭和四十二年(1967年)、金栗はストックホルムに招待され、思い出のスタジアムで二十メートルほど走った。ゴールテープを切ったとたん、スタジアムに粋なアナウンスが流れた。
「日本の金栗、ただいまゴールインしました。タイムは、五十四年八ヶ月六日五時間三十二分二十秒三。これをもちまして第五回ストックホルム・オリンピックの全日程を終わります』。 七十五歳の金栗のコメントも、いい。「長い道のりでした。その間に孫が五人も生まれました」。
「説教自伝 妻木松吉」
大正末期から昭和初めにかけて、中野、杉並、池袋、練馬一帯で現金や金目の品を奪い、煙草を吸いながら家人に説教をした説教強盗の噂、実際。
「強きを敬う 佐藤次郎」
2012年テニスの錦織は全豪の準々決勝で敗れたが、1932年、佐藤は準決勝に進み、敗れ、世界3位になった。そしてデ杯出場のため渡欧途中、26歳でマラッカ海峡に身を投げた。
「指の人 浪越徳次郎」
「指圧のこころ母心、おせば命の泉わく」と一世を風靡し、マリリン・モンローにひいきされた指圧師。
私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)
まず饅頭本に着目した点がすばらしい。饅頭本には掘り出し物が多いと言われ、「意外な筆者が意外な文章をつづっていることがある。その文章は全集に未収録だったりする。」との事だが、おそらく大部分はごく平凡な内容だろうが、それらを丹念に読み、例えば作家の本名を調べて(多くは本名で書いている)、掘り出し物の文を見つけ出す著者の努力(楽しみ)はすざましい。
かすかになんとなく覚えている昔々の話もいくつかあるが、有名、無名に係わらず、ドラマチックな話が多く、読みふけってしまった。直接吸っていなくとも、これらの時代の空気を感じ取れる60代、70代の人にお勧めだ。
出久根 達郎(でくね・たつろう)
1944年茨城県行方市生まれ。
中学卒業後集団就職で上京し、月島の古書店に勤める。
1973年杉並区で古書店「芳雅堂」を営む(現在は閉店)。そのかたわらで作家デビュー。
1990年「無明の蝶」「猫じゃ猫じゃ」「四人め」「とろろ」で直木賞候補。
1992年『本のお口よごしですが』で講談社エッセイ賞。
1993年『佃島ふたり書房』で直木賞受賞。
2015年、『短篇集 半分コ』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
読売新聞「人生案内」の回答者の一人。